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Je pence a toi


 結局、盛り上がりを見せた昼休みの件は放課後まで引きずられ、私は仲のいい子達に連れられるままショッピングモールのテラスに停まるクレープ屋のワゴンの前に突っ立っていた。口の端に付いた生クリームをぺろりと舐めて、片手でポケットから小さいパッケージを取り出す。先程ドラッグストアで買ったばかりのリップクリームだ。金色で施された“スウィートピンク”の文字が、フィルム越しに目に映る。色つきリップなんて買ったことがないのに、何故これをもっているのか。それはやはり、私をここへ連れて来た彼女達の悪意なき善意の働きかけによるものだった。
 大人から見ればまだまだ子供の域にある私たちの、精一杯の背伸び。色つきのリップクリーム。健気さと純情。
そんなもので出来ているのが“十四歳の少女”だと言うのなら、私は一体何なのだろう。


* * *

 足元が崩れていく。伸ばした手がカッターシャツの裾にひっかっかって、私は溺れてしまわないように必死で指先に力を込めた。互いの吐息だけが全てで、そのほかのものは全部、押し寄せた暗い色の冷たい水底に沈んでいく。プラスチックのおもちゃみたいな似合わないスウィートピンクがどろどろに融けて、兄の、大人の男の人の、綺麗な唇に纏わり付いて線を引く。
 視界は最早海の底だった。天井のライトに煌々と照らされた深夜の密室。貪り合う音がやけに大きく鼓膜へ響いた。


* * *

「これ」
「貰った」
 ふぅん。特に気にした風もなく感想を洩らしている癖に、視線だけはバッチリとそれをロックオンしているのだから笑ってしまう。ネクタイとボタンを緩めながらソファに腰掛けた俺は、笑われていることに気付いていない後姿を眺めてはまた、込み上げる笑いをかみ殺すという馬鹿みたいなスパイラルに苦しめられた。
「え、ちょっと。なんでそんなに笑ってるの?」
 心外だとでも言いたげな顔で千鶴がソファへ近づいて来た。手には置いておいた小箱。俺と比べれば随分と小さいその手にはぴったりのサイズだ。ソファの手前でくるりと方向転換をした彼女は、ぽすんと隣のスペースに納まる。
「食べたいのか」
「ううん。別に」
 じゃあ、なんで持ってきたんだと聞くと、小動物みたいに唸って黙ってしまった。



『White noise』本文より部分抜粋




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