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※箱云々の話が終わった未来の話になります。
※若干ネタバレ。
※番外編の「小さくなりました」の続き
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――なんでこうなったんだろう。
経緯は違えどその場にいる者の思いは一致していた。当事者を除いて。
フォンヴォルテール卿グウェンダルは自身の膝の上で、きゃっきゃっ楽し気な笑い声を上げる小さな女の子のつむじを、どうしてこうなったと頭を抱えながら見つめた。
彼女にもこのような幼少期があったのだなと微笑ましく呑気に思う余裕はない。
言わずもがな真ん中の弟ウェラー卿コンラートのせいだ。およそ兄に向ける眼差しではない、視線だけで人を殺せそうな殺傷力のある眼でジッとこちらを見つめているのだ。瞬きくらいしろよと言いたい。
「お前ら仕事に戻ったらどうだ」
自分の一挙手一投足を見逃すまいと睨んでいる弟の方角に視線を遣らないようにし、部屋の中にいる魔族全員に溜息交じりに投げた。
コンラートの方は見なくとも想像がつく。絶対、恨みがましい両目をしているに違いない。視線があったら最後、文字通り最期にされそうだ。
「とか言ってさぁーサクラが心配なんでしょ?」
「ここは土方さんの執務室だしね〜」
「いたいけなサクラ様と二人っきりになろうったってそうは問屋が卸さないわよッ」
「サクラの仕事を代わりにしているだけだ」
一人意味合いが違った私的な発言があったが、敢えて触れない。こちらも突けば蛇が出そうだ。
「そうだとしてもさ、ここでする必要はないんだし。グウェンもサクラが気になるんでしょ?」
「気になる?――フォンヴォルテール卿、サクラ様の事は諦めなさい。あたしの目の色が黒い内は許さないわよ」
――何を許さないと言うんだ。
それよりもお前の瞳の色は黒ではなく、髪と同じ桃色だろうが。
コンラートが一言も発しないのが不気味で気になって仕方がない。オリーヴはサクラが好きすぎて、チキュウの言葉を覚えて乱用するところがある。どんだけサクラが好きなんだ。
「サクラが私から離れないんだ。それならここで仕事をした方が、お前達もいろいろと安心なんじゃないのか」
サクラを探す手間も省けるのだし――…そう付け加える前に、今まで黙っていた次男がおどろおどろしい雰囲気を背負って、低い音を発した。
「サクラが離れない?自慢か、グウェンダル」
「ムカつくわね」
こういう時に手を組む二人の威力は計り知れない。普段からそれくらい仲良くすればいいものを。
私怨しか込められてない言動に、仕事をしろと再度言いたい。
サクラの護衛であるオリーヴはまだ判る。だがコンラートお前は出てけ。直ちに魔王を連れ出して政務室で書類でも捌かせろ。
ぽやや〜んとお花を飛ばしてそうな空気のシブヤユーリと、優雅に紅茶を啜っている猊下を視界で捉え、他人事のような二人の態度が頭痛とため息を誘う。魔王の隣には我が物顔の末弟――ヴォルフラムの姿もある。
『ケンカか〜?』
膝の上でグウェンの腹に顔を埋めていたサクラが突然顔を上げて、全員から注目される。
恐らくオリーヴとコンラートの殺気に反応したのだろう。くりくりとした美しい黒の瞳には、不安にゆらゆらと揺れていて。二人の罪悪感を刺激した。
サクラは、白い猫のあみぐるみぎゅうっと抱きしめていて、加護欲をそそる仕草をしている。
『めっだぞ』
コンラートがうッと胸を抑えて動かなくなった。分からなくもない。そのままギュンターのように再起不能になればいいのだ。
サクラが手に持っているあみぐるみは、もうずいぶん前に御近付きの印として渡したものだ。あの頃は大変だった。訂正する。あの頃も、だ。勘違いされて手錠されたり、捕まったり。
あの日以降、記憶がなかったサクラとも新米魔王陛下とも、親しくなれたと思う。自分もまた魔王陛下を信じてみようと思ったきっかけになった。
あの事件の後あげたあみぐるみを、執務室の棚に飾ってあったとは、知らなくて。
小さくなったサクラが『ブタしゃんだー』と、舌足らずに取ってと言われなければ、気付かなかった。誰にも言えないが嬉しいと思った。小さく「それはネコたんだ」と、訂正するのも忘れなかった。
「ケンカじゃないですよ。話し合いです」
『?はなしあいに、さっ気をこめるのか?ぶっそーだな』
「サクラ様ッどうしてですか!」
彼女の寝室からところ変わってここ執務室には、現在部屋の主のサクラ、グウェンダル、ユーリと猊下、護衛のコンラートとオリーヴとヴォルフラムがいて。ロッテはクルミと扉の外で護衛している。
締め切りが迫らないとやる気が出ないサクラの机は、沢山の書類で溢れ返っていたので、グウェンダルはここで片付ける事にしたのだ。
この量を自分の仕事部屋まで運ぶのは骨だ。
『うぬ?』
サクラが小さくなった原因と、小さくなってしまったことによる体への影響など。考えなければならない小難しい問題は、猊下に丸投げした。
頭脳戦が得意な猊下だから託したのだが、ゆったりとユーリと駄弁っているのは、さして危険ではなかったからだろうか。聞くに聞けない。
「どうしてフォンヴォルテール卿に懐いているのですかー!あたしの方が可愛いでしょー?」
「可愛いとか関係ないだろう。そしてお前はそこまで可愛くない」
「失礼ねッ!これだからウェラー卿はっ!」
「俺がなんだ。――あぁサクラ…なんでグウェンなんかに……俺の方が愛しているのに」
「愛とかそれこそ関係ないわ!それに貴方の愛よりあたしの愛の方がキラキラしてるわ」
「俺の愛は鉛よりも重く深い」
「キモッ」
また始まったくだらない口論を止めたのは、『めっだぞ』二人にとって破壊力のあるサクラだった。まさに鶴の一声。
途端に黙った二人を見て満足そうに笑ったサクラは、グウェンダルのお腹をぺたぺたと触っている。先程からずっと腹が気になってる様子に、もしや…とグウェンダルの中で一つの確信が芽生えた。
これには流石にユーリも呆れて、コンラートに苦言を呈した後、サクラと向き合う。
「サクラはこのお兄ちゃんのどこが好きなの?」
ちゃんと目線の位置を下げて、ユーリは優しくサクラに問うた。
すかさず後ろから、「そんなの兄上が素晴らしい御方だからに決まっているだろ」と、ブラコンを発揮した発言はスルーする。誰も拾わなかった。
サクラが、ぱちぱちと瞬きさせて、ユーリとグウェンを交互に見遣り、にぱっと笑みを浮かべた。
『きんにくむきむきー!』
サクラはサクラだった。
思わず全員が照らし合わせたように仲良く沈黙した。少し前まで争っていたコンラートもオリーヴも。我関せずといった態度だった猊下も、全員。
そうだったサクラは筋肉に強い憧れを抱いているんだった――…コンラートとユーリの心情がリンクした。これに関しては、ユーリも筋肉の話に花を咲かせることもしばしばだった為、納得はすれど抵抗はなかった。
いつだったか、サクラがどれだけ鍛えても筋肉質な体系にならないと愚痴っていたのを、コンラートとグウェダルとオリーヴの三人は思い出していた。
どう筋肉をつけようか試行錯誤する彼女をいつも止めていたのは、上記の三人だから。剣の特訓ならともかく筋肉欲しさの筋トレを始める度に三人で蒼褪めていた。男顔負けなムキムキサクラは見たくない。
「き、んにく…いいよね!」
――懐く理由、それなの?
とユーリは叫びたかったが、幼いサクラの手前頬を引き攣らせるだけに留まらせた。
『きたえておるのか〜?わたしもこれくらい、きんにくが欲しいぞ』
「いつでも動けるように日々鍛えているからな」
『いいな〜いいな〜サクラも欲し〜な〜』
口を尖らせない物ねだりをする漆黒の姫に、自然と頬が緩む。願いは叶えてあげられないけど。
瞬時に険しい空気へと戻したコンラートには溜息しか出ない。
『きめた!サクラ、ぐーえんとけっこんする!』
「………はぁ?!」
サクラが言ったぐーえんとは自分のことだ。グウェンダルと発音できなくて、ぐーえんと舌足らずに落とされた爆弾は、油断していたが故に大きな衝撃になった。
数秒したのち――…意味を理解した、そしてそれが許せない人物が二人いる。同性は省いたとしても一人確実にいるわけで。
今から戦場に行くのかと確かめたくなるような、そう懐かしいルッテンベルクの獅子がそこにいた。オリーヴの開きかけた口を遮ったのは、当然だが弟だ。
「サクラっ!どうしてグウェンダルなんだッ!考え直して」
「子供の戯言なんだ。さらりと流せないのか」
「グウェンダルは黙っていてくれ」
オリーヴの、「必死ね、無様だわ」と、自分の事を棚に上げコンラートを嘲笑する音吐が奏でられても、弟は見向きもしない。
やや血走った眼で、グウェンダルの膝の上に行儀よくちょこんと座るサクラに詰め寄ってる。凡そ成人男性のする行為には思わなくて、現実から逃げるかの如く弟からそっと視線を外した。
別に一刀両断されたからへこんでいるんじゃない。断じてない。
『このきんにくは、りそーなのだ』
「筋肉が好きなら俺の筋肉はどうです?脱ぐとスゴイんですよ」
『そうなのかー?そーは見えぬなー』
「でしょうね、良く言われます。サクラ、いいですか。例え筋肉が好きでこの男と結婚したとしても、この理想の筋肉はサクラのものにはならないのですよ」
『!なんと!』
「――コンラートいい加減にしろ」
「私は仕事をせねばならんのだ」と、年の割には聞き分けの良いサクラを両脇から抱え、コンラートに持たせる。怒っていたのにいざ渡されると戸惑う弟に呆れてしまう。
そう言えば、サクラがコンラートは意外とヘタレなのだと言っていたな――なるほどと小さくなったサクラに向かって、心の中で頷いておく。今言っても、なんの事か分からんだろう。
落とさないようにそろりと割れ物を扱うかの如く抱えているコンラート、頼むからそのまま魔王一行と共に出て行ってくれ。そして、全てが解決して、元の姿に戻ったサクラを連れて来い。
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