オリーヴの場合



血を重んじる貴族達の間で、目の上のたんこぶだった――ウェラー卿コンラート。

この戦争中に“卿”を与えられ、彼の母親が魔王であるのにも関わらず疎まれていた彼は、皮肉にも国を救うという素晴らしい功績を残した。

人間と魔族の混血だと幼少期の頃から差別を受けていた彼を、民も貴族も彼を称え――…混血だと蔑む人はいなくなった。少数は、忌々しく思っている貴族もいるのだろうが、終戦に持ち込んだ彼の批判の言葉などは表立って言えない。


「……」


ルッテンブルク師団の生き残りが帰って来て、どれくらいの時間が経っただろうか。

ウェラー卿を快く思ってなかった者達が手の平を返したように、大怪我を覆いながらも帰還した彼を見て歓喜の声を上げていた。

ブレット卿オリーヴはなんの感情も籠らない瞳で、嗚呼…生きていたのかと治療を受けるウェラー卿を見送ったのは恐らく数日前の事。


「――ブレット卿オリーヴ」

「(もう…潮時なのね…、)」


城門が見える建物内にずっと立ち続けて、毎日この男に声をかけられる。

過酷な前線にいた生き残り達は既に帰還している。それでもここに立ち続けているのは、敬愛するあの方の御帰りを信じて待っているから。

山吹隊の残りの者達は、バジル、ロッテ、クルミ、カール、ミケ、カンノーリ、ナツの順に既に帰って来ている。ルッテンブルク師団の生き残りよりも早く帰還している。

山吹隊よりも早くフォンヴォルテール卿などの部隊は撤退したようで、あたしが帰って来たときには、既に城にその姿があった。門から視線を逸らし、ゆっくりと振り返る。


「今日もそこで何をしている」


そう尋ねたフォンヴォルテール卿グウェンダルにも、彼女が誰を待っているのか判り切っていた。

振り返った能面のような暗いピンク色の瞳とグウェンダルの深い青色が絡まり合う。さわッーと乾いた風が、二人の髪を揺らした。

魔王陛下に代わり摂政を務めていたフォンシュピッツヴェーグ卿の失墜も、今となってはどうでもいい事だった。


「……お前の上司…帰って来ないな」


暫しの沈黙の後、グウェンダルは口火を切った。

低い声で紡がれたその言葉に、あたしは初めて能面のような表情を動かして。ポケットに手を突っ込んだ――…そして躊躇うようにフォンヴォルテール卿の前へと差し出したのだ。

懐紙に包まれたソレを眼にして、言葉を失う。


「これは…」

「見て判るでしょ、サクラ様の…髪だったものよ」

「……それはつまり…」

「えぇ。サクラ様はお亡くなりに……なったわ」


グウェンダルの手の平には、白い懐紙から“黒”が覗いており、このところ彼女の様子から最悪な状況を想像していたのに、言葉が出なかった。

沈黙を突き破ったのは、感情が欠落した表情をしているあたしでもフォンヴォルテール卿でもなく、



カタンッ


「今のお話…本当ですかッ!?」


話を訊いていたらしいグウェンダルの一番下の弟――フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムだった。

二人の視線に晒されても怯まず、どうなのですかとあたしと彼の兄の二人に詰め寄り、あたしに黙ったまま頷かれ――…ヴォルフラムの緑の瞳に映る光が激しく揺れた。


取り乱していたのが嘘のように、何も言わずよろよろと去っていく。


二人はいっぱいっぱいで、その背中に言葉をかける余裕がなくて。

残された二人の間に再び沈黙が流れた。



「……サクラの…漆黒の姫の最期は、」

「あたしが見届けた。詳しくは言わない」


グウェンダルは、そうかとだけ呟いた。

敬愛する主が死んでると知っていながら、帰って来るのを毎日毎日飽きずに待っていたのか――そう問いたくて。問えば、彼女を傷つけると知っているから音にはしなかったが。

逝ってしまった彼女と、残されたオリーヴの心中を察して、グウェンダルの心にも影が落ちる。

サクラは、正直怪我一つなく帰って来ると信じて疑わなかっただけに、訃報は寝耳に水で衝撃だった。この戦いで失ったものは大きい、と。その科白だけで片付けるには、心が追いつかなかった。

これから訪れる平和な明るい未来と、英雄の誕生に、喜んでいる城内は――…この訃報に、哀しみに満ちるだろう。民衆も。その様子がグウェンダルの脳裏に鮮明にイメージ出来た。


「オリーヴ、お前は知っているか」


確証もないのにこれを告げるのはどうかと思ったが…。

悲しみに暮れるだけならいい、だが絶望に染まって、後を追うやもしれないオリーヴを放っておけなかった。

口を開いたグウェンダルに、オリーヴは眉を上げた。


「――漆黒の姫の使命を」

「…ぇ、しっこくの姫の…しめい?」

「あぁ。古い文献にも詳しい事は書かれてなかったが、」

「遥かその昔、眞王陛下と大賢者と共に世界を救った――そう訊いてるけど、サクラ様とは別の御方でしょう?」

「……漆黒の姫について調べてみたら、一緒に必ず開けてはならない“箱”について記載されている」

「!」

「“箱”がある限り、漆黒の姫は眞魔国に再び現れるだろう」


……それが、私達が生きている間にとは限らないが。

サクラには漆黒の姫の記憶はなかった。漆黒の姫に扱える箱、それがある限り、次に現れる姫はサクラではないかもしれないけれど、必ず姫は現れる。

みるみると彼女の瞳に、希望の光が宿るのを見て、グウェンダルはほっと小さく息を零した。


「私は、本格的に政権を伯父から奪うつもりだ」

「…それあたしなんかに言ってもいいの?」

「だからお前もしっかり前を向いて歩け」

「あたしは…、」

「サクラもそれを望んでいるのではないか?私にいろんなことを気付かせてくれたサクラなら、きっとそれを望んでる」

「サクラ様は…あたしに山吹隊を頼むと」


人間と魔族の混血達を差別せず、一介の兵士やメイドなど分け隔てなく接していたサクラは――…城内に仕えている者達から人気だった。彼女の死は誰もが悲しむ。

サクラがいないと生きていけないと断言しそうなオリーヴは…もうこの様子だと大丈夫だろう。サクラは自ら命を絶つ行為を嫌っていた、誰よりも長い時間一緒にいたオリーヴが知らないはずないから。


「それならすべき事は決まっているではないか。……他の者には伝えたのか?」


後、先程絶望していたヴォルフラム。末弟もなんだかんだ言ってサクラを慕っていたから、彼女の死を受け止めるに時間がかかるだろう。

コンラートは……次弟とサクラは、恋仲なのではと噂されていた。噂の真意は知れないけれど、コンラートはサクラに好意を寄せいていた、それは真実だろうとグウェンダルは睨んでいる。


「それは…まだだけど…」

「(問題は…コンラートの奴だな)」



――奴は、果たして立ち直れるのか。

見る者全て敵だと、触れば牙を向いていたコンラートは、サクラの前だと尖っていた雰囲気が柔らかくなっていた。あんな穏やかな表情をするコンラートは見た事がない。

彼の悪友であるグリエ・ヨザックの前でさえしかめっ面が常なのに。グリエの前だと肩肘を張らないコンラートでも、柔らかくなる事はなかったのだ。

ああようやく彼にも心の拠り所が出来たのだなと遠くから見守っていた。それなのに、これはない。


「そうね、そうよね!」


仲の良かったスザナ・ジュリアの死を訊いて。

更に、愛しい存在まで奪われた次弟は、一体何を思うのだろうか――…。想像するのが怖かった。


「あたし決めたわ!サクラ様から直々に託されたんだもの。山吹隊、存続させる」


純血のグウェンダルは、冷たい視線を受ける次弟を助けようともしなかったし、歳を重ねるにつれどんどんと距離が離れた。気付いていながらも、遠のいた距離を縮めようと努力をしなかった。

そんな薄情な自分が今更、兄貴面していいものだろうか。冷たい眼で見られても、今度はコンラートの手を放したくないと思った。然し、距離の縮め方などわからない。


「とは言え、あたしについて来てくれるかは判らないけどね」


そう言って苦笑したオリーヴの顔は晴れやかだった。

まだまだ悲しみに押しつぶされているだろうに、懸命に前を向こうとしている彼女に、グウェンダルは頷いた。

正直、サクラの死を聞いてもしっくり来ないのは、グウェンダルの中でサクラが凛として何事にも揺るぎない精神の持ち主だったからだろう。今でも信じられない。

これからの生活で、ふとした瞬間に彼女がいない現実を痛感していくのだろう。これまで失った部下達のように。


「フォンヴォルテール卿」


グウェンダルは思考に耽っていたため、オリーヴに名前を呼ばれてから返事をするまで、少し間があった。なんだとだけ短く返す。


「ウェラー卿にはあたしから話すわ。訊きたいこともあるから…サクラ様の事はあたしから話す」

「……わかった」

「安心しなさい。死なせないし、何処ぞの男みたいに出奔はさせないから」


頼もしいオリーヴの科白に、グウェンダルは頷いた。





 □■□■□■□



「――聞いてたの?」


嘗ての上司に背を向けて、カツカツと軍靴を鳴らして曲がった角で。

壁に背を預けているランズベリー・ロッテと、カールにミケ。彼等と向かい合うように反対の壁に腕を組んで立っているランズベリー・クルミと、スコーン卿バジル。通路の真ん中にいてあたしを通さないようにしているナツとカンノーリ。

隊長であるサクラ様以外が生き残った山吹隊。


「おかしいとは思ってたんスよ、撤退しろと伝えに来たのが姫ボスでなくて…、」

「…………白虎だった」

「御自身の死期を悟っていたんですかね」


ロッテが口火を切って、バジルが言葉尻を拾い、ミケが悲しそうにそう言った。

あたしは、灯が消えたような彼等を見渡して、どうするか尋ねる。話を訊いていたのなら、説明する手間が省けた。


「あたしはこれから漆黒の姫について調べて、生涯をそれに注ぐつもりだけど、貴方達はどうする」

「もちろん山吹隊にいるに決まってんだろ」


迷うことなく言い切ったクルミに、全員が頷いていて。

サクラ様によって結成された部隊が、このまま残され形になっているのを見て――…あたしはなんだか涙が出た。サクラ様が亡くなって、現実を認めたくなかったのに。

サクラ様…御自身がいなくなってもあたし達が生きていけるようにしてくれたのだと、気付いてしまい、更に泣けた。


――あたしが生きる目的を持てるように、この隊を任せてくれたんだわ。

故郷を失ったカンノーリの為に、隊に自ら志願したロッテ達の為に、最年少のナツの為に。サクラ様は、今この瞬間の未来のことも考えて戦ってくれていたのね。知らずにのうのうと生きていた過去のあたしが憎い。


「あ、でも隊長不在だから、部隊として機能させることはないから……表向きは解散って形になるかしら」


怪訝な視線が突き刺さる。


「サクラ様の意思は受け継ぐ。もしも眞魔国に危機が訪れた時はすぐに駆けつける、鍛錬は怠らない。そうね…鍛錬するために、日にちを決めて集まりましょう」

「…その他は各々自由にって?」


ロッテに頷く。

サクラ様は、カンノーリに自由になって欲しがっていた、ナツにも家に帰って欲しいと願っていた。


「漆黒の姫について調べんじゃねぇのか?」

「もちろん調べるわ。全員、それぞれのやり方でね。――好きに動いていいわよ。何処かに潜入してもいいし、表向きはメイドで忍んでもいい」


なるほどと呟くバジルの声がした。ナツ以外が、あたしの言いたいことを理解したみたい。


「せっかく訪れた待望の平和だもの……好きに生きて」


あたしとクルミとロッテは血盟城に居座り、シュトッフェル達が何か仕出かさないよう目を光らせ、カンノーリもメイドとして城に残ることになって。

カールとミケの二人は、バタールの復興に力を入れれつつ、バジルはいろんな国を放浪することになり、ナツは一旦家へと返し、家から城へ行き来する日々が続いた。

それぞれが、得意分野を活かしつつ漆黒の姫についての情報を集め始めて――…。





そして約二十年後、あたし達は奇蹟を目撃した。

希望を捨てなくてよかった。

記憶がなくても変わりない御姿で生まれ変わった貴女に再会できて――…山吹隊のあたし達は、静かに涙するのだ。



オリーヴの場合

(気の長くなるような年数だったけど)
(信じて待っていて良かった)
(サクラ様…おかえりなさい)

END

[ prev next ]

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -