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――なんでこうなったんだろう…。

犬の散歩をしてる人や、ベンチに座る恋人同士、それから散歩してる老夫婦と、目の前には長閑な風景が広がっている。

私とリンさんは、麻衣に連れられて…リンさんはナルに呼び出されたらしいけど、公園に辿り着いた私を待っていたのは、よくも逃げようとしたなと悪魔のような眼光をしているナルだった。

滝川さんに適当に挨拶して、真砂子に久しぶりだと声を掛けた――…そうそこまでは良かった。

これも仕事なのだと割り切ってしまおうと、話を聞くと、これは真砂子がナルに持ち込んだ案件だったらしく、公園で起こる怪奇現象を解決するのが今回の調査内容らしい。


『いただきます』


隣りに座るリンさんに貰った缶コーヒーを開けて、一口飲んだ。手元から立つ湯気に、身体の芯まで温まるようだ。

リンさんも缶コーヒーを開けてる音がした。

外にいると肌寒いもんね…リンさんが飲み食いするって何か変な感じがるすけど…うん、リンさんも人間だったね。


『ふーぅ。…カップルを狙った怪奇現象ですか』


等間隔に設置されたベンチに、私とリンさんは座ってる。

斜め左先のベンチには真砂子とナルが、その前のベンチ…つまり、私とリンさんが座ってるベンチから少し離れた横にあるベンチに麻衣と滝川さんが座っていて、霊が現われるのを待っていた。


「ええ。水をかけられるらしいですね」


途中で合流した私は、詳しく内容を知らなかったため、ナルにリンに訊けと言われたのだ。曰く、二度も同じ説明を聞きたくなかったらしい。唯我独尊な奴め。

問題の内容は――…真砂子の知り合いのテレビ局の人からの依頼で、事の発端は、ドラマの撮影をこの公園でしていたら、妙な事件が度々起こり撮影が進まないので、真砂子に依頼が来たらしい。

雨でもないのに、とあるシーンに入ると必ず上から水が降ってくるのだとか。

それで調べてみると、半年前からこの公園では似たような事が起こってるらしく――…被害を受けた人は全てカップルなのだと。

で、真砂子が立てた作戦が、囮作戦だった。

うん…まあー現象が起こるのがそういったシーンって話だから、分かるんだけどねー。

真砂子は意気揚々とナルとペアを選び、麻衣が未練がましい眼差しを真砂子に送りながら渋々滝川さんを選んだので、必然的に残った私とリンさんがペアになったのだ。

真砂子と麻衣とナルの三角関係は傍観するには面白いけど、私まで巻き込まれるのは、ちょっと辛い。やっぱり厄介な調査だった。

持ち込んだのが真砂子でなければ、私はナルを無視して事務所に行ってる。

真砂子とナルの組み合わせは、自然で、両方とも容姿が整ってるから、眼福ものだけど。

リンさんと…囮だとしても、カップルの真似事なんて、出来ないって。こんなに気まずい事はないよね。リンさんには、なんかいろいろ暴言を吐いてる身としては、気まずい事この上ない。


『(恋人らしいことって…どんな会話をすればいいのよ……)』


私とリンさんでは、事務的な事しか会話が続かないような…。

だからと言って、私と滝川さん、麻衣とリンさんの組み合わせも、微妙だけどね。そう考えると、滝川さんの方が会話が広がらないか…リンさんで良かった。恋人らしい会話なんて思いつかないけど。


『すっかり秋めいてきましたねー』


ここ数か月で私の周りの環境はめまぐるしく変わった。

私が他人と混ざって事件解決を試みてるなんて、過去の私がみたら我が眼を疑うと思う。


――真砂子に今日事務所にいるのか聞かれたのはこれが理由ね。


「ええ」

『こんな中、水をかけられたら風邪を引きそう』


リンさんのふっと忍び笑った音と「そうですね」と頷く声が私の鼓膜を震わす。


「明るい内から霊は現われると思います?」

『んーどうでしょう…陽の力が強い時間帯に現れるとしたら、この地に余程強い思念を持ってる持ち主なんでしょう』

「世間のカップルに恨みを持つ者が?」


隣りに座るリンさんの口から、“カップル”なんて言葉が出て来るとは思わなくて、思わず吹き出した。

チラッと疑問が宿る瞳を向けられたので、頑張って頬に力を入れる。ずっと笑ってたらナルみたいに冷たい眼差しを頂きそうだし、我慢、我慢。


『まあ、そう考えるのが妥当なんでしょうけど…』

「なにか引っ掛かってるのですか」

『それだとこの地に拘ってる理由が思い付かなくて』


それもそうですねと頷いてくれる彼をチラリと一瞥して、ぽつりと呟く。


『私が霊視出来るって――…なんだか皆の中で当たり前になってますよね』


――不思議な感じだわ。

真砂子に今日の予定を聞かれて、滝川さんや麻衣、ナルまでもが私の霊視を信頼してこの場に必要としてくれて、私が協力するのがさも当然みたいに。

助手としての身だから、言われれば手伝うけど、前以上に…こう……言葉にするのも難しいけど、信頼されてる気がするのよね。それが嬉しいと思ってる私がいる。


「二人だけの秘密ではなくなりましたね」


呟きを拾ったリンは、複雑そうにナル達に視線を投げてる瑞希を見て、自分でも驚くほど柔らかい笑みを浮かべたのだった。


『っ』


直で邪気のない、否…ある意味意味深なリンさんの笑みを受けて、私は顔を俯かせた。

初めてヴァイスを彼に紹介した日、確かにリンさんはそう言って受け入れてくれるか不安がっていた私の気持ちを和らげてくれて。

初めて私の霊視の能力と妖怪である彼女を受け入れてくれた人間に出逢って、感動していたから、なんとも思わなかったけど…二人だけの秘密って、恥ずかしい。

同時にリンさんにだけ打ち明けていた秘密をナル達に話してしまったのを少しだけ残念だと思ってる自分自身に気付いて、複雑。

そんな風に思ってしまうなんて。私はいつからリンさんにそんなにも心を開いていたのだろうか――…。自分で自分が解らない。


リンさんは、過去に私が人間嫌いになった何かをいつか話してくれるまで待つと言ってくれた奇特な人だ。私にとって貴重な人。


『リンさんは…、』と口をまごまごさせてる私に、急かすでもなく「はい」と優しく相槌を打ってくれるリンさん。

手元にある缶コーヒーに視線を落としていた私は、優し気に目元を和らげるリンさんに気付かなかった。


『典子さんの事件の時、私に力があるかもしれないって言ってましたけど……どうしてそう思うんです?』

「私の故郷でも、修行をしてようやく式を作れるようになります」


ゆっくりと話し始めたそれは、やっぱり私が疑っていた通りの答えで。


「一から作る式とは違い、意思を持った存在を式や式神に降ってもらうためには、その存在を認めさせる何か――…つまりそれ相応の力が必要になります」


あーやっぱりな…と、私は怯えずショックも受けないで、彼に気付かれてしまった現実を受け入れた。

ストンッと簡単に私の中に受け入れられたのは、前提にリンさんに霊視の力と式神がいると自ら打ち明けていたからだろう。


「式を作るよりも式神に降ってもらう方が、特殊だと思いますので、その結論に至りました」

『そうですか』


数秒だけ沈黙した。

多分、リンさんは私になんて声を掛けようか頭を悩ませてるんだと思う。


「責めてるつもりはないですが……気付かないふりをしてれば良かった…ですね。すみません」

『リンさんが謝ることではないでしょう。隠す私が悪いんですよ』


申し訳なさそうに片眉を下げたリンさんに、自然と笑みが零れた。

どこまでこの人は優しい人なんだろう。秘密主義者ってわけじゃないけど、隠したい事が沢山ある私の方に原因があるというのに、これが大人の余裕ってやつなのかしら。


『気付かれたのがリンさんで良かったと思います。リンさんは人の秘密を面白半分で喋る人じゃないって、もう知ってますから』

「買いかぶりです」

『でも、言いふらしたりはしないでしょ?』


ふふふっと笑う。


『リンさんの言う通り、私霊視能力の他に生まれ持った特殊な力があります』

「どんなと訊いても?」

『はい。ここまでバレてるのに変に隠すの意味もないですしね』


チラッと真砂子ペアと麻衣ペアのベンチを見遣って、リンさんに視線を戻す。


『結界術』

「結界術?って――…」


私の言葉を反芻するリンさんを真っ直ぐと見据えて、更に言葉を重ねる。この先の言葉は、全てを語るもの。

なにも全てを話さなくてもいいのではと自分でも思うが、何でかリンさんにはこの瞬間に言っておかなければと思ったのだ。リンさんに私が喋りたかっただけなのかもしれないけど。

隠していた事実を打ち明けるって事は、それだけリンさんに心を開いてるほかならない。それだけリンさんと距離が近くなる事も意味してる。

それにこのままナル達と一緒にいたら、私の本当の名字をも気付かれるだろう。ナルと滝川さんは鋭いし、私の結界師として培った勘もそうなるだろうと危惧してる。


『現在は、葉山の姓ですが、父の姓は山田。

――私は、山田一族の山田瑞希です』


ここまでが、ギリギリ喋れるライン。

リンさんにも絶対知られたくないのは、私の過去とこれから先の私の生き方だ。それらがバレるくらいなら、変に検索される前にこちらから話しておこうと打算的な考えもあるのも事実で。

滝川さんと綾子さんが度々口にしていた日本では有名な一族の姓に、眼を見開くリンさんを私は逸らさず見つめた。


『これでも一応、結界師なんですよ』


そう言って視線を外した瑞希の横顔を茫然と見つめる。

驚きの内容だったが、リンは同時に納得もしていた。引っ掛かっていた事柄が脳裏を過ぎったのだ。

旧校舎の調査の際に、彼女を病院へと連れて行った先で合った医者が口にして慌てていた姓とか。

黒田という生徒が癇癪を起した時のポルターガイストで、松崎さんや自分とナルが不自然に助かった事とか。二階から落ちて足以外に怪我を負わなかった理由とか。

前回のミニーの事件の時もそうだ。引っ掛かっていた事が多々あった。

あの子供がミニーに襲われていた日や、居間で除霊をしていた滝川さんが襲われていた夜の事とか、松崎さんが最後の夜に除霊していたあの時も――…瑞希の姿が近くにあったのだ。

彼女に力があるのではと確信したのは、直接彼女に力があるかもしれないが一人で解決しようとせずに、自分の身体を心配しろと言った日だ。

あの瞬間の瑞希の固まった表情が何よりの証拠だったから。

鎌をかけたみたいな形になってのは罪悪感を感じる――…が、人が嫌いだと言ってる瑞希に、隠していた事柄を打ち明けてくれた嬉しさの方が勝っている。

そう彼女には悪いとは思うけど自分の心は歓喜で震えていた。


「驚きましたけど、合点がいきました」


リンは自分でも分かっていた。

日本人が嫌いだと話したのに嘘偽りはない。日本にいるのも息苦しく、日本人である彼女と話すのも心底嫌だった。

いつから彼女と話すのが嫌だと思わなくなったのか。

人間が嫌いだと拒絶された時からか。もしかしたら最初に日本人が嫌いだと線引きした私に、瑞希さんがそれでは日本で過ごす上でストレスが溜まりますよと笑い掛けてくれた時からか――…。


『ふふっ。驚いてるようには見えませんよー。リンさんってば確信してたんでしょ?』


日本人が嫌いだけれど、社会で仕事をしている以上そんな理屈が通るわけないことはリンとて知ってる。寧ろ社会人であるリンの方が瑞希より知っていた。

日本人が嫌いだと言ったリンよりも、人間が嫌いだと言った瑞希の方が、生き辛いのではないかと思ったのが、恐らくきっかけ。

彼女に近付きたいと、彼女の事をより知りたいと――…日に日に思っていった。


『リンさんが麻衣みたいに、びっくりして顔面を崩すとこを一度見てみたいです』


それが何故かなんて、それこそ愚問だ。


「これでも十分、驚いてますよ」


ふわりと笑う瑞希を一瞥して、リンはこっそりと小さく息を吐き出して、弧を描く。

まだ引き返せる止めることも出来るほんの少しだけ膨らんだ小さな蕾。

考えないようにしていたけど、それも時間の問題だと言うことも、彼女より長く生きているリンは理解していた。

自覚すれば急速に膨らんで、咲いてしまうだろう生まれたばかりの蕾。

くすぐったくて、淡いこの始まりの蕾は、彼女を妹の位置づけて形を変える術もあると言うことも、一応成人しているリンは理解している。


「瑞希さんには驚かされてばかりです」

『えー』


それでもリンは、静かに息づくこの小さな蕾を、ゆっくりと育てていく事を決めた。

枯らさないよう大事に育てて、鮮やかな花へと。






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