5-2 [25/39]





――ふわ、ふわふわ。


…――ふわふわ。




空中に浮いているような感覚に――…あたしは目を閉じたまま微笑んだ。何かに包み込まれた温かさに気持ちよくて微睡む。

何か忘れているような気がしたけど、そんなことよりもこのまま寝ていたい。


――ふわふわ。


ふわふわ微睡むあたしの額に、ひやりと何かに撫でられた。まるで寝てたら駄目だよって言われたみたい――…。

寝ていたいのに…と思ったんだけど、このひやりとした感触の持ち主に見守られていると確信して、あたしはそっと瞼を開けた。

一番初めに視界に入って来たのは天井で、どうやらここは車の中らしいことが分かった。


でも…あたしは車に来た覚えがない。しかも何であたし車に寝てたんだろ…?

ぼんやりと鈍くなった頭でこうなった原因を考える。…――確か…旧校舎にいたはずで…。今日は日曜日でナルが来てるかな〜って、昨日あんな事があったし、気になって来たんだ。それで…。

そこまで考えてハッと思い出す。


「(あたし靴箱の下敷きにッ!?)」


ここにいるってことは、誰があたしを運んでくれたんだろ。ぼーさんかなー?


「誰……」


ふと視線を感じて顔を傾けたら、そこに会いたかったナルがいた。


「ナル……?」

「動かないほうがいい」

「――!!」


いつも無表情で、表情が変わるとすれば嫌味を吐く時か呆れて眉を動かす時くらいなナルが――…今、穏やかに微笑みを浮かべた。

あたしはその笑みを見て、ドクンッと心臓が跳ねた。


「……いつも、そんなふうに笑っていればいいのに」


貴重なナルの笑みに、あたしは思わずポロッと本音を口にしてしまった。

だって綺麗な造りをした顔のナルが笑ったら、それはもう凶器だとあたしは思うんだ。でも、心臓に悪いけど…ナルが笑った姿は距離が縮んだ気がして嬉しい。

あたしの言葉に、ナルは嫌味を言うでもなく、目を丸くしてから、またふわりと笑ってくれた。


――そう言えば…。

ナルの笑顔を堪能していたあたしは、いつもは煩い綾子やぼーさんがいないのに、今更ながらに気付いて、ナルを見る。


「……近くに誰かいる?」


あたしの質問に、ナルは一瞬考え込むように黙ったけれど、奥のあたしの横らへんを指差した。


「瑞希先輩ッ!?」


ナルの指に促されて視線を走らせたら、近くで瑞希先輩が横たわっていて、あたしは驚いた。先輩は青白い顔をしていて、元気がなく見える。


「彼女は…麻衣を庇ったみたい」

「えっ!?」


心配するあたしに、ナルは爆弾を落としてくれた。


――庇ったって…!あの靴箱からッ!?そんなッ…でもあの場所に先輩はいなかったのに!

先輩は…あたしのせいで足を怪我したばっかりなのに……。いつも先輩は誰かを庇って怪我をしている。この前だって、真砂子を庇って二階から落ちてたし…。


「でも大丈夫。寝ているだけだから」

「でっでも!」

「大丈夫」


思わず起き上がろうとしたら、ナルにやんわり肩を押さえられて、再度大丈夫だ宥められた。

どうしてだろう。穏やかな笑みと一緒に言われたからか……いつもなら反論するのに、今日のナルの大丈夫の言葉に、あたしはすんなりコクリと頷く。

今日のナルが大丈夫って言ったら、大丈夫だと思ってしまう。はて、何でだろう?


いつの間にか瑞希先輩の事じゃなくて、ナルの事を考えている自分に気付いて、かぁぁッと顔が熱くなる。



「あのね……残念だけど、ポルターガイストだったみたい……」

「そう」

「そんなことは、どうでもいいから。少し眠ったほうがいい」


気付かう声をかけたら逆に心配されて、ナルのひんやりした手があたしの前髪をはらった。


「ん……」


冷たい掌に気持ちよくなって、猫のように目を閉じる。


「……ありがとね」


眠る前に見たナルの顔はやっぱり優しげな笑みを浮かべていて、あの笑顔は好きだなと思った。

そしてまたふわりと体が浮く感覚に包まれる――…。





 □■□■□■□



…――何だこれは。


意識が浮上した第一声がこれだった。…――何だ、この甘い空気は。

ここは恐らく麻衣の潜在意識の中だろう。車の中に来た覚えもないし、何より式神のジェットとヴァイスの気配が全く感じない…ってことはここは別空間って事で。

頭上で交わされる会話に、どうしようかと悩む。自分で帰ることも出来るけど…そうなると、麻衣と渋谷君の存在さえ消してしまう可能性があるから、それは出来ない。


「あのね……残念だけど、ポルターガイストだったみたい……」

「そう」

『(…あれ?)』


ちょっと渋谷君の声がいつもと感じが違う?固い声音じゃなくて、柔らかい感じに聞こえる。

ポルターガイストって…今日もポルターガイストがあったのね……日曜日なのに…黒田さん暇なのかな。そこまでぼんやり考えて気付く…――今日、お手伝いはお休みだって麻衣に伝え忘れてた。

伝えてたら麻衣はこんなことにならなかったのに――…と、少し自己嫌悪に陥る。


靴箱に押し倒されるなんて…私、靴箱の災難の相でも出てるのかしら。瑞希は会話を続けている二人に気付かれないように、軽く息を吐きだした。


「そんなことは、どうでもいいから。少し眠ったほうがいい」

「……ありがとね」


――あれ…そもそも何で渋谷君まで麻衣の精神の中に入り込んでいるの?

当然の疑問に行きついて、私は顔を顰めた、すると二人の会話は終了したのか――ふっと空気が揺らいで麻衣の気配が消えた。戻ったみたいだ。


『……』


今しかないッと思った私は、パチリと目を開け、むくりと体を起こす。


「あ、起きてたんだ」

『……』


渋谷君は普段と同じ全身黒い服に包まれていて、何処も変わった所はないのに、違和感を感じる。


「どうかした?瑞希も戻った方がいい」

『……あなたは…渋谷君じゃないでしょう。誰ですか』


渋谷君と違って年相応の表情を浮かべる目の前の少年の顔を、瑞希は怪訝に凝視した。

黒づくめの渋谷君の顔をした少年は、ぱぁーっと目を輝かせて、前のめりで近寄って来たではないか。…近いッ!


「よく判ったね。僕がナルじゃないって」

『……顔は似ていても、声も、仕草も、気配まで誤魔化せませんよ』

「僕は…」

『あーお二人が日本人でない事は知っています』

「!そっか、僕はユージン。ナルの双子で僕が兄なんだ」


双子と教えて貰って、あーそう言えば…我が家に死にかけの魂が抜けた躰を保護していると思い出し、目の前の少年を見据えた。

早く肉体に戻ってくれないと、これ以上は私の結界でも対処しきれなくなる。


『ユージン』

「あ、ジーンって呼んで」


ナルと僕を見分ける人って初めてだ!とかなんとか嬉しそうに微笑むユージンを見て、重く溜息を吐く。

昨日の朝…こいつの眠る顔を見て、渋谷君と同じく無表情だったら嫌だなってジェットとヴァイスと話していたけど……これはこれで…。


『ユージン、あなた早く戻った方が――…』

「うん、そうだね。瑞希も早く戻らないと。――じゃあまたね。ナルとリンをよろしくね!」

『自分では戻れない……あ、』


ユージンからぶわっと何かが押して来て、瞬く間に瞼が重くなっていく――…。


『っ!』

…――まだ言いたい事があったのに…。戻れなくなっても知らないからっ!!


『(それに、何でリンさんの名前が出て来るの……)』


渋谷君の名前がでるのは彼が兄であるから判るけど、リンさんは彼よりも年上で、ユージンから頼まれるのは不自然だ。

疑問と言いたいことが言えなかった不満で、瑞希は不機嫌そうに瞼を閉じた。


ユージンが、不機嫌そうな表情で現実に戻って行った瑞希を見て――苦笑していた事は、彼しか知らない。


「任せたよ」





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