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Je pence a toi


【一話抜粋】


 目に映る光景が、是非とも悪い夢の続きであって欲しいと心から願う…ものの、悲しいことにひしひし伝わってくる「これは現実だ」という生々しい――例えば、温度、とか。
 昨日、とある人物に呑まされた所為で、二日酔い確定だった今日という一日。が、始まった途端予想の範疇を超えた一撃で、見事ノックアウトされた訳で。
 此処までで、正直何を言っているか分からないだろう。当事者である俺自身も全く理解不能なので、勘弁して欲しい。寧ろ被害者意識が芽生えてくる。
 時間を遡ることが可能であれば、昨夜の酔っ払い(俺自身だとは言うまでもない)のしでかした、このとんでもない凶行(字面ほど物騒ではないが)を力ずくでも止めたい。というより、そこに至るまで毒を盛った元凶を叩きのめしたい。
 結局、この状況は何なのか。

* * * * *

 日常――余りにもありきたりで平凡。見えていることが全てではないと、言葉では理解していても何処か本の中の一節みたいなものを感じてしまう。それが日常。私、否、わたしたちの住んでいる世界。特別なことなんて何も無い。
 両親は物心付く前に他界していた。双子の片割れとは別々に暮らしている。それだけを聞くと、なんだか哀愁が漂ってきそうな経歴ではあるけれど、実際そんな悲観的なものじゃない。血を分けた兄とは時々会っているし、仲のいい友達だって居る。私を引き取って育ててくれた義父は、私の中学卒業と同時に日本の南端の離島へ移り住んだ。医師をしている義父の離島への派遣の話自体は結構前から上がっていたようだったのだが、私という存在が大きく影響したらしい。そのあたりは所謂、大人の事情、という訳だ。
 ともあれ、一人で身の回りのことが出来るようになるまで待ってからの出立。終始心配な様子を見せていたことに苦笑しつつ、私は笑顔で見送った。しかし今思えば、何故あんなに心配されていたのか分かる。
 私はとても大事なことを知らずに過ごしてきていたのだ。ほんの少し前まで。

【二話抜粋】


 ぎこちない会話を紛らわそうと、千鶴は紅茶に口をつけた。
「いやぁ…朝から慌しくてすまないね。色々と理解に苦しむ状況なんだけど、とりあえず君が誰なのか――おっと、その前に自己紹介がまだだったね。
 僕は大鳥圭介。ここで主に、古典文学に関する文献の研究や翻訳をやっているよ。そっちの…土方君は、君と、えっと…面識があると、捉えてて良いのかな?」
 大鳥の斜め向かい、千鶴の正面でやつれた顔をしている人物を指し曖昧な憶測を述べるが、千鶴から帰ってきたのは当惑した沈黙だった。当の土方はと言うと、彼の家から引き摺って来たときと同様、二日酔いと想定外の事態に理解がついて行っていないようである。整った造形の、片頬に冷却湿布を貼り付けている様は実に滑稽だ。
 そもそも誤解を生むような場面で誤解を生むような失態を演じてしまった本人に非がある――と、湿布で隠れた手形を見舞った張本人である大鳥は開き直っていた。
「……えーと」
 しかしこの状況は如何したものか。
「弁解をお願いしようか、土方君」





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