コンラートの場合



目を覚ましても、ベッドから動けない生活は、とても退屈でつまらなかった。心が晴れないのはそれだけじゃない。

身じろぎする度に、体が悲鳴を上げる。灯りをつけるのも億劫で、薄暗い自室は、心なしかじめじめしていた。カーテンも閉じて、朝なのか昼なのか夜なのか判らない生活を送っている。

こんな堕落したこの部屋の主の元にやって来る物好きは、衛生兵のギーゼラと、


「コンラート、生きてるか〜」


悪友でルッテンブルク師団に志願までしてくれたグリエ・ヨザックだ。

コイツ、俺と同じくらい酷い怪我をしてるくせに、足を怪我してないからか毎日のようにやって来る。彼の訪問により、一日経ったのかと知るのだ。俺もヨザックも包帯まみれ。


「残念ながら生きてる」


ヨザックが、俺の様子を生きながらに死んでいると心配して毎日来ているのだと、俺は彼の心中を知らなかった。ただ毎日飽きずに来て、暇な奴だと思っていた。正直、放っておいて欲しかった。何も考えたくなかった。

ギーゼラは朝晩と包帯を代えに来る。

二人の訪問に、俺は何も言葉を発しない。なのに二人は飽きずにやって来る。

この二人が俺に持ってくる外の何気ない情報は、俺に絶望しか与えない。俺達以外に、生き残りがいたとかはまだいい。嬉しい情報だから。

ヨザックと同じくらい大切になった親友――フォンウィンコット卿スザナ・ジュリアの訃報に、生まれて初めて大きな絶望を味わった。だというのに…。


「――ウェラー卿、いるの?起きてる?」


二人の口から出る事のない名前、一番聞きたい名前――…ヒジカタサクラの名前が出ないのは、どういう事なのだろう。

彼等がやって来る度に、サクラはまだ血盟城に帰って来てないのだと雰囲気で感じ取り、落胆するわけで。本当に放っておいて欲しかった。

一人になった時間もサクラの事を考えている。一人で考えるだけならまだ希望が持てる…だが、他者から読み取れる情報からあれこれ考えるて得られるのはやっぱり絶望感だけ。


「ブレット卿、みたいだな。――どうする?」


丁度、ギーゼラに包帯を代えてもらった直後だったから、入って来ても困らない。それに、彼女が何の話をしに来たのかもう判ってるから。


「……」

「……」


心身共に過酷な戦場から、今でも生きて帰って来れたのが嘘のようで。

朝起きても、日中も、夜寝る時も寝ている最中も、ずっと俺が斬った敵の悲鳴や仲間の悲鳴が耳を劈く。耳に残っているんだ。

生きているのがおかしいほど狂ってるあの中で、サクラと会話した記憶も鮮明に脳裏に残ってる――彼女と話したのは俺の妄想だったんじゃないかと今になって思う。思いたかった。

だが、俺の手が強く握りしめていたという彼女の斬魄刀…の片方の青龍は、今も俺が持っている。

俺達よりも後方にいたというサクラは、わざわざ俺に会いに来た、ヨザックが俺を見付けてくれた時は俺は一人だったらしいので先に帰ってるかと思っていたのに。彼女が俺に残した青龍と会いに来た理由を考えて、更に落ち込む。

そもそも俺とそんなに親しくないブレット卿オリーヴが、サクラがいない時に俺を尋ねてくるなんて、もう嫌な予感しかない。

ヨザックが開けた扉から姿を見せたオリーヴは、


「サクラ様の安否についてだけど、」


空気を読んで退出しようとしたギーゼラとヨザックを手で制して、一緒に訊いてくれと、重々しく口を開いた。その続きを訊きたくないと、頭が警報を鳴らす。

ギーゼラとヨザックもぴくりと反応しているのを、視界の端で捉えつつ、オリーヴが放つ言葉を待った。


「サクラ様はお亡くなりになりました」


「――ぇ、」と、ギーゼラは目を見開かせ、ヨザックは息を呑んだ。

毎日、城門を眺めるという奇行に走っていたオリーヴの姿を一度は見ていたから、まさかとは思っていたがと、ヨザックは瞼を伏せた。ブレット卿とコンラートの様子が痛々しくて、見てられない。

俺は、真っ直ぐこちらを見て来るオリーヴから窓の外に視線を逸らした。風に揺られて、梢がゆらゆらと上下している。

旅立つ時も、戦場でも、生きて帰って来いと言っておきながら、当の本人はここにはいない。そんな現実認めたくなかった。

悲しみに暮れながらも地に足をしっかりとつけているオリーヴの姿なんか見たくなくて。言葉という名の反応を返さなかった。


「貴方、サクラ様の最期を見たんじゃないの?――…っ!それは」


息を呑む音がして、目を室内に戻す。と、オリーヴが自分の手元を凝視しているのを目に留めて、何の感慨もなくそうだったと一人ごちる。

彼女の視線に誘導されて、ヨザックとギーゼラの眼もソレに向けられる。俺がこれを持っていたのを、ヨザックは俺が気絶してても放さなかったのを笑い話として俺に聴かせてくれたから知っているし、もちろん治療してくれたギーゼラも知っている。


「サクラ様の斬魄刀ッ」


オリーヴは、深い青の鞘に収まっている刀を眼にして、歓喜した。

フォンヴォルテール卿の言っていた事は、本当のことになるかもしれない。

あの刀は、サクラ様の力を元にして作られたと仰っていたから、彼女が亡くなっているのにそれがあるという事実は、いつか彼女の魂がまたこの世に現れると言う事を示している。

そんな奇蹟みたいな物語、起こり得るはずないのに――…その奇蹟に縋りつきたくなるのは、彼女が覚醒してなくても漆黒の姫で、眞王陛下と同じくらい規則外で伝説な方だから。


「ウェラー卿!」

「……」

「ウェラー卿は、漆黒の姫の使命についてご存じ?」


俺は無表情で、意味不明な発言をし始めたオリーヴを見遣った。

俺の兄から聞いて調べたという内容をべらべらと俺に喋るオリーヴから、俺はまた窓の外へ視線を逸らした。ヨザックとギーゼラから心配そうに見られたけど、俺にはどうでもよかった。

漆黒の姫にしか扱えない“箱”があるからといって、次に現れる漆黒の姫がサクラだとは限らないじゃないか。

サクラがサクラでなくなれば、俺の心には届かない。俺が好きになったサクラじゃないのだから。


べらべらと喋り続けるオリーヴの声を音楽に、俺はサクラを思い浮かべる。


――俺は嬉しかったんだ。

サクラだけが俺を応援してくれて、混血の者達の無実を信じてくれて帰って来てと言ってくれたサクラを愛おしいと再確認したんだ。

もしも、帰って来れたら、混血の者達の居場所を作る事に成功出来たら――…その時、俺はサクラにもう一度想いを伝えようと心に決めていた。


初めて恋をした。初めて愛を知った。

生きる喜びを俺に教えてくれた掛け替えのない彼女を、守りたいと思った。これからもずっと。



『さよなら』



朦朧とする意識の中で聴こえた彼女の声を、俺は確かに覚えてる。

忘れないように、目を閉じれば鮮明に思い出せるように――鼓膜に刻み込めて。死した者を残された者達が忘れる時、一番最初に思い出せなくなるのは声なのだと――…いつだったか何かの本で読んだ。


――サクラはずるい。

俺のこの想いを受け止めておいて、俺に愛する感情をくれたくせに、いなくなる。

あの口ぶりからして、サクラは自分の最期を覚悟していたのだろう。ジュリアのように、死体が誰にも見つからないように、ひっそりと死ぬために。

最期に俺に逢いに来てくれたのを、俺は嬉しいと思えばいいのか?





愛する…愛していた者の死に、全く表情を変えないウェラー卿コンラートのその姿は、まるで人形のようで。

サクラと親しくしていたウェラー卿を疎んでいたオリーヴも、親友のヨザックも、上官を通じて少なからず彼を知っていたギーゼラも、見てられず。

一人、また一人と、虚ろな目で窓から見える景色を見つめたままのウェラー卿コンラートに一言かけ、退室した。誰が何を言ったのかは、コンラートの耳に入って来なかった。





 □■□■□■□



心の支えを失った俺は、荒れるに荒れた生活を送っていた。

城の何処にいてもサクラの名残を見付けて、その度に泣いて。彼女の死を突きつけられて、認めたくなかったのに、いつしかサクラの死を受け入れていた。

愛を知った俺は、サクラの温かさを知った俺は――…彼女がいないと、心が真冬のように冷えたままだった。

死んだサクラと、生き残った俺。

辛くて、サクラを忘れたくなって、近寄ってくる適当な女と遊んだ。

眼に映る全てが滑稽だった。この体に流れる血を疎ましく思っていた奴等が手の平を返して“英雄”となった俺に近寄ってくる。好きだと言って来る女達もそうだ、“英雄”となった俺しか見てない。

結局は誰も俺を見てくれなくて――…期待して勝手に落胆して、サクラの影を追い求める。それの繰り返しだった。



心がどんどん擦り減っていく。そんな時だった、俺が眞王廟へと呼ばれたのは。



「どういう…意味ですか」


フォンウィンコット卿スザナ・ジュリアの魂を託された。

詳しく訊くと、ジュリアが俺を魂の運び人に選んでくれたらしく、ジュリアは自ら次代の魔王陛下になる為に死を選んだのだと真実を知り、俺は何も知らなかったのだと思い知らされた。


「スザナ・ジュリアは全てを知っていました。ヒジカタサクラも、彼女にご自身の秘密を打ち明けていた」

「…秘密?」

「この時代のサクラ様はいません」

「死んだからな」

「いいえ。……そうですねこの時代のサクラ様はお亡くなりになりました、と表現するのが正しいのかもしれません」


ウルリーケが奏でる言葉の羅列は、なぞなぞのように俺の耳に届く。言っている意味が判らなかった。


「ヒジカタサクラは眞王陛下により呼ばれましたが、今回は“漆黒の姫”として覚醒はしませんでした」

「……」

「眞王陛下はお応え下さらなかったですが……漆黒の姫はこの先、必ず現われます」


役目を終えてませんからね…と続けたウルリーケに、俺は息を呑んだ。


「それって」

「ウェラー卿、全てに絶望して死ぬのはまだ早いですよ」


そして俺は、生きる意味を二つ手に入れた。

サクラの代わりに、ジュリアの魂をチキュウへと運び、次代の魔王陛下の成長を見届ける事。

二つ目は、何年経とうが、何十年経とうが、何百年経とうが――…漆黒の姫としてやって来るサクラを待つこと。

次にやって来る漆黒の姫は、ジュリアの魂のように、俺が知るサクラではないかもしれないけど…魂は変わらないんだ。姿は変わっても、サクラに逢いたいと思い始めていた。





それから月日は流れ――…。

誰もがウェラー卿コンラートを称えることに疑問を抱かなくなった頃。王城から姿を消していた彼が、人当たりの良い笑みを湛えて戻って来た。

戦争中では考えられないが、城に仕えていた誰もがそれこそ貴族達も、彼が戻って来たのを快く迎えて、ヴォルフラムやグウェンダルは、辛気臭い表情じゃなく笑みを見せるようになったコンラートを見て、衝撃を受けたのだった。

誰も知らない、コンラートが、スザナ・ジュリアの魂をチキュウへ運んだ事を。

ヴォルフラムとグウェンダルやヨザックなど親しい者達以外は気付かなかった、爽やかな笑みを見せるあの笑顔は、一種の拒絶なのだと。人間関係を円滑にするためのものだと。笑みを見せるようになっても、コンラートの本質は変わってない。

然し、絶望に染まっていた頃の影はどこにもなくて。ヨザックは、そっと肩の力を抜いた。

コンラートにその爽やかな笑みでダジャレを言われて、背筋が凍る思いもしたのだが――…恐らく本人の与り知らぬ事なのだろう。

その肌寒さは、コンラートがとりあえず正常に戻ってくれた嬉しさに隠れたのだった。だからとりあえず、以前は決して言わなかったダジャレを誰に教わったのか訊かないことにした。


「サクラ、お帰り。貴方の魂の在るべき場所へ」


二十七代目魔王陛下渋谷有利と、遅れて戻って来た土方サクラの二人の姿に、コンラートはやっと前へ進めると人知れず思った。

サクラの前では、とろける笑みを見せるコンラートが、実はサクラが好きだと言っていた故人のジュリアを思い描いて、笑顔を作る練習をしていたとは知らず。

笑顔の裏にある黒いものがジュリアから受け継がれたなんて事は――…サクラが過去へと飛び立って初めて勘付くのである。





こうして長年のコンラートの努力は報われたのだった。



コンラートの場合

(記憶がなくても)
(俺の事を憶えてなくても――…)
(君たち二人が並ぶ姿を見て)
(俺は幸せだと感じた)

END

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