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「いまの霊は……まるで実体のような……」
真砂子が、茫然と呟いた。
「先生、松山先生」
彼女と同じく茫然と思考が停止している松山先生に、ナルが「救急車を呼んでください。怪我をした生徒がいます」と、声をかけた。
これまで犬の霊は生徒達が噂しているのを知っていただろうし、以前ナル達と一度見ている松山先生は、現実主義者だからか、今視たものが信じられない……信じたくない現実なのだろう。ナルに対して、「あ、ああ」と、生返事を寄越していたのだから。反応に顕著にそれが現れていた。
「……ねえ、今のってこの間の同じ犬だよね……?」
「だと思うが……なんだあのデカさ」
昨夜の火事にて、瑞希が視た去り際の黒い犬――…彼等には視えてなかったみたいで。
同じような犬の霊がいると混乱しなくて良かったと、瑞希は人知れず安堵した。
明良と瑞希は、頭に手を当て、立ち眩みは気のせいだと自分自身を誤魔化して立ち上がる。
「強くなってるんじゃないか……?」
ナルの呟きに反応した。
これでナル達は、麻衣が見たという夢の信憑性を信じてくれる。共喰いをしていたと信じてくれれば、自ずと呪いに辿り着く。それまでになんとか坂内君を保護しなければ……。
拷問用の念糸が苦手だったらしい明良さんから、初日に視たあの黒犬に連れ去られた坂内君。
お守りを渡していると知らない明良さんの貌は、すぐにでも気配を辿って行きたいと訴えていて。私の指示を待っている。
「真砂子!?どうし……、」
「おいっ!?大丈夫か?」
麻衣とぼーさんの焦り声が耳に届き、バッと振り返った。
真砂子の引き寄せられたのか、麻衣もその場に蹲って、二人して頭を抱えている。麻衣は超能力者の卵だから、プロである真砂子はともかく後輩のメンタルを懸念していたのに、自然とため息が出た。
「おい、」
『ぼーさんっ、無理に揺らしちゃダメ』
「……なにかあんのか?」
『ここに残ってる強い残留思念を読み取ってる最中みたいなので、』
「邪魔をしちゃ悪いですよ」
瑞希に続いて明良も注意を付け足して。
ぼーさんは麻衣の肩から手を放し、ナルはなるほどと頷いた。
真砂子は目を閉じて目に見えて苦しんでいるし、麻衣の瞳は虚ろで、顔を覗いていたぼーさんにも気付かず、遠くを見ているようなそんな様子。
「サイコメトリーか」
一分くらいで、夢から覚めたように、固まっていた身体を揺らした二人。ぼーさんが、ほっと息を零したので、私はくすりと笑みを零した。周囲の喧騒はまだ止みそうにない。
「急に、二人してうずくまるから、びっくりしたぞ」
顔を上げた麻衣は、心配するぼーさんに目もくれず、
「真砂子…も、視たの……?」
「…えぇ……坂内さんが消えました……」
顔面蒼白で涙を流す真砂子に問いかけた。
真砂子からの返答で、同じものを“視た”のだと知った麻衣は、やるせなくなった。
夢を視て、その通りに現実が動いて、みんなが信じてくれるのは正直嬉しくても、こんな悲しい映像は視たくなかった。
これがホントに起こったものだと信じたくなくて、助けられなかった自分に腹立たしさも覚えた。
胸の中は、ぐちゃぐちゃで、怒りを抱いているのか、悲しんでいるのか、自分でも気持ちを整理できなくて。真砂子のように涙を流して悲しむことも出来なかった麻衣は、救いを求めるよううに、瑞希を見上げたのだった――…。
はらはらと泣く真砂子に、顔を暗くしていた先輩は、麻衣の視線に気づき、彼女の頭を撫でて元気づけ、明良さんを見遣る。
『大丈夫、大丈夫よ』
――瑞希先輩、もう坂内君は食べられてしまったのっ!
そう叫びたい麻衣だったが、不思議と先輩のあたたかいその音と体温は、麻衣の心を落ち着かせてくれた。
先輩の穏やかなソレには、絶対的な安心感を自分に与えてくれる。慕っているから?それとも先輩だったらどうにかしてくれるという不思議な力のお陰?
「もしや…」
『あ、うん。そう。多分…明良さんが予想している通りよ』
明良さんが持ってきてくれた物を一枚使っちゃった。と、告白した瑞希に、坂内君を見逃してしまい負い目を感じていた明良は、安堵するとともに、苦笑も洩らした。
当主として成長をした瑞希を尊敬もするが、保護者目線で言わせてもらうなら、せめて無茶をするなら教えて欲しかった。と、同時に、相談すらなかったのは自分がまだ実力を伴ってないからだと言われている気になってしまう。
昔感じっていたコンプレックスは今も尚健在だった。
瑞希様に頼られたい、彼女の背中を守れるようになりたいと思えば思う程、昔よりもコンプレックスが酷くなっていく。
「瑞希様、いつの間に」
『まあ、秘密』
「失敗したらどうするつもりで――…、いえ今は止めておきましょう。後で詳しく訊きますからね」
『ハイハイ』
物事を先まで読んで行動する瑞希様には頭が上がらない。
初めてお会いした時は、あんなにも小さく無垢だった彼女が、忠誠を誓うに値する当主になっているのだから驚きである。
「はいは、一回です!」
『オカン』かって。うるさいから小声で、ぼそりと呟いたのに。
「なんて言いました?この明良、耳が悪く聞こえませんでした」直ぐに反応があり、地獄耳に戦慄した。
松山先生が救急車を呼びに走り去ったのを横目に、ぷんすかと効果音が聞こえてきそうな雰囲気を払拭しようと、『で、行く?』と、主語なく問いかけて。
ちゃんと理解してくれた明良さんが、「えぇ。行きましょう」、そう浮かべていた親目線の表情を消し真剣な貌で首肯した。
「待て。お前等にはやってもらわなきゃいけない最優先事項がある」
『――え、?』
「なんですか?」
二人でカッコ良く頷きあって、坂内君がいる…恐らく屋上に向かおうと、ナル達に背中を見せた。のだけれど、所長のナルに引き留められる。
戦意喪失していたのを律して立ち上がった明良さんをしっかりと見届け、私もいざ向かおうと意気込んでいたところだったから。
顔色を変えないナルと、うんうん頷いているぼーさんの二人を交互に麻衣と真砂子が、戸惑いながら見比べて。ナルが言っている優先事項がなんなのか見えていないのは、私と明良さんだけじゃないようだった。
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