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Je pence a toi


1章より抜粋

「お仕事はいいんですか」
 黙々と活字を追う先生に一言。返事は無く、沈黙だけが漂う。根城と化した国語科準備室に引き籠っていたあの頃より幾分柔らかい沈黙だ。
 今月に入って私が図書室を利用するようになり始めてからと言うものの、かなり頻繁に居合わせることが多くなった。…先生なりに何か思うことがあってのものかも知れないけれど。
 じっと見ていれば、十分な時間をおいて独り言のように返される。
「…まぁ、息抜きって奴だな」
「そうですか」
 クスリと笑うと、満更でもない様子で鼻を鳴らす。いつもそうだ。
 何度も繰り返しているやり取り。私たちだけの時間。
 入学した当初と比べ、私は落ち着いたような気がする。反対に土方先生は、いろいろと不器用になってしまったように思えた。私が先生の心を読むのがうまくなったのか、はたまた先生の嘘がへたくそになったのか。
 一緒に過ごすここ数日、本を読むふりをして傍に居てくれることを、私は知っている。私が視線を戻せば、また、その柔らかい紫色の眼差しで見つめてくれる事も。知っている。

***

2章より抜粋

 丁度入れ違いで職員室に現れた永倉が問う。んな訳無いだろ、と返された言葉に、彼は弱気な声で続けた。
「さっきそこですれ違いかけたんだが……すっごいピリピリしてて、怖くってよぉ…」
 手にした書類をひらりと振って、
「思わず渡さずに隠れちまったぜ」
 永倉でなくとも、全員がその状況で係わる事はまず無いだろうと原田は苦笑いを浮かべる。
「そりゃお前、余計に怪しいだろ。因みに土方さんなら引き籠ったぞ」
「引き籠った?…って、準備室か?なんでまた」
 怪訝そうに表情を引き攣らせているところを見ると、永倉も薄々嫌な予感を抱いている様子だ。
「なに、例のバレンタインサプライズだよ…でも、去年の、靴の中に生チョコの方が酷かったぜ」
 そう、犯人は土方という人間に対して何処までも残酷で無垢な“悪戯”を仕掛ける。


 ひょいっと、千鶴の弁当箱から卵焼きを奪って口へ放り込み…顔を顰めた。
「何これ。葱入ってるし…」
「あっ…(薫が作りましたなんて言えない)すみません」
 千鶴は出かけた言葉を飲み込んだ。咄嗟に、話題を変えようと、今日のために用意してきたものを紙袋から取り出す。
「あ、あの。沖田先輩、斎藤先輩、平助君、これ作ってきたんですけど、良かったら召し上がって下さい」
「ぅおっ!うまそー!」
「平助、」
 千鶴の取り出したお菓子に歓声があがる。
 一人ぼっちの自分を気遣ってくれる皆へと、千鶴が感謝を込めて用意したお菓子。
 ――担任の原田先生には一足はやく、ホームルームの後に渡してあるから…残るは一つ。
 そわそわと紙袋の取っ手を握って、千鶴はにこりと微笑んだ。
「千鶴、今年は何チョコ?」
「はぁ?平助“今年は”って、何?今まで貰ってたって事?」

***

3章より抜粋

 ……つまり
「どういう事だよ」
「どういうって、見たまんまじゃないかい?」
 大鳥さんは笑っているが、俺は益々意味が分からなくなった。何が見たまんま、だ。俺が雪村の想いを上手く往なせず傷つけてしまった事の、どこが問題ないというのか。問題大有りではないのか。様々な疑問と考察が渦巻く。大鳥さんはさも可笑しそうに笑って言った。
「まぁ、僕の個人的見解だけどね」
 大鳥さんの、懐かしむような見守る者の目が、俺は苦手だ。その目で今、俺を見ている。何もかも見透かすような、あの時の目で。
「君が今も雪村君が好きだという事は、十分に分かった。そして何の疑いも無く、彼女も好きで居てくれると勘違いしてることも、よーく、分かった」
 穏やかとも言える微笑。
「安心してよ。土方君、君が思っているほど雪村君は君の事を意識しちゃいないからね、まだ」




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