※箱云々の話が終わった未来の話になります。
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波に揺られてるように、ゆらゆらと。
蜃気楼のように、ゆらゆらと、意識が浮上しないで流されるままに、辿り着いたそこは――…血盟城だった。
瞼を開けて、ぼんやりとしてる思考がはっきりとしてきた頃、既に城内にオレオはいた。
〈俺はどうしてここに――…〉
ここに立つ前は何をしていたんだっけと考えて、そこで初めて自分が死んだのだと知る。
〈そうだ。俺は、敵に斬られて…〉
段々と記憶が頭に流れ込んで、オレオは全てを理解して。透けている身体を見下ろした。
〈平和になったんだな〉
回廊をすれ違うメイド達が、笑顔で挨拶をし合ってる。
一般兵士もまた、彼女達に挨拶をして、警備をしていて。昔では考えられない仲の良さに、オレオはここは王城だよなと自問自答した。
どこもかしこも笑顔で溢れていて、あれ?これは俺の願望を見てるのか?これが天国という所なのではと馬鹿な考えまでしてしまう。
だが直ぐに、メイドも兵士達も、オレオに気付かず通り過ぎるのを見て、やっぱり違うかと苦笑した。彼等には自分にはない影があるではないか。それがとても羨ましかった。
『そこで何をしておるのだ?』
――死んだんなら俺はどうしてここにいるんだ。
誰にも気付かれず、このまま孤独を味わうのかと、恐怖した瞬間――…透き通る声がした。
振り返ったオレオの視界に、映り込んだのは、この世のものとは思えない、少し幼さが残る美しいメイドだった。
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――今日は朝から絶好調だ。
コンラッドのやつに突撃される前に、己自ら起きれたし!朝食の場も、ヴォルフラムがぷりぷりせずに終わったし!
書類の期限も今日中にしなければならぬという緊急なのはない故、実に有意義な日である。明日、明後日の期限のは知らぬぞー明日やろう、うぬ。午前中、閉じこもって頑張ったものー!少しはサボっていいではないかー。
『ふんふーん』
山吹隊のという名の護衛達は、巻いて来た。
最近メイドの仕事を手伝ってはないなーなんて考えて。思い立ったが吉日だー!と、早速隠し持っていたメイド服に着替えて、活き活きとスキップする勢いで鼻歌を口ずさんでおったら――…私は、見付けてしまったのだ。
『そこで何をしておるのだ?』
うろうろと彷徨う魂魄のを目に留めてしまった。
元死神としては…否、死神は捨てておらぬけど、で、ソレを見て見ぬふりなど出来ず、声をかけたわけで。肩を落としておった軍服を身にまとっている男性が、振り返って私と視線がかち合う。目を見開く彼を、冷静に見つめた。
ボロボロの軍服に、真っ赤な血…首にも一筋血の跡がある。……斬首されたのか。
〈……ぇ、〉
『貴様に問うておるのだ』
〈え、俺?俺のこと視えるのッ!?幽霊になっちゃったのに!?〉
『ほうほう。貴様は、自覚しておるのか。なら話は早いな』
中には、自分が死んでると知らずに彷徨う霊もいるから、此方から質問するのは勇気がいる為、内心ほっとする。
〈お前、すげぇな。なに普段から、幽霊とか視えたりすんの?すげぇな、怖くね?夜とか会ったら怖くねぇ?〉
『別に怖くはない。だから貴様とも話しておろうが、莫迦者め』
――よく喋る男だな。
こやつの軍服から察するに、シュトッフェルの部下だったヤツだな。ならば、純血主義の貴族か。
〈なぁお前メイドだろ。死者でも俺、一応貴族なんだぜ〉
『敬えと?』
嗚呼、やはり純血主義の奴だったか。私は、隠すことなくしかめっ面をしてみせた。
ムッと面白くなさそうな顔をする男がそのつもりなら、あの世へ誘導などしてやらぬぞ。そう心の中で悪態を吐く。心残りの手伝いをしてやろうと思ったのになー…。
『霊になって彷徨ってるなら、心残りがあるのだろうと親切で声をかけたのだが……いらぬお世話だったな』
〈あ。おいおい待てよ。怒っちゃった?ごめーん。生きてるヤツが羨ましくってさぁ〉
『………で、心残りはなんだ』
そう言われてもねぇとのんびり思案する男に、ひっそりと嘆息した。彼の所作にイラッとするのだが、私よ我慢だ、我慢。
彼が一瞬難しい表情を浮かべたのを私は見逃さなかった。
『あるのだな、心残り』
〈俺、恋人がいたんだ。親に決められていた婚約者じゃなくて、お前と同じメイドの恋人〉
――恋人…がいたのか。
残す方も、残される方も辛い。どちらも経験してる私は、彼の痛みが良く理解できた。暗い顔で無理に笑みを作る目の前の男は、見てて痛々しい。
『ぁ』
見てられなくて目を逸らした先にちょうどいた魔王陛下ことユーリと視線がばちッと合った。
〈ん?っ!双黒ッ!?〉
「そんなところで何してんのー」
パアァーと顔を輝かせて近寄ってくるユーリに、私が霊と話してるところを見られておらぬかったと小さく息を零す。見られてたら、アレだもんなー。私が一人で空中に向かって喋ってるようにしか見えぬもんなー変人にしか見えぬよね。
横で驚いている霊に、小首を傾げる。
黒なら私とて…と考えてふと気付く、そうだった。私ってば、今変装中で。茶髪に青のカラコンを入れてるのだった、すっかりぽんと忘れておったぞ。
『あーぼけ〜っとしてただけだぞ』
〈っ、おおまッ〉
『ユーリ、執務はどうした』
「え〜サボったー。そっちはどうなのさ。コンラッドが探してたってーのに」
『………えへ』
呆れた溜息を吐かないでおくれよー。
執務をサボって護衛を巻いたのは私と同じではないか。ユーリに半眼で仕方ないなって見つめられるのは、何だか解せぬ。
私が執務を投げ出す回数よりもユーリが外へ逃げ出す回数の方が断然多い気がするのだが、私の気のせいではないと思うぞ。
「…メイド?」
『うぬ。メイド』
「――ぁ、オリーヴとギュンターの声がする」
今日も汁を出してるのだろう泣いてるような声でユーリと己の名を叫んでるギュンターと、オリーヴの声に、ユーリと顔を見合わせて。
横から空気になってる霊の物言いたげな視線はそのままに。私とユーリは慌てて、二手に別れて、その場からとんずらしたのだった。
〈双黒、初めて見た。いやそれよりも、お前…〉
『うぬ?』
〈よく双黒にタメ口が利けたな。あ、そういやあ…残念ながら俺は一目見る事は叶わなかったけど、漆黒の姫様も双黒なんだぜ?お前見た事あるか?〉
『あー…』
〈一介のメイドのお前にはそんなありがてー機会はないか。あーあ俺の知らねー間に、双黒が増えて……ってさっきの少年は貴族?双黒なんだから、さぞかし身分が――…〉
『魔王だ』
ノンストップで喋るこやつに心なしか頭痛がして。遮ってやった。
〈ぇ、〉と、何を言われたのか判っておらぬ男の間抜けな表情といったら…ちょっと笑える。もう一度、ゆっくりと、『二十七代目魔王陛下だ』と教えた。
〈お、おおおおおおおおおまっ〉
『?なんだー?』
〈お前っ!陛下になんてっ不敬罪だぞッ!〉
何やら興奮気味の男をはいはいと流す。説明が面倒だ。早く心残りを話しておくれよ。
『貴様、早く心残りをだな、』
〈あ、あれから何年経ってるんだ?捕虜になっちまってた時、風の噂でルッテンブルク師団の手柄と漆黒の姫様の死を訊いたんだが……あれから何年経ってる?〉
『…二十年』
〈っ二十年ッ!?じゃあアイツ…もう王都に仕えてないかもしれねぇ。前は調理場で働いてたんだ。あーぁ……最期に見たかったな〉
悲しそうにそう言葉にした男を見て、私の胸がツキンッと痛みを感じて。妙な沈黙の後、恋人の名を尋ねた。
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〈っ、アイツまだ働いてたのか…、〉
『話しかけてみるか?』
〈いいよ。近くで見たら成仏できなくなっちまう〉
戦っている最中も、人間の軍人に捕虜として捕まっていた最中もずっと忘れたことなんてなかった。恋焦がれていた笑顔がそこにあった。
貴族じゃないから…とかじゃなく、俺と恋人の仲が両親に認めてもらえなかったのは、今目の前で笑っている恋人が人間と魔族の混血だったから。
今となっては反対されてて良かったのかもしれないと、そう思える。あのまま順調に交際が進んでいたら、恋人は独り残され未亡人になっている。恋人には、幸せになって欲しい。その想いは死んでからも変わらない。
『……そうか』
隣りから、俺が視えるという恐ろしいくらい顔が整っている女性の声で、赤いショートヘアーのメイドと笑い合っている恋人を凝視していた事に気付き、
〈叶うことなら…愛してるって、お前は俺のことなんか忘れて幸せに…なれって、…言いたかった…な、〉
そうぽつりと呟いた。
――あー…そういやあ、この子の名前を訊いてなかったな。
そう一考して、隣りに視線を向けようとしたその時…不意に恋人が此方に顔を向けて……そんな筈はないのに、目が合った錯覚に陥り、どくんッと心臓が跳ねた。
おかしいな、俺の心臓はもう機能してないのに。ひっそりと自嘲した。
視線の先で、パアァーっと顔を輝かせて、「サクラ様ッ」と駆け寄ってくる恋人から眼が離せない。…………ぇ?
〈(…ぇ、サクラって…)〉
「サクラ様!」
「サクラ様!またそのような格好をされて!ウェラー卿に言い付けちゃいますよ」
『う、ラザニア…それは止めておくれ』
――サクラ様って。えぇぇぇぇぇ!?
〈え、嘘。だって…、え、…髪、も…目も……え、ぇ〉
誰か嘘だと言ってくれ!
心の中で叫んでみたが、恋人と、彼女にラザニアと呼ばれたメイドに、“様”で敬われているのが、俺の否定して欲しい現実を肯定しているようなもので。頭の中は、ぐるぐると混乱していた。
嘘だろお。俺、かなりタメ口利いてた!
そりゃあそうだ、漆黒の姫なら双黒の陛下にだってタメ口利くって。ああああああ不敬罪は俺だってーの!いや、俺死んでるけど!
そうだったー!いつしか聞いたことがある!漆黒の姫様は、時折メイドや兵士に混じって仕事を手伝って下さるって!あー!髪染めてるのかッ!くッ!この世のものとは思えない黒髪を拝見したかった!
「あ、あのっ…サクラ様、」
『貴様は、』
「そうでした!サクラ様、このメイドはマロンっていうんです!」
「サクラ様っ、お会い出来て光栄です!――プティ・マロンと申します」
俺の恋人――マロンは、ブラウンの髪をゆらして微笑んだ。
隣りから…彼女が…いえ、サクラ様が、『マロン…栗…また美味しそうな…名前が……栗、』と、小さく呟かれてました。すみません、俺には意味が判らない御言葉でした。
『マロン……の、昔の恋人の名は、“オレオ”ではないか?』
〈なっ!…ごほんっ、…サクラ様、何を仰って……、〉
「そうですが…彼を知ってらっしゃったのですか?彼は、そのもう…」
『――マロン。遅くなったが、オレオから最期の言葉を受け取ってるのだが……訊くか?』
サクラ様の登場に、可愛く頬を染めていたマロンは、サクラ様の御言葉を聞き、みるみると目を見開かせた。
マロンの横に立っているラザニアと言う女性は、きょとんとしていたが。
俺は、捕虜にされて周りに仲間もいない状況の中、処刑されたから……俺の死は、直ぐには伝わってないだろう。けど、二十年という月日が流れている現在では、きっと家族もマロンも、俺が死んだと想像がついてるに違いない。
ほら、マロンのつぶらな瞳から滴が浮かんでる。知ってるんだ。
『“一人にさせて…ゴメン。俺の分も長く生きろよ。それから…ああそうだな、俺の事は忘れて……他の男に幸せにしてもらえ”』
ああっと顔を手で隠して泣くマロンに駆け寄りたいのに、出来ねえのが酷く悔しくて哀しい。
ふわふわなあの髪に指を滑らすのももう出来ねえんだ。だって俺はもう生きてないから。
『“マロン…今も昔も、ずっと愛してる。――あの世に一足先に行くけどよ、あっちから見守ってっから”』
どうか幸せになって
(最期の言葉を訊き、)
(静かに泣く恋人を瞼に焼き付けて、)
(俺は、サクラ様によって)
(時が止まった世界を後にした)
END