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「じゃあ、僕行くね」
リンさんに気を取られていて、ユージンの声にはっと我に返る。
『!あっ!ちょっと待って!!』
旧校舎で調査して、麻衣の夢の中で出会った時に、ユージンがナルに憑りついているのだと知ったけど――…完全に肉体から切り離されてはいないから、ナルの周りに出てる時と姿を出せていない時がある。
それは彼がまだ生きている証拠で、不安定だからこそユージンの霊体と会うのは希少で。
滅多に会えないから……今日こそ前に伝え損ねた事を言おうと思ったのに…、ゆっくりユージンと話せなかった。まだ肝心なこと言えてないのにッ!
「リンにまだ見つかりたくないんだ。内緒にしてて〜」
私の話を全く訊こうとせずに、ユージンはふわりと飛んでレンガをすり抜けて、二階の事務所に戻って行った。
去り際に、「ジーンって呼んでね〜」って、言っていたけど……そんなに名前で呼んで欲しいのか。いや、問題はそこじゃないけど。
《ふんっ!何だったのアレ!》
『……』
《瑞希さま〜もう用は終わったんでしょ〜?帰ろっ!》
『……………ヴァイス』
豊満な胸を揺らして小首を傾げるヴァイスに、瑞希は深い溜息を吐いて、額に手を当てた。
今日ナルと会って、彼の斜め上にユージンの姿を見付けて、今日こそチャンスだと思ったのに……。 次にナルと会った時に、ユージンもいてくれたら良いんだけど…次こそユージンに生きてるって伝えなくちゃ。
《瑞希様?》
――最悪ナルに話して、ユージンを無理やり身体に戻ってもらうとか…他の手も考えておかなくちゃ、かな。
『今日言っておきたかったのに』
《えーヴァイスのせいだって言うの!?アイツが、ヴァイスの名前を勝手に言ったのが悪いんじゃん!それに瑞希様にも馴れ馴れしかったし〜》
『だからって…早くしないと彼、本当に…』
《ヴァイス、アイツが死のうが関係ないもん。ヴァイス瑞希様がいてくれたら他に何もいらな〜い》
ジェットも同じこと思ってると思うよと言葉を続ける我が式神を前にして、大切に思われているのを嬉しく思うも、ユージンを死なせたいとは思わない。
いくら人間が嫌いでも、助かる命は救わなければ。人でなしにはなりたくはない。私が嫌悪する人間像になりたくはないのだ。
だからこそ、早くユージンに死んではないと、早く戻らないと危険だと自覚させたかったのに。
「…瑞希さん」
『!!』
《!あっ、ヴァイスとしたことが…コイツのこと忘れてたッ!!》
ヴァイスにツッコミたくなるのを堪えて、リンさんを見て瑞希は口を引き攣らせた。
『……』
――傍目から見るとこの状況って…私が一人で上空に向かってぶつぶつ言った後、隣にぶちぶち文句を言っている危ない人に見えるよね。
もちろんリンさんは、独り言だとは思っていないだろう。寧ろ、リンさんの疑惑を肯定付けたに違いない。
リンさんは私が、何と言うのか黙って待っていてくれていて――…問い詰めるでもなく、静かにこちらを見て来るリンさんの瞳に、私は嘘を吐きたくないと思ってしまった。 この場しのぎで嘘を吐いても、これから先…疑念を抱かせる瞬間なんていくらでも出てきそうだし。
それに……ちゃんと話すなら、私が何かを隠していると気付いていて、それでも自分から話すのを待つと言ってくれたリンさんにナルよりも先に話しておきたい――という気持ちもある。
この機会を逃したら、ちゃんと話す機会を設けられないような気がしてならない。今だと思ったら、言うべきだ。
『ヴァイス』
《なぁ〜にぃ?》
リンさんから、私の隣に視線を走らせる。
きょとんと見つめて来るヴァイスに、私は苦笑した。――結構早く話すときが来たな〜なんて。まぁ、全てを話せはしないけど、式神がいるってことは話しておきたい。
『リンさんに姿を見せてあげて』
「!」
《!!なっなんでッ!》
『――ヴァイス』
渋るヴァイスに、私は名前を口にして、命令とはいかないけど、ちょっと強めに気持ちを眼に乗せて見つめた。
納得がいかないヴァイスだったけど――…ここで自分が駄々を捏ねたら、リンって名前の男に姿を見せなくても瑞希は許してくれるだろう。だけど…と、ヴァイスは思うのだ。人が嫌いな瑞希に、自分やジェットだけじゃなく人間の枠で味方を作って欲しい。
目の前に立っているこの男は、瑞希の事を知っても離れてはいかないだろうと、ヴァイスは瑞希の言う通りに視えない人にも視えるように妖気を上げて姿を現した。
いつもヴァイスが一方的に睨むだけだったけど、瑞希の事を怪我させたきっかけを作った男と、ようやく焦点が合って――ヴァイスとリンの視線はしっかり絡み合ったのだった――。
『リンさん。彼女はヴァイスって名前で、妖怪で雪女なんです』
《…………雪女でーす》
ヴァイスは気怠そうに、リンを見遣って視線を逸らした。
これ以上、リンを見ていたらユージンの時みたいにケンカをしそうだったから。そんな事をしたら、今度こそ瑞希に怒られそうなので、我慢したくないけど、我慢する事を選んだ。瑞希に嫌われたくないから。
「…妖怪」
『はい』
唖然としているリンさんに、私はゆっくり首を縦に動かしてみせた。
リンさんは私が式神を持っていることには驚いてないみたいだけど、想像していなかった“妖怪”のフレーズに、びっくりしていて。私は、少し苦笑した。
それでもリンさんの瞳に、拒絶や軽蔑や嫌悪の色が映ってないことに――…どこかホッとしているのが自分でも判った。
――いくつになっても、私は誰かに拒絶されるのが怖い。
私の事を知りたいと言ってくれたリンさんだからこそ――……余計にどんな反応が返って来るのか怖かった。
「式…ではないのですよね」
《違うっつーの》
『いえ、式神ですよ』
「!それは…」
想像していた答えよりも上をいく返事に、リンは瞠目した。
雪女は日本で有名な妖怪だとリンは知っている。視た事がなくても、日本人のほとんどの人が知っている妖怪――雪女。その雪女を式神に下したなんて……瑞希さんは、余程力が強いのだろうと、感嘆した。
リンとはまた違った能力の持ち主だと興味がわく。
「私も式を持っているのですが――…」
『あ!大丈夫ですよ。ちゃんと視えてますから』
ちらりと瑞希が自分の背後に視線を走らせているのを見て、そう言えば…彼女に庇われて怪我をさせてしまって病院に行った時も背後を見ていたと思いだす。
視えているだろうと思っていたけど、式まで視えると言われて、リンは気分が高揚するのを感じた。霊視出来る原真砂子でも、力を使っていない状態の式を認識出来ていなかった。
仲間に会えたようなそんな感覚。
「霊視まで出来るんですね」
『はい。…でも…その、このことは……』
――口止めなんて…。
自分からヴァイスを紹介しておきながら、彼の上司であるナルにも黙っておけと口にしようとしている――…。私は、後ろめたい気持ちを感じて、口をまごまごさせた。けれど。
リンさんは私の心の葛藤を見透かしたように――…
「誰にも言いませんよ。――二人だけの秘密ですね」
と、悪戯っ子のような彼にしては珍しいにんまりとした笑みを見せてくれた。
嬉しそうにそう囁くリンさんに、私の頬に熱が集まる。
『っ』
リンさんは不思議な人だ。
日本人が嫌いといいながらも、私を知ろうとしてくれて、頑なに壁を造る私の中にするりと入って来る。 今までこんな人には出会ったことがなく、嫌だと思っていない自分に気づいて――酷く戸惑う。
《ちょっと!!ヴァイスもいるんだけどっ!》
入り込めない空気を醸し出す二人を見て、ヴァイスは瑞希の前へと立ち目の前の男を鋭く睨んだ。
瑞希様の味方になって欲しいとは思ったけど、思ったけど――…親密な空気を出すことはヴァイスは許していない。この男に主を取られてしまう焦燥感を覚えた。
主の味方になって欲しいけど、必要以上に近寄って欲しくない矛盾した気持ちがヴァイスを責め立てる。 そう。本当はヴァイスとジェット、それから瑞希様だけで――三人だけで世界を生きたい。本当は。
《ヴァイスもいるんだから、二人だけの秘密じゃないと思うんだけどっ!》
『ゴメン、ヴァイス…。忘れてたわけじゃないよ?じゃあ、三人だけの秘密ね。ね?リンさん』
「…ぇ、ええ」
除け者にされて拗ねていると苦笑する瑞希に対して、リンはヴァイスの気持ちを的確に汲み取った。
瑞希は気付いていないけど、びりびりと肌をさす敵意が式神から発している。彼女は、自分に瑞希を取られるのが嫌なんだろう。
「(ですが…)」
人を拒絶して生きるのは悲しくて、寂しいことだとリンは思う。人は一人では生きていけないのだ。
――瑞希が人を嫌いだとしても、自分だけは彼女の理解者になりたい。
そうじゃなかったら――…瑞希はいつか、いつかいなくなってしまうのでは……。彼女の世界を妖怪であるヴァイスだけにしてはいけない。漠然とリンはそう感じていた。
リンがそんな風に思っているのを、きっとこの式神は感じ取っている。
ヴァイスとリンの冷たい視線が絡み合って――お互いに宣戦布告を受け取った。
『…リンさん?』
瑞希の訝しむ声が彼女の式神の背後から訊こえて、リンは瑞希に視線を戻して微笑した。
「いえ、ここで長話もなんですから、家までお送りしますよ」
『リンさん仕事中なんじゃ……』
「大丈夫ですよ、もうお昼ですし。休憩ってことで」
『でも、それじゃあリンさんの休憩時間がもったいない――…』
「それに今事務所には居づらいので、丁度よかったです。言い訳も出来ますしね」
…――確かに、今二階には上がりづらいかも。
二階にはナルと麻衣が二人っきりな筈で、邪魔になりたくないしね。って、リンさんは麻衣の恋心に気付いているのね。流石と言うべきか…年の功だと思うべきか。
そう言われてしまえば、拒否する言葉は吐けなくて、瑞希は『お願いします』と、おずおずと頭を下げた。
《ヴァイスもいるんだからねっ!忘れないでよッ!》
『わかってるって。忘れてないよ』
頬を膨らませてぴょんぴょんと跳ねるヴァイスを見て、私は笑みを零す。
ついでに、具現化はやめてもらって、車まで歩くリンさんを機嫌が直らないヴァイスと共に追い掛けた。
『そのうちジェットのことも紹介しないとね!』
って晴れやかに笑う瑞希を見て、ヴァイスは何とも言えない複雑な気持ちに襲われた。
《(あの男といい、さっきの餓鬼といい…瑞希様に近付く虫が絶えないわッ!)》
この日は、助手として雇われたアルバイト内容を訊きに訪れた主だったけど――…奇しくも、リンと瑞希の距離がまた少し縮んだ日となってしまった。
それに気づいたのはヴァイスだけ。
to be continued...
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