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Je pence a toi



 千鶴は少し先を歩く土方の背中を見上げ、小さく息を吐いた。常ならば、白いシャツか黒いジャケットに包まれた後姿が、今日は涼やかな浴衣のそれである。濃藍の布地に麻の葉模様、シンプルだけどよく似合っていて、湧き上がるのはちょっとの羨ましさ。柄も色もかなり迷いながら選んだ千鶴に対し、彼は深く考えもせずに適当に手に取ったものを、こうもあっさりと着こなす。なんだか張り切っているのは自分だけのような……神妙な面持ちになって考え込む千鶴は、クスリと笑う声にハッと意識を戻した。
「どうした?腹が減ったか?それとも疲れたのか?」
 さっきまで背中を向けていた土方が振り返り、千鶴の百面相を眺めて笑いながら問う。
「ひ、酷いです!…お腹、すいてます…けど……」
 聞く順番が逆じゃないですか!意地悪しないで下さい!土方は彼女の必死な抗議をものともせず、一層笑みを深くした。
「……なんですか」
「いや。似合ってるな、浴衣」
「!…なんで今、そういう事言うんですか…」
 ずるい、と言いながら俯いてしまった千鶴に、土方は苦笑を浮かべ、手を伸ばした。
「ほら、もうすぐだ。行くぞ」
するりと捉まった手。軽く引っ張られて、気付けば隣同士でゆったりと歩く。
「土方先生は、何を食べたいですか?」
「んー、イカ焼き」
「美味しいですよね」
「零すなよ」
「零さないですよ!」
 あと…長身を屈めて千鶴を覗き込み、有無を言わせぬ声色で紡ぐ。
「“先生”は、なし」
「うっ……………土方さん」
 沈黙。
「意地の悪いことばっかり言うから、これで我慢してください」
 土方の威圧に対し、千鶴は決然とした口調で断言した。


* * * * *


「はぐれちゃったの」
「やっぱり迷子か」
「ちがうもん!」
 土方の一言に対しキッと言い返された言葉に、当の本人はびっくりして目を丸くする。
「お父さんがいなくなっちゃったの!はぐれちゃダメだよーっていってたのに!」
「…迷子じゃねぇか」
「ちがうもん!お父さんがまいごだもん!」
「……………」
「土方さん」
 千鶴にそっと腕を押さえられて、土方はふっと力を抜いた。子供とはどうにも相性が悪い。とにかく見つけられやすいようなところにでも預けようと、千鶴は子供に立ち上がるよう促す。しかし、子供は俯いて動こうとしない。
「…靴擦れしちゃってる」
 すがるような千鶴の眼差しに、土方は盛大な溜め息を飲み込んだ。




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