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「大丈夫ですか?」
ガラスが割れ、静まり返った室内に安堵したのも束の間で、まだガタガタ揺れる教室から、私はリンさんの黒い上着を被ったまま、外に出た。
足を怪我しているので、リンさんに支えられながら――…皆も一緒に外へと避難。松葉杖は、リンさんが持ってくれていて、途中彼に姫抱きにしましょうかと問われたけれど、それは丁重にお断りさせて頂いた。
何が起こったのか皆が皆呆然としている中で、リンさんに再度大丈夫か訊かれたので、私はこくりと頷く。
『…はい。あ、上着ありがとうございました』
《危なかったぁー》
《おい、あの陰湿女どうすんだ》
《もう喰べちゃおうよ!瑞希様ッ!》
リンさんの優しさに、ガラスの衝撃から守ってくれた温もりを思い出して、頬が朱くなるのを懸命に堪えていたら、我が式神の……物騒な声が耳朶に届いた。
『(…ヴァイス)』
半分以上本気であろうヴァイスに、止めろと咎める視線を送った。彼女は…どんだけ黒田さんを喰べたいんだ…。
そして、ジェットの言葉に…どうしたもんかと頭を悩ます。視線の先には、麻衣と松崎さんが黒田さんの安否を気遣う言葉をかけていて、私は黒田さんを見て、溜息を吐きたくなった。
《完全に被害者面だぜ、あの女》
『(う〜ん)』
教室での黒田さんのあの状態。渦巻く邪気の中心にいた黒田さん。…――だから黒田さんに釘をさしたのに…。
あそこまで教室を揺れ動かすほど濃い邪気を纏った黒田さんは……本当に危険だ。ヴァイスみたいなモノに喰べられる可能性が…。その前にヴァイズが喰べそうだけど。
黒田さんは、真砂子を追い詰めたので、個人的に好きではないけど…やっぱりこのまま見捨てる事は出来ないよね…。仮にも私生徒会長だし。
一心に黒田さんを見つめる瑞希を、リンさんが心配そうに見つめていたとは――…気付かなかった。
「……今のは何だ?」
衝撃から立ち直った滝川さんが、自分自身に問いかけるように、掠れた声で呟いた。
思考に耽ってた私も含め、その場にいた全員の視線が滝川さんに集まる。
「あれも地盤沈下のせいなのか?」
「さあ」
滝川さんの厳しい言葉と視線にすら、問われた渋谷君は滝川さんと視線を合わせることもなく一言だけそう返した。
「実験室に駆けつけたら、今にも校舎が崩れそうな勢いだったが、他の教室には何の異変もなかったんだがね? 地盤沈下のせいで建物がどうにかなってんなら、どうして教室の一つだけあんな大騒ぎになったのか、説明してくれんか?」
「建物が沈んだり歪んだりしたからって、あんなことが起こる? あれ、そんな音じゃなかったわよ。絶対に誰かが壁を叩いてる音だったわ」
「……」
『(それは…)』
私はその原因を知っている。だけど、それを言葉にする勇気がない。
仮に口にした所で……それを証明することも出来ない上に、素人だと思われている私の意見を信じてくれる訳がない。
渋谷君の地盤沈下で合っている。だがそこに無意識な黒田さんが加わったからこんなややこしい事になってるんだ。 旧校舎の怪奇現象の答えに辿り着いているのに、滝川さんと松崎さんの責められる渋谷君の姿に、私はぎゅうッと下唇を噛んだ。
滝川さんと松崎さんの言い分も判る、だって…一般人の黒田さんが怪我しそうだったから。
「それにしちゃ派手だったがな。解体工事用の鉄球でもぶつけられてるんじゃねえかと思ったぜ」
「鉄球大の拳を持った巨人でもいたんじゃない」
この嫌味がなければ…彼等もプロとしてのプライドがあるんだなと感心出来るのに……。
尚も毒づかれる渋谷君は、依然として滝川さん達二人に背中を向けていて。私は渋谷君の背中から視線を逸らしたくなった。
「なにが地盤沈下よ」
「あーあ。馬鹿馬鹿し。もう少しブラフに引っかかるところだったわ」
「まあ、許してやれって。仕方ないだろ、歳が歳なんだから」
「引っかかったこっちが馬鹿って話?」
「人が好すぎたって話」
「まったくね」
滝川さんと松崎さんは、よくいがみ合うくせにこんな時は結託して、渋谷君一人を責める。見ていて気分のいい光景ではない。
「大人の仕事をしようっと」
「そうそう。俺たちだけでもしっかりしないとな」
松崎さんは黒田さんから離れて、滝川さんと共に、渋谷君に向かって莫迦にした嫌味を残して旧校舎に戻って行った。
必然的に残された黒田さん、麻衣、ジョン、渋谷君、そして私とリンさんの間に、気まずい空気が流れる。
《今日はもう帰ろうよぅ》
『……しぶ…』
「ナル……手」
無表情なのに酷く傷ついたように見える渋谷君に、思わず口を開いたけど……私の声は麻衣の渋谷君を気遣う声にかき消された。
届かなかった私の右手は空を切った。
「手当しないと」
「大丈夫だ。すぐに乾く」
「駄目だよ、もし」
いじらしく心配する麻衣は可愛い…。いやッそんな事考えてる場合じゃなかったッ!
麻衣が心配している渋谷君の左手は、黒田さんを庇った際に出来た傷から、赤い血がポタポタ滴り落ちている。
「黒田さんの手当てをしてやれ」
「でも」
「今は放っておいてくれ。……自己嫌悪で吐き気がしそうだ」
『……』
《あー…》
健気に心配している麻衣に、渋谷君は絶対零度の眼差しで、彼女を突き放した。冷たい言葉に麻衣は涙目に。
渋谷君のプライドは高いから……こうやって自説を崩された結果に、イライラしているんだろうけど……。私とジェットはやっちゃったー…と頭を抱えた。
そして去っていく渋谷君。麻衣はオロオロしていたけど、しょんびり肩を落として旧校舎へ歩いて行った。
『あっ。……渋谷君ッ!』
去っていく渋谷君を追い掛けるリンさんよりも早く、この時ばかりは痛む足を無視して、追い掛けて右手を掴んだ。すると軽く睨まれた。
「……放っておいてくれといっただろう」
『こんなに血を垂らしといて格好つけないでくれませんかー。車に救急箱ありましたよね』
不機嫌そうに黙り込んだ渋谷君を、問答無用で引っ張って車へ向かった。
リンさんも瑞希の後を慌ててついて来て、更にその後を、三人の後をジェットが膨れながらもヴァイスと一緒に、追い掛けて来ていた。
《そんな餓鬼ほっとけよ》
《ヴァイスはもう帰りた〜い》
抵抗していた渋谷君も途中で観念したのか、無言で従っているのを確認して、リンさんから救急箱を受け取った。
消毒液を中から取り出して、傷口に付ける。
「ッ」
痛むはずなのに、眉を動かしただけで、無言の渋谷君。イライラした空気に、リンさんも私も黙り込む。
「……」
包帯を静かに巻く瑞希#を見て、渋谷君が手慣れたもんだと感心していたが、それは本人に伝わることはなかった。
瑞希が他人と距離を取っているのは…直ぐに気付いた。だって自分だってPKなんて能力から他人に疎まれたり、妬まれる事が多々あったから。そんな瑞希が自分の手に包帯を巻いている……少なからず心配してくれているのかと…そう思ったら、イライラが少し治まった気がした。
『渋谷君…』
「……何だ」
『仮にだけど』
包帯も巻き終えて、ずっと言おうか言わないで置くか悩んでいたことを音にしてみる。
だって…渋谷君の答えは何も間違ってはいないのだ。そこに余計なモノが混ざり込んだだけで。
『渋谷君は霊がいることを機械で確かめたり証明したりしてますよね。…――仮に。霊が起こすポルターガイストじゃなかった場合はどうやって証明しているんですか?』
私の言葉に沈黙が返ってきた。
まさか今の発言で、私が霊感があるってバレてしまったか!?っと、怖くなって、恐る恐る顔を上げたら――…そこには、豆鉄砲を食らったかのような顔をした渋谷君と、何処か納得顔のリンさんが私を見ていた。
意外なリアクションに、私もジェットも小首を傾げる。
《なんだぁ?》
『…訊いてます?』
「ええ」
「あ、ああ。……そうか…それなら……」
さっきの教室での出来事は黒田さんの仕業だと伝わっただろうか……。私では証明できないので、渋谷君ならどう証明するのか知りたかったのだけど…。
もう私の存在など見えておらず渋谷君は、ぶつぶつ独りでに呟き始めていて、私は苦笑した。
《ねぇ〜もう終わったんなら帰ろうよ〜ヴァイス疲れちゃった》
『(んー…)』
渋谷君の様子から、きっともう今日は旧校舎に戻ることはしないだろう。…――せっかくの休日だし…ヴァイスの言う通り家に帰ろうかな。
丁度視線がかち合ったリンさんと苦笑しあって、もう帰りますねと口パクで知らせる。すぐにふんわり笑みを浮かべて頷いてくれたリンさんを見て、我が式神二人に視線を向けた。
――帰るよー…!
表立って会話が出来ないので、視線で帰ると伝えてみた。
《帰るのか》
《ん?ホントッ瑞希さまっ》
コクリと頷きながら、車に背を向けたら、嬉しそうにヴァイスが飛びついて来た。
『――!(ちょっとぉ)』
《コラッ、危ないだろ!》
《ヴァイス、瑞希様だぁ〜いすきッ!!》
「…――瑞希」
思考に耽っていた筈の渋谷君に名前を呼ばれて、背中にしがみ付いたヴァイスをそのままに振り返った。
『(…重い…)』
それよりも…渋谷君いつから私の事を呼び捨てにしているんだろう。
麻衣と違ってあまり呼び止められる事もなかったから、今の今まで気付かなかった。渋谷君は顎から手を離して、瑞希を真っ直ぐ見据えた。
「君は…何故、霊じゃないと?」
『……仮にと言ったでしょう。まあ、そうですね…私は真砂子を信じていますから』
瑞希がどうでもいい事を、考えていたら…目を細めて意味深に尋ねて来た渋谷君に、一瞬ひやりとした。
すぐに立て直して、私は真砂子を信じていると答えた。
実際、真砂子の力は本物だと知っているし、何より真砂子は友達、友達の事は信じている。臆病な私に、笑顔で包み込んでくれる真砂子は大好きだ。
渋谷君が私の霊感があるのか疑い始めたのかは定かじゃないけど……私は絶対誰かに視えると言ったりはしない。…真砂子は特別だけど。
瑞希は探るような渋谷君に、やや冷たい空気を纏って、見つめ返した。
『もう用がないなら帰りたいのですが……。機械も車に戻したし、あんな事があったからもう今日は引き上げるんでしょ?』
「ああ」
『そう言えば…明日は日曜日ですがどうするんですか?集合します?』
私の質問に、渋谷君はやることがあるから明日はいいと返して来たので、今日はこれで帰ることとなった。
渋谷君はリンさんを連れて、車を残したまま何処かへ行くのをひっそり見送る。
《明日休みになったな》
『うん。何でだろ?黒田さんが犯人だって証明の準備って時間がかかるのかな?』
《さあなー》
《ねえ、早く帰ろうってばぁ〜》
『はいはい』
明日は休みになったから…今日は家に籠って掃除でもしよう。そして明日は真砂子の様子を見に病院へ行こう。
念のために入院したと言っていたし…それに、真砂子が病院に運ばれた後、私もリンさんと病院に行くには行ったけど真砂子とは会えなかったので、彼女の具合が気になる。
…――でもその前に押しかけても迷惑じゃないか、連絡してみよう。
これからの予定をざっと立てて、瑞希は黒田さんの騒ぎが無かったかのように、軽い足取りで家へと足取りを変えた。
渋谷君が真実に辿り着いたと知り、今日で調査も終わりかと、少し寂しさを覚えたのは認めるけれど……明後日も会えると、リンさんの姿が何故か脳裏に浮かんだのは気のせいだと思う。
お互いがお互いに背を向けあったのに――…渋谷君とリンさんが一度立ち止まって、瑞希を見ていたのは、ジェットとヴァイスしか気付かず。
事態が急展開を迎えるのは――明後日だ。
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