その4 ラッキー千石 「てめぇら、生きて帰りたかったら俺様のいう事を聞け」 そこで跡部君は安積さんを指差し、 炊事場にいた全員を見渡す。 「こいつに包丁を持たすな。いいな?」 ************ 遥か離れた東京とつながっているはずなのに、都会で見るよりここの空は高く、青かった。 無人島での遭難生活初日、夕飯の支度に取り掛かろうとしていたら海側リーダーのさっきの発言だ。 オレは計量カップと睨めっこしながら米を量っている。 「氷帝はマネージャーに過保護すぎないか?」 そう言ったのは、うちの部長だった。 眉をひそめる南を視界に入れないようにして、オレは米との格闘を続ける。 「怪我でもされちゃ大変なんじゃない?ねえ、米一合ってこのカップ一杯分のこと?」 「たぶんな。でも包丁も持たすなってのはなぁ…」 「いいんじゃないの?別に問題ないでしょ」 女の子に優しくするのは問題ないけど、跡部くんはちょっと我がままが過ぎると思う。 昼間も安積さんと同室じゃなきゃイヤだってみんなの前でゴネてたし。 (ずるいよ、跡部くん。) オレだって女の子と一緒の部屋がいいよ。 「あの二人って付き合ってるのかなぁ〜?」 「いやぁ…」 南は苦笑いで跡部くんと氷帝の女子マネージャーを見た。 「上官と二等兵だろ、あれは。」 跡部くんは腰に手を当て、安積さんに何やら話している。 断片的に”死人を出すな”とか”サメの餌にするぞ”とか、恋人同士の愛の語らいとは思えない内容が聞こえる。 一方の安積さんは敬礼をし、”イエッサー!イエッサー!”と叫んでいる。 「そうか、付き合ってないのかァ。」 ニヤニヤ笑う俺を南がジトっと睨む。 「千石…」 「大丈夫だって、問題はおこさないよ!ただちょっとお近づきになりたいなって」 「ほどほどにしてくれよ。」 「はいはい。」 量るのが面倒になって、適当にコメを釜にぶち込む。 (本当は…) 船の上にいる時からずっと彼女に声をかける機会を狙ってたんだよね。 いつものオレなら、すぐ声をかけるんだけど、安積さんの側には氷帝の連中が張り付いててさ、近づきにくかったんだぁ。 さらに跡部くんの”同室宣言”でしょ。 さすがのオレも跡部くんの彼女に手を出すなんて命知らずなことはしない。 (よし…そうと決まれば。) 無人島に流されて、遭難。 緊迫した状況なんだろうけど、こうなってしまったものはしょうがない。 楽しもうって気持ちを切り替えたら、この青い空も、海も、キラキラした砂浜も悪くないって気がしたんだ。 そう、どんな悪い状況でも必ず一つはラッキーなことが転がっているのさ。 (氷帝の女子マネージャー、安積さん。) さすが氷帝学園、可愛い子をマネージャーにしている。 跡部くんの好みのタイプの子を採用したのかな。 強引に肩でも抱いて”マネージャーになれよ”なんて迫ったんだろうか。 (なんて羨ましい…) オレなんてここの所、ナンパしてもフラれてばっかでツイてな… (いやいや!) こんな子とサバイバル生活だなんてツイてるよね! そうさ、これが野郎ばっかりで遭難してたら地獄だったよ。 可愛い女の子がすぐそこにいる。 オレは千石清純、ナンパした回数でギネスを狙う男。 ここで彼女に声をかけなきゃ…名が廃るってもんさ! 「南、あとはよろしくね」 「お、おい!千石!」 計量カップを南に渡し、安積さんに近づく。 「安積さん」 声をかけると安積さんは、パアと笑顔を咲かせる。 「千石さん!」 うんうん、可愛いよね〜。 これはぜひ帰るまでには手くらい握らなくては!と、心の中で誓う。 「テーブル拭くの?手伝おうか?」 「ダメだ、一人でやらせろ」 跡部くんが割って入ってきた。 いいじゃんか〜手伝うくらい、と言おうとしたら、風を切る音がそれを遮った。 「え」 我が目を疑う、跡部くんが安積さんにアイアンクローをくらわせている。 こめかみに跡部くんの指を食い込ませて”ぐぎぎぎ”と彼女が奇妙な声を上げている。 「お前…いま舌打ちしやがったな?」 「してません!していません!してないったら〜〜〜!!!」 バタバタと手足をバタつかせてもがく安積さん。 衝撃的すぎて動けなかったオレはハッと我に返った。 「ちょっちょっと〜!やめなよ跡部くん!舌打ちなんて聞こえなかったよ〜!気のせいじゃない?」 間に入って止めようとしたオレを跡部くんはギロリと睨む。 「それはな、千石。お前が聞こうとしていないからだ。」 「は?」 「とにかくだ、絶対に手伝うなよ。テーブル拭くくらいしか仕事がないんだコイツには」 「い、言いすぎなんじゃない?」 「本当のことだ。…っ!!」 跡部くんは殺気を放つとアイアンクローをする手をさらに強める。 「俺様のスネを蹴るとはいい度胸じゃねえか、アーン!?」 「きゃ〜〜〜!千石さん!助けて!」 「や、やめなよ!死んじゃうよホントに!」 安積さんの顔色はいよいよヤバくなっている。 氷帝ってマネージャーに過保護すぎるんじゃないの? 「安積、お前の仕事は何だ?言ってみろ。」 「って、テーブルを拭くことであります!」 「ピカピカにだ、手ぇぬいたら…わかってるな?」 「サメの餌であります!!」 そこでやっとアイアンクローは解除された。 「さっさと取り掛かれ」 「イエッサー!」 こめかみに指のあとをつけたままピシッと敬礼をし、安積さんは駆け足で水道へ。 その様子をポカンと眺めているオレに跡部くんは言う。 「あいつに言い寄ろうなんてバカな考えはよせ。」 「え…やだなぁ、そんなこと考えてないよ」 へへへと笑う。 跡部くんはユニフォームの襟を立てなおして”親切心から言ってやってるんだぜ”と続けた。 「アイツと関ると、眩暈がするくらいバカをみるぞ」 「え…ええ〜?どういうこと?」 「忠告はしたからな。行くぞ、樺地。」 そう言って樺地くんと去っていった。 「な、なんだよそれ」 今のは、けん制…だろうか? 「酷いでしょ、いつもああなんですよ」 こめかみを押さえて安積さんがこちらへ戻ってきた。 よっぽど痛かったのか涙目になっている。 …かわいそうに。 「日常的にあんなことされてるの?」 「はい。」 信じられない。 跡部くんって紳士の国育ちじゃなかったっけ? 砕けた口調で話すけど、物腰は優雅で育ちの良さがにじみ出てる彼が女の子にあんなことするなんてイメージじゃなかった。 あんな…猛獣使いがトラやライオンをしつけるみたいな、あんな… 「いつか裁判起こして跡部ん家の財産根こそぎ頂いてやる」 「へ?」 驚いて声のした方へ視線をやると、安積さんが慌てて手を振った。 「いっいえ!何でもありません!」 気のせいか、聞こえ間違いだろう。と、自分を納得させる。 すると、安積さんはオレの顔をジーッと見つめてきた。 「な、なに?」 「いえ…」 パッと視線を逸らし、テーブルを拭き始めるさん。 時々顔を上げてはチラチラとオレの顔を見る。 (なに?なに?なに?) 明らかに挙動不審な彼女に、心の期待値がグングン急上昇。 「あ、あの…」 手は動かしたまま、安積さんはオレに話しかける。 「千石さん…あのお話しませんか?」 「え…」 「千石さんのこと色々知りたいんです…」 やっぱり。 これって…イケるんじゃない? 彼女、オレに気があるんじゃない?? 手を握るどころか、うまくいけばそれ以上の大人の階段上れちゃうんじゃないの…オレ。 「いいよ、いいよ!大歓迎だよ〜!」 「ありがとうございます」 「オレも安積さんとお話したいな〜ってずっと思ってたんだ!」 「本当ですか?嬉しい」 そう言って微笑んだ安積さんは本当に可愛くって。 氷帝が羨ましい…いいなァ、女の子のマネージャー。 うちの壇くんもカワイイけど、男だからね〜。 デレデレ鼻の下の伸びてるオレに、安積さんは人差し指を立てた。 「じゃあ、質問」 「うんうん、なんでも聞いて」 安積さんの質問だったらなんだって答えちゃうよぉ! 「ホクロの数はいくつですか?」 ………え? 「ホクロ?」 「はい」 「誕生日とか、星座とかは答えなくていいの?」 「11月25日のいて座のO型ですよね」 うん、そう。 よく知ってるね、オレ話したっけ? 「じゃなくて、ホクロの数が知りたいんです」 「いや…数えたことないから…わからないなぁ」 オレがそう言うと、安積さんは心の底から残念そうな顔をした。 どうしてそんなことが知りたいんだろう。 ホクロ占いとかに凝ってるのかな…? うん、きっとそうだろう。と、また自分を納得させる。 「じゃあ次の質問です」 「う、うん」 気を取り直して。 さあ、来い!とオレは両手を広げた。 「平熱は何度ですか?」 …………。 「身長とか体重じゃなくて?」 「170センチの59キロですよね」 「そう…だけど。」 だから、どうして知ってるの? 彼女はこの質問を本気で尋ねているの? それとも何か気の利いたジョークで返さなきゃいけないのかな? 「ガチですよ」 オレの思考を読み取ったのか、安積さんは真剣な顔で言う。 平熱?平熱ね…え〜と… 「36℃くらいかなぁ」 「くらいじゃなくて、小数点以下が知りたいんです」 本気だ、本気の目で彼女は言っている。 「なんなら測ってみてくれませんか?」 そう言ってポケットの中から体温計を取り出し差し出す。 彼女はどうしてこんなものを常備してるんだろう。 そして、なぜ、オレの平熱を小数点以下まで知りたいの? 後ずさるオレに、ジリジリ詰め寄る安積さん。 「測ってって…いま?」 「はい、ここで」 跡部くん、たしかに… 「千石さんのこと…知りたいから…」 顔を赤らめ潤んだ瞳でオレに近づくさんは可愛い。 カワイイ、カワイイ…んだけど、だけどね。 「ここで体温を測ってください」 なんか、この子… 「千石」 ポンと肩を叩かれて振り向くとそこには海側のリーダーが立っていた。 「あ、跡部くぅん…」 親猫を見つけた子猫のように俺は彼の名を呼ぶ。 (あのね、この子…なんだか…) 跡部くんはゆっくりと頷き、もう一度オレの肩を叩いた。 「お前が今、感じていることが真実だ」 「あの子、変なんだよォ…」 皆まで言うな、と目で言ったあと跡部くんは 「お前は作業が終わるまで私語厳禁だ!!」 「ぎゃ〜〜〜〜!!」 安積さんに強烈なアイアンクローを再びお見舞いした。 *********** その夜、ロッジにて。 二階建てベッドの下段へと俺は話しかけた。 「南、氷帝はマネージャーに過保護なんかじゃなかったよ」 「は?」 「跡部くんはよくやってるよ」 地平線に沈む夕日をバックに、女子マネージャーにアイアンクローを食らわせていた氷帝の部長。 彼はあれを”氷帝のしつけ”と言っていた。 たぶん、彼が彼女を自分のロッジに泊まらせると言ってきかなかったのも、それが理由なんじゃないだろうか。 「俺もそう思う。」 南はそう言うと、ベッドの二階部分で寝るオレの元へとやって来て、 「千石、悪い事は言わない。安積にだけは手を出すな」 「ど、どうしたの?南?」 青い顔をしてブルブルと震えだす、我が部長。 ごくり、生唾を呑み込んで南は怪談話みたく、ヒソヒソ話始めた。 「米が炊けたあと、安積が近づいてきてさ…」 「うん…?」 「山側の差し入れにオニギリを作りたいんですって言うから分けてやったんだけど…」 「うん」 「あいつの作ったオニギリ…もぞもぞ動くんだ」 は? 「中から”ジジジジ…”って音がするし」 音がするオニギリ? 「ルドルフの赤澤なんか”イリュージョンだ”って真っ青な顔して逃げていくし…」 …どういうこと?と言おうとして、やめた。 跡部くんの言葉を思い出したのだ。 『アイツと関ると、眩暈がするくらいバカをみるぞ』 俺と南は顔を見合わせ、それ以上考えることをやめた。 そして窓の向こう、海側リーダーとそのマネージャーが泊まるロッジの光を見つめ、南の一言。 「安積をきちんと管理してる跡部は本当に偉いと思う」 ……だね。 あ〜あ、でもカワイイんだよなぁ…安積さん。 手を握るくらいはしてみたいなぁ。 prev / next 拍手 しおりを挟む [ 目次へ戻る ] [ Topへ戻る ] |