その5 その男、地縛霊 「ど〜も〜、地縛霊で〜す」 ********* 取り返した水着をつけなおし、更衣室からひとり戻る。 ”一緒に遊ばない?”と、声をかけてくる見知らぬ男の誘いを断り、熱気あふれる海岸を探す。 少し離れたところに、彼らはいた。 こんなに人であふれた海水浴場で目立つ、氷帝&立海の面々。 しつこく付きまとう男を追い払って、仲間たちの元へ小走りで向かう。 輪の一番外側にいた岳人先輩へ”戻りました”と伝える。 「おう、沙穂」 「さっきのイケメン、捕まえたんですか?」 「まあな。今、絞られてるとこ」 氷帝、立海陣に囲まれ、イケメン水着泥棒が砂浜で正座させられていた。 宍戸先輩が”なんだって?”と首を傾げる。 「ジバク、レイ?」 「違う違う、地縛霊〜」 緩い笑みを浮かべるイケメン(水着泥棒)。 私はまじまじと彼を見る。 顔の系統でいうとナチュラル系というのか、雑味のない正統派の美少年である。 歳は、私より少し上、大学生ではないように見える。 白いTシャツにジーンズ、という下手したらダサくなるシンプル過ぎる服装も、スタイルが良いせいか似合っている。 髪もサラッとして、爽やかではある。 が、どこか不健康にも見える。 肌が透き通るように白く、血色があまりよくない。 さらに、炎天下の下に晒されているというのに、汗一つかいていないのだ。 潮の香で蒸した海水浴場なのに、彼一人、真っ白な雲のように清らかで…そこが少し不自然。 不思議な美少年だ。 ぜひ、一眼レフに収めて夏の思い出として帰りたい、と、さきほど海から回収したSDカードをカメラへと挿入した。 宍戸先輩がさらに首をひねる。 「ジ・バクレイ?外国人か?」 「だから、地縛霊だってば〜」 へらっと笑う”ジバクレイ”さんを、跡部が正面から見下ろす。 「偽名じゃねぇだろうな」 「本名ではないけど」 ”名前を名乗れ”と、にらみをきかす跡部。 水着泥棒は頭を掻き、ふわふわした声で笑った。 「そう言われても、自分の名前を忘れちゃったんだよ〜」 カッと目を見開いて真田さんが声を張り上げた。 「貴様!恥ずかしくはないのかっ」 「恥ずかしいって?」 「じょ、女子の水着を盗むなど、言語道断!何を考えている!」 「盗んでないよ〜拾っただけなのに」 「そんな言い訳が通用すると思うのか貴様!」 真田さんに怒鳴られても、まったく動じない水着泥棒(イケメン)。 私は、しめしめとほくそ笑んだ。 跡部に気づかれないうちに、この美少年を盗み撮りしてしまおう こっそりと一眼レフをかまえ、撮影した。 うまく撮れただろうか、液晶画面を確認し、私は”あれ?”と声を上げた。 さらにシャッターを切り、再度確認。 やはり、撮影したその写真はおかしかった。 (どうして?) 今度はすぐ隣にいた鳳君にカメラを向け、一枚撮った。 「どうしたの?」 鳳君はデジカメの液晶画面を見つめる私を覗き込む。 「映らないの」 「故障?」 「ううん、違う。カメラは故障していない」 鳳君の姿や他のみんなはハッキリ映っている。 私はさっき隠し撮りした写真を、鳳君へ見せる。 おかしい、あの美少年だけ…… 「映ってないの」 「だって幽霊だもん〜」 水着泥棒(イケメン)は明るい声で言った。 私を見つめて、笑う。 「俺、死んでるもん」 「え?」 彼が名乗っていた”ジバクレイ”という響きが、頭の中で漢字に変換される。 じばくれい、というのは、もしかして、 「地縛霊?」 「そうだよ〜。この砂浜に憑いてるんだ〜俺」 「はあ?嘘つくならもっとマシな嘘つけよな!」 岳人先輩は美少年の肩を小突いた。そして、動きを止める。 恐る恐る水着泥棒にもう一度触れる岳人先輩。 何か気が付き、サーッと血の気が引いていく。 「わあああああああ!」 「どうしちゃったんですか〜岳人先輩ったら〜、どれどれ」 これはイケメンに触れるチャンス!と、ばかりに私も水着泥棒の肩に触れ…… 「ひゃああああああああああ!」 飛び上がった。 つ、冷たい。体温が、ない。 氷にでも触れたかのように冷やっこい体をしている。 とても、生きている人間とは……思えない。 ブルブル震えあがる私へ、落ち着きはらった幸村さんが言う。 「うん、死んでるよ、彼」 ぞわり、鳥肌が立つ。 「本当に幽霊!?」 「だからさっきから言ってるのに〜」 「ぎゃああああああああ!!」 次々に地縛霊に触れては手を引っ込め、ざっと身を引く。 「興味深い」 柳さんがマジマジと地縛霊を観察し始める。 日吉の影に隠れ、十字をきる岳人先輩。 「あああああ悪霊退散〜〜〜!!」 「悪霊じゃないのに〜」 「俺たちにとり憑く気なんだろ〜っ!」 「それはすごい。やってみてくれ、この人で」 オカルト大好き日吉少年が、岳人先輩を差し出す。 酷いヤツである。 差し出された岳人先輩が”お助けを〜!”と泣き叫んだ。 「とり憑くだなんて、とんでもない」 地縛霊ゆるゆる首を振った。 「別に君たちに何の恨みもないし、危害は加えないよ〜」 な、なんて穏やかな幽霊なんだろう。 そもそも、こんな日の高いうちから出るもんなんだろうか? 草木も眠る丑三つ時、恨めしや〜ひゅ〜どろろと現れるのが幽霊でしょう。 真夏の海水浴場に地縛霊、とてもミスマッチ。 だが、私は”お前はもう、死んでいる”な水着泥棒を見つめ、グッと親指を立てた。 生唾を飲み込んで。 「オーケー」 「何を勝手に了解してるんだ、お前は」 冷ややかな目を投げ寄越す日吉。 私は体温のない美しき人へ呼びかける。 「あなたは妖精さんですね」 凍てつく日吉の視線が、さらに5℃下がった。 氷点下20℃くらいですか? わお!バナナで釘が打てちゃうね! だが、私は三度の飯より美少年が大好きなのだ。美しいものは、美しい。 「この方は渚の妖精なのよ。仲良くしましょうよ!」 地縛霊さんの冷たい手を取った。 己の審美眼を信じて生きる女、それが私、安積沙穂である。 「生きてるとか、死んでるとか関係ないですよ!」 そう、美少年でさえあれば! 例えば、美しい顔の宇宙人がUFOで地球を征服しに来ちゃったりしたら、人類を裏切ってでもお近づきになりたいって思ってます。 「美少年に、国境もあの世もこの世も太陽系も関係ない!」 美しいもんは美しい!力説する私へ、妖精さんは冷たい手を握り返す。 「ありがとう」 それから彼は”夢みたいだ”とつぶやいた。 「君の、名前をきいてもいい?」 「沙穂です、安積沙穂」 「沙穂……沙穂ちゃん。そうか、君は沙穂ちゃんっていうのか」 一度目を閉じて、彼は私に微笑む。 「俺のことは、地縛霊の”バク”って呼んで〜」 「バクさん?」 「さっきベンチで俺たちのことを見てたのは君?」 幸村さんの声に怒気が含まれている。 地縛霊のバクさんは”そうだよ〜”とのんびり返す。 「幽霊って空気読めないの?」 ゴゴゴゴゴ…地鳴りが聞こえてきそうだ、めちゃめちゃ静かに怒っている。 「せっかくいいトコだったのに」 「「「いいトコ?」」」 私と幸村さんに視線が集まる。 ”やるじゃん”と、ジャッカルさんが口笛をふいて冷やかした。 「っち!ちが!何にもしてない!なにも……」 誤解を解こうと弁解しようとするが、それはそれで幸村さんに失礼な気がして口ごもる。 「帰りましょう」 頭痛がする……柳生さんが、バクさんから目を逸らして言った。 「一刻も早くここから立ち去りたい」 地縛霊という非現実的な現実から目を逸らしたいらしい。 柳さんが青い顔の柳生さんの肩をポンと叩く。 「帰ろう、幸村」 「もうそんな時間?」 幸村さんはポケットからスマホを取り出した。 「うむ、そうだな。一度、合宿所に戻らなければならんしな」 女の子の水着には敏感に反応するくせに、目の前の地縛霊には興味がないのか、まったくスルーの真田さん。 「もうちょっと幽霊を観察したかったのに」 切原君がちぇっと唇を尖らす。 真田さんが腕を組み、カッと目を見開く。 「立海!撤収準備だ!」 立海メンバーは帰り支度を始める。 仁王さんなんか、ビーチフラッグス大会が終わったあたりから涼しい場所に避難していたらしく、何食わぬ顔でふらっと戻ってきた。 せっかく立海との楽しいひと時だったのに、もう帰ってしまうなんて残念。 「ではな、氷帝。全国で会おう」 帰り際に真田さんが振り返る。 跡部が真っすぐ見据えて応えた。 「ああ、決勝で相手してやるぜ」 「たわけ、叩き潰してやるわ」 「それは楽しみだな。せいぜい勝ち残れよ」 テニスコート場で交わすのと同じ熱い視線と、言葉。 紆余曲折あったが全国への切符を手に入れた。 ”全国で会おう”立海の副部長のその言葉で、私の胸は熱くなる。、 「安積さん」 「わ!」 呼ばれて振り向けば、幸村さんの神々しいほどに美しいお顔があった。 フワリ、と幸村さんのレモングラスとミントの香りが鼻をくすぐり、耳元にさざ波のような声。 「本当は連れて帰りたい」 「へ」 見惚れて口を開けていたら、ぎゅっと跡部に髪をひと房引っ張られた。 「いだだだだだ!何すんの!」 恨めし気に見上げたが、跡部は幸村さんの方を見ていた。 幸村さんはバクさんへ視線を移すと、 「用心しなよ」 謎の言葉を残して帰っていった。 ********** ここに、砂浜で正座をさせられている地縛霊がいる。 いつの間にか樺地君にラグジュアリーな椅子を用意させ、パラソルの下でふんぞり座る跡部様。 「さて、こいつをどうしてやろうか」 お白州で裁きを下す奉行のように、水着泥棒、もとい地縛霊へ視線をやる。 「跡部んトコの御祓い師でも呼んで、成仏させたったら?」 横切る色っぽいお姉さんが忍足先輩へ手を振る、先輩も軽く手を振り返す。 年上からモテるタイプである。 私は忍足先輩の言う、御祓い師を知っている。 お世話になったのだ、山犬を憑依したときに。 「どうして俺様が水着泥棒のために、そこまでしなくちゃいけねぇんだ」 「そんなこと言わないで、何とかしてくれよ跡部〜」 怪談話がまるでダメな岳人先輩が跡部にすがりつく。 日吉が鼻を鳴らした。 「怖がりですね、向日さん」 「う、うるせぇぞ!」 ”まあ、でも”と、忍足先輩が続けた。 「このまま、放っておくってのも忍びないで」 「そうだよ、成仏させてやろうぜ」 ドラえもんに泣きつく、のび太のように跡部の足にすがりつく岳人先輩。 なんだかんだで面倒見のいい跡部は「しかたねぇな」とつぶやいた。 「おい、地縛霊」 「はい〜」 「俺様がお前を成仏させてやろう。陰陽師とエクソシスト、どちらがいい?選べ」 陰陽師orエクソシストの二択を迫られている人を初めて見た。 いや、彼は人ではなく幽霊なんだけど。 この二択をほいほい差し出せる跡部も跡部である。 バクさんは正座したまま”いやぁ〜”と頭を掻く。 「あ〜、無理無理。そんじょそこらの霊媒師に俺は祓えないよ〜」 ふにゃふにゃ笑う。 「俺、この変じゃ有名な地縛霊なんだよね〜」 有名な地縛霊、とは? 「ここ、観光地だしさ〜、幽霊なんかが住み着いちゃってたらイメージ悪いだろ〜?」 「まあ、たしかに。よくはないですね」 「役場の人や周辺のお土産屋さんとかに、散々御祓いされたんだけどさ〜全然成仏できなかったんだよね〜」 イエ〜イ!と、ピースするバクさん。 すごく明るい、幽霊とは思えない。悲壮感とかまるでない。 「最近じゃあ、町の人たちも諦めて、心霊スポットとして売り出し始めたみたい」 ほら、とバクさんは海の家を指さす。 店頭には”地縛霊まんじゅう”なる商品が並んでいた、商魂たくましい。 「地域密着型幽霊で〜す。町おこしに一役買ってま〜す」 「俺様の紹介する陰陽師を”そんじょそこら”だと?」 負けず嫌いの跡部様はスマホを握りしめた。 「こいつに憑いた山犬を見事に落とした実績があるんだぞ」 ”山犬?”とバクさんが澄んだ目をして尋ねてくる。 まあそういう事故も過去にあったよね。 「…こうなったら、世界中から霊媒師やエクソシストをかき集めてやる」 「無理だと思うよ〜?」 「いや、やる。やってやるぜ。すぐにあの世に送り出してやるからな」 俺様にできないことはない!と跡部お坊ちゃんの心に火がついた。 やる気だ、本気でやっちゃう気だ。 跡部ん家の力を使えば、世界霊媒師ランキング上位100くらいすぐに集まっちゃう。 「じゃあさ、成仏させてみて」 青い渚に波が押し寄せた。波打ち際の海水浴客たちが”きゃー!”と楽し気な声を上げる。 バクさんは微笑んだ。 「どうやったら、消えてしまえると思う?」 私を見つめて。 キラキラ光る水平線を背後に、絶望の色をひとつも含んでいない、ただただ切ない瞳で。 「この気持ちごと、この世から」 私は知らない、 この優しい地縛霊がこの海岸に縛られている理由を。 まだ、知らない。 prev / next 拍手 しおりを挟む [ 目次へ戻る ] [ Topへ戻る ] |