3-2 [10/28]
寝覚めは当然最悪。
起きて一番最初に自分の心臓の音を確認し、夢だった夢で良かったとほっとして。ただの夢であったなら憂鬱な気分にはならないのにと朝からうんざりした。
未だに過去に囚われている。
諸悪の根源を潰してないからなんだろうけど…解決していたとしても…きっとあの出来事はこれからも永遠に私の中で強く根付いたままに違いない。
「あ。瑞希おはよー」
『ジーン…私もう出掛けるから、朝はヴァイスに作ってもらって』
「え、もう行くの?それよりも調子悪い?」
いつもだったら朝の挨拶をしてから、一緒に食卓を囲むんだけど。余裕がない。
客室に横たわったままのユージンに声をかけたら、きょとーんとされた。彼の呑気な声に心配の色が灯ったのにも気に掛ける余裕もない。
「雪女さんの作るものって全部凍ったのしか出て来ないよー」
「僕、風邪引いちゃう」と紡いだジーンの微笑みはジョンと同じく癒される。憂鬱な気分が少しだけ和らいだ。
彼と話していると普段はうるさく感じるのに、場が柔らかくなるから不思議。
ジェットと野狐の仲の悪さも、ジーンの前では発揮しないし。計算じゃないところが凄いよね。
《調査二日目だろ、俺も行く》
『ジェットもお留守番。まだ動かないだろうから、今日も来なくて大丈夫よ』
《こいつのお守りはヴァイスがいるだろーが。俺も行く》
問題の学校に行くのは今日で三回目。本格的な調査は今日が二日目。
騒ぎの原因に気付く頃だと思ってるらしい。今回は霊が視えないため厄介で今日もあちらさんの動きはないだろうと思うのが私の考えだ。ジェットにはまだ言えない。
『駄目』
ジェットはヴァイスっと違って、人の…特に私の感情の機微に敏感だ。
物事を的確に捉える鋭さも有り侮れない。昔から彼の聡明さには救われていたから今更だけどね。
今日はホントに心に余裕がない上に一人で確かめたいことがある。とにかく一人になりたい。八つ当たりしそうだもの。
『ジーンと一緒にいて?お願い』
すうっと細められた金の瞳から視線を逸らして頑なに言えば、間を置いて《判った》と抑揚のない声が返ってきた。
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憂鬱な気分の時は、他の事で頭をいっぱいにするに限る。といっても思考の内容は限られているが。
『(学校の中で一番気になるのは…)』
――2-Bの教室。
滝川さんのファンである高橋さんのグループが話していた例の教室だ。
『この席…』
生徒が登校するだろう時間よりも早くに、もう一度霊がいないか確認したかった。確認したいのはもう一つある。
校舎の至る所に感じる瘴気や怨念の類のものは、この席が一番強く感じるような気がするのだ。何故かはわからない。でも何かある筈。それを確認したい。
「佐藤さん?」
『!っ』
誰のことよって私か。
気配なく現れた闖入者の声にびくっとした。
振り返って視界が捕らえた闖入者に思わず溜息が出そうになった――私は悪くない。いきなり背後から出て来た産砂先生が悪い。
『おはよう御座います。早いですね』
「えぇ、おはよう。佐藤さんも十分早いですよ。今日は一人?」
『後から来ますよ。昨日来た人数で調査を続ける予定ですので』
「佐藤さんはいつからスプーン曲げが出来るようになったの?笠井さんと同じ歳でしょう?」
『…物心ついた時には出来るようになってました』
「へぇ………凄いわね」
ふわりと微笑む先生の瞳は笑ってなかった。
上品に口角が上がり目尻も同時に下げられた機械的な動きは、作られた笑みだ。
産砂先生は私が結界術を使ってスプーンを破壊したのを良く思ってないらしい。相変わらず纏ってる瘴気の濃さにうんざりした。
『私はこの“力”を凄いと思ったこともなければ、あまり好きでもありません。いい思い出がないんです』
笠井さんには親身になっていたから、てっきりこういった力に肯定的だと思ったんだけど…違ったのかしら。
それとも、ただ単に私が気に喰わない…とか?まあ私にはまったく関わりがない産砂先生から嫌われていたとしても痛くも痒くもないわ。
『良くも悪くも、人と違う力を持つ者は注目を集めてしまう』
私の行動を監視しているかのような眼光の鋭さに、この席を調べるのはまた後日に見送りになりそうだと心の中で嘆息した。
問題の机の上に置いてた手をどけて、彼女に苦笑してみせる。
『全ての視線が肯定的とも限りませんからね、笠井さんのように』
「あなたも苦労したのね」
『それほどでもありません』
昨日の笠井さんとのやり取りを思い出して頷いた先生に首を左右に振った。
肯定的…寧ろ私に対して否定的な産砂先生に、苦労しましたーなんて言えるかっ。彼女から感じる僅かな敵意。
――私はこの先生に…何か粗相を仕出かした?
思い当たる事と言えば、笠井さんに厳しい科白を吐いたくらいだろう。
え、まさかそれだけでこの対応?否、この教師は一人の生徒に親身になるようには見えない……私の偏見か。考えても意味はないかな。否定的な態度の理由などどうでもいい。
『他人に認めてもらおうとした私の考えが甘かったんです。スプーンを曲げられる力なんて特別じゃない、認めて貰えるような力じゃなかったんですよ。――世間は思ったよりもずっと厳しく冷たい』
言うつもりはなかったのに、浮かんだ言葉を紡いでしまった。
私の通った道のりを笠井さんには通らないで欲しいそう思ったからかもしれない。笠井さんを一番近くで見ていた教師に笠井さんを正しい方向へ導いて欲しいから。
私には同じ力を持った大人がいたから、辛いことがあっても何とか生きて来られた。けど、笠井さんの周りにはそんな大人はいない。
私とナルに驚いていたくらいだもの。彼女の理解者は産砂先生以外に一人もいなかった。なんて辛く寂しい現実なのかしら。他人事なのに笠井さんに同情してしまう。
『笠井さんのこと助けてあげて下さい。このままでは心が壊れてしまう』
「そうね。佐藤さんはその能力、今でも嫌い?」
『…どうでしょうか』
霊視の能力も結界術の能力も、持ってなかったら私も“普通”の子になれると信じていた。何で私がこんな目にとも思ってた。
この身に流れる血によって受け継がれた能力なのだと知り、憎しみは困惑に変わり、遥かに年上だったけれどそれでも同じ力を持つ一族の人達に出逢えて私の世界は広がった。
一人でも理解してくれる人間が出来たことで、私は私のまま生きていいのだと言われたような気がしたのを覚えている。理解者がいなかったら孤独のままだ。
『見えなかった事柄にも気付けましたし…結果的には持っていて良かった、と今では思えます』
この血のせいで友達は離れて行った。
この血のせいで母親に拒絶された。けれど――…この血のお蔭でジェットやヴァイスに出逢えた。皮肉にも嫌だった力に救われたのだ。
今では昔よりも少しだけ大人になれて、山田当主としての自覚も芽生えている。結界師として私は前を歩むと決断したのだから、泣き叫ぶことが許される子供のままではいられない。
『どちらにしろ“力”に固執するのは愚かだとは思います』
「………そう言えば、その席気になってるみたいだけど…何か分かったのかしら。良ければ教えて頂けない?」
巨大な力であればある程、制御は難しくなる。
制御できるように修行するのは、異能者として産まれた定め。だからといって、力に溺れる愚かな行為はしない。
父の教えの通りこの力は決して人間には使わない。
『いえ、私にはわかりませんよ。ちょっと気になったから見に来ただけなんです』
「気になった?その席が?何故かしら」
まるで詰問のようなソレに教師として熱心なんだなと感心。
勝手に苦手意識を持ってすみません。意外といい先生なんですね。
『んあー…、(霊が視えるのに視えないからとは言えないし…)』
今朝見た夢を引き摺ってるせいか、校舎内に霊が視えないのはもしかしたら対象者じゃないからなのかもと考察している。
その思考の流れにまさかと思いつつ外れろと念じて、怠い体に鞭打って、この教室にお邪魔したのである。
産砂先生の目があるからこの教室は調べられない、とすれば…次は、陸上部の部室にお邪魔しよう。私は、産砂先生の疑問を曖昧に躱して、この後の段取りを決めた。
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