3-1 [11/41]
思いもよらない場所に、思いもよらない存在がいる。
第三話【遭遇】
住人にある程度、話を訊いたから、次は、荷台に積まれた機材を運ぶ作業が待っているわけで。
案内された室内――つまりベースになる調査室に、パソコンやカメラなどの機材を運ばないと、調査に進めないので、瑞希も麻衣も重労働に文句を垂れなかったのだが、手伝おうとしない滝川さんと松崎さんには文句の一つでも言いたい気分だった。
協力しようとのたまっていたくせに、部屋の中から動こうとしていなかった。――全く、何なの!
まあ、そんなわけで、ナルに、顔色が悪いから休んでろと、彼にしては優しい御言葉を頂いたが、あの二人と同じ部屋にはいたくなかったので、こうして機材を運んでいる最中なのである。
『先に、見て回っても良かったんだよ?』
ナルに休んでろと言われて、こっそりと家の中を探ろうかなとも考えたが、力がないと思われている手前下手に動けない。滝川さんと松崎さんにも、変な眼で見られたくもなかった。
滝川さんは、小馬鹿にしていたり茶化す態度を取っているが、時々探るような眼差しをしている。
以前の旧校舎の調査で、何度も真砂子にそんな視線を寄越していたのを目撃したので、彼が意外と物事を冷静に見ていると、私は知っていた。だから、大人しく機材を運んでいるのだ。滝川さんに眼をつけられたくないのでね。
《えーヴァイスそんなめんどくさいことしないよ〜?》
――ヴァイスは、そうでしょうね…。
自ら進んで、役に立とうとか思わなさそうだと、私は内心苦笑した。
《お前を独りに出来ねーだろうが》
『…そっか』
中と外を行き来している私の隣をひたすらついて来るジェットとヴァイスに、ゆっくりとしてればって意味を込めて言ったんだけど…。ジェットから返ってきた言葉に、自然と頬が緩んだ。
『何だ…心配してくれてたんだ』
《フンッ》
《ジェットは、こう見えて心配しょ〜だからね!》
《…チッ。お前は、黙ってろ!!あっちにでも行ってろよ!》
《イぃ〜ヤッ!》
ナルとジェットが心配してくれるのは、有りがたいし嬉しいけど、そんなに心配してくれるほど体調は崩れてないよ。
この家に足を踏み入れた時は、油断していたから、吐き気がしただけで、慣れれば貧血も起こらない。遠くからこちらを窺う視線の数にも、慣れた。慣れなきゃ、やって行けないよね、ここでは。
車を止めている離れた場所でも感じる視線の嵐を、黙殺した。
『!っ』
未だ口論している我が式神を放っといて、今度はモニターを運ぼうと抱えたら、隣からにゅうッと手が伸びて来て、びっくりして悲鳴が口から漏れる。
なんだ、何だって思ってる間に腕の中にあったモニターが消え、体が軽くなった。
「重い物は、駄目ですよ」
『ぇ、いや…大丈夫ですよ?』
「調子が悪いのでしょう。瑞希さんは、軽い物を運んで下さって結構ですよ」
『………えー、』
さっきラックを家の中に運んでいたのに、もう戻って来たのか。ラックも重いのに、リンさんは軽々と運んでいた。
私からモニターを奪ったリンさんは、あんなに重いのに、軽々とその腕にモニターを抱えている。彼は、長身なので、チラリと横を見ると丁度抱えられているモニターと目線が合う。
――何でか、リンさんは私に過保護な気がするのは気のせいだろうか…?
ちょっと前に、悪夢に魘されたのを知られてから、リンさんの瞳に良く心配の色が見えるのだ。
それと、ヴァイスを紹介してからは、リンさんの醸し出す空気が柔らかい。心なしか、彼との心の距離が縮まっているような感じがする。
良い傾向なのか…悪い傾向なのか――…自分では判断がつかなくて、複雑な思いに駆られる。
「では、それを運んでください」
『……』
それと言われて、リンさんの目線の先を辿れば、コードの束が見えた。
これは別に…運ばなければならない優先順位から考えると、今でなければならない物ではないと思うんだけど。頻度の高いビデオカメラやパソコンとか、録音機とか…その他いろいろの機材もあるのに、何故、コード…。
むぅッと口を尖らせて、反論しようと顔を上げたら――…リンさんの有無を言わせない眼差しとかち合って、渋々頷いた。
後輩の麻衣だって、さっき、重たい物を運んでいたのに。何だか、麻衣に悪いなー…と、心の中で今は近くにいない後輩に謝った。
『リンさん!私、本当にもう大丈夫なんでっ!』
仕方なく手にしたコードの束を持って、スタスタと先を歩くリンさんの背中を追い掛けてそう叫ぶ。
…リンさんってば、歩くの早い。コンパスの違いだろうか。
慌てて駆け寄る瑞希を振り返って、リンは一旦歩を止めて、でも心配なので…と困ったように微笑んだ。瑞希はその微笑みから逃げる様に視線を下に向けた。
『…本当に大丈夫なんですけど……』
「ですが、まだ視えるのでしょう?」
『まあ…はい。でも、幾分か慣れましたので』
隣を歩く私に歩幅を合わせてくれてゆっくり歩くリンさんを、チラリと盗み見る。
大丈夫だと言っているのにリンさんは私の言葉を黙殺している。困ったように笑って、取り合ってくれない。心配してくれているのは、重々承知しているので、私もこれ以上強く言えなくて、小さく息を零した。
リンさんには、人間嫌いだってバレているので、人好きそうな笑顔を浮かべてもそれが作り笑いだと気付かれてしまいそうで。
人の心配に慣れてない私は、作り笑いでやり過ごす以外に、どう対処すればいいのか判らなかった。
『……』
一部始終を見ていたジェットは、後ろでふんッと面白くなさそうに鼻を鳴らしていて。
私はチラリと盗み見たリンさんが軽々と重たい物を運んでいるのを、内心凄いなーって感嘆していた。ふと、前方にナルが歩いて来るのが見えて、重たい物をもう運んで来たのかと吃驚した。
ナルもリンさんも私が中と外を往復し終える頃には、三回は往復しているのだ。
私と麻衣よりも重たい物を運んでいる癖に、運ぶペースが速い。
「瑞希」
暑さを感じさせない無表情で、ナルが私の名を紡いだ――…だが、私はぼんやりと思考に耽っていて、反応に遅れた。
「瑞希さん?」
「どうした?」
怪訝な表情のナルとリンの視線が瑞希に集まる。
『え?いや…えっと、ナルもリンさんも重たい物を速く運んでるの見て、凄いな〜って思ってただけで』
突き刺さる視線に、はたッと我に返って、慌てて口を動かした。
『男の人なんだなーって再認識したんです。凄いですよね、私なんか一回運ぶだけで、へとへとですよ』
《鍛えが足りてねぇんだよっ!》
――ムッ。
修行はちゃんとしてるよ!!父さんが亡くなってから、より一層修行に力を入れている。ジェットだってそんな事知っているはずなのに。
ジェットが私の式になってくれた時は、私はまだ母親と一緒にいた頃で。ヴァイスが私の式になってくれた時は、私が父親に引き取られた頃だ。
二人とも、特にジェットは、私の人生のどん底を目の当たりにしているのに。まさか、そんな風に言われるとは思ってなかった。修行を怠っているみたいな科白は、心外だ。
《ジェットは嫉妬してるんだよぅ》
《っ、だからッお前はあっちに行ってろッ!!》
《ふーんだっ》
「っ、なっ!」
『…ん?』
学校がある日は、毎日朝早く起きて二時間くらい修行して、放課後は生徒会が無い日は渋谷サイキックリサーチに行き、アルバイトが終わってから寝るまで修行に明け暮れている。
鍛えている私よりも、力仕事を速くこなしているリンさんとナルを見て、やっぱり男性と女性の体の造りは違うんだな〜っと、全貌の眼差しをリンさんに送ったんだけど――…。
騒ぐジェットにふんッとそっぽ向いた私の視界に、口をぱくぱくさせているリンさんが飛び込んだ。
『――ぇ。リ、リンさん!?』
落ち着いた雰囲気のリンさんのその取り乱しように、一瞬思考が鈍る。
豆鉄砲を喰らったようにぽかーんと間抜け面を晒す私から逃げるように、リンさんは屋敷の中へと颯爽と消えていく。
――ぇ。……え、何…。抱えている最中の腕の筋肉を突いちゃったから、怒ってる…とか?
『……』
「……」
『何か、私気に障ることしたかな?』
「いや、照れただけだろう。……珍しいな」
何が起こったのか判らない私と、珍しい助手の反応に瞠るナルの間に、沈黙が振り落ちた。
『ナル。私に何か用だった?』
「あ、ああ…。荷物運びはもういいから、基礎データを先に頼む」
『了解です』
基礎データとは、家の中の部屋の中の温度と、高周波電波や低周波が検出されていないかを調べて数字にしたものだ。
霊が視えないからかと私は思っているが、ナルはゴーストハンターなので、科学的にデータが欲しいのだろう。その結果次第で、霊がいるのかいないのかが明らかになるってわけ。
ナルに頼まれたので、温度計と電磁波計、それから騒音計を持って調べてまわらなければ。
この作業も大変なのだが、荷物運びよりも体力を使わない。ナルなりに、気を使ってくれているのだと、自然と笑みが零れた。
――所長様に直に頼まれたからには、ちゃんと働かなきゃね!!
霊がうじょうじょといる部屋には入りたくないけど、どの部屋が危険なのか視てまわりたかったから、好都合だ。思わず滅さないように気をつけるだけだね。
後は、私の夢に出て来た裏を引いている存在がどんなヤツなのか、早めに知る必要もある。何も知らないままだったら、危険を回避出来ないからね。
それに…もしも、私が夢を介して厄介な存在に捕まっているのだとしたら――…麻衣達を巻き込んでしまう。それだけは何としてでも避けたかった。
《…結界は張らないのか?》
『うん。主犯が誰か判らないからね』
そう。だから、結界を張るのは、一先ず見送る。
ベースや、今夜泊まる予定の部屋に結界を張りたいのが本音だけど、何処に潜んでいるのか知らない間は、下手に行動出来ない。
ナルを見習って、慎重に行動する必要があるのだ――…特に今回は、用心して損はないだろう。
陰でコソコソしないで、ナルに私の能力を告げれば、堂々と探れるのだけど……だけど、やっぱり彼にも自分の正体をバラすのは、怖かった。
――人間が嫌いだとか言ってるくせに、拒絶が怖いなんて、矛盾してるわよね。
瑞希は、ジェットに答えながら自嘲気味に口角を上げた。
『どうするかは、家の中を調べてから決めよう』
《ねぇ瑞希さまっ!!悪霊だったら、ヴァイスが喰べてもいい〜?》
『んー…』
《黒幕じゃなかったら、喰わせてもいいんじゃねぇか?》
『そうね…。黒幕じゃなかったらね』
元気よくはしゃぐヴァイスを横目に、うんと頷く。
黒幕だったら、ヴァイスが喰ちゃうと説明に困っちゃうんだけど――…今回の事件の関係ない悪霊とかだったら、ヴァイスが処理しても問題ないよね。誰にも気付かれないわけだし。
でも…喜ぶヴァイスには悪いけど、
『私としては、悪霊いない方がいいんだけど…』
疲れるから。
→
- 55 -