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第十五話【一死報国】
土砂降りだった雨の勢いは少しゆるやかになり、しとしと地面を濡らしていた。
「……死んでいるのか」
闇も濃くなった深夜――…フォンヴォルテール卿グウェンダルは、小さな教会に自身の部隊の兵士と、弟――フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムと共に来ていた。
否、小さな教会だったと言うべきか……、教会だった建物は無残な姿へと変わり果て、屋根は焼けただれ、小さいながらも立派に立っていた教会は見る影もなく焼き尽くされていた。
火の勢いは雨によって削がれてはいるが、まだ燃えているので、彼の部下が鎮火作業に取り掛かっている。
「いえ、矢の毒が回らないように、ご自分で仮死状態になられたかと」
「そうか」
本隊よりも先に、斥候に行かせたグウェンダルの隊の二人の兵士が、王佐であるフォンクライスト卿ギュンターを、グウェンダルの元へ運んできた。
青白く担架に横たわるギュンターを蒼の双眸が捉えて、静かに兵士に問えば、仮死状態だと返答に、ほっと息を吐く。何が起こったのか判らない…この状況で、これ以上親しい魔族の死は避けたい。
「……ねぇ」
「はっ!」
「ランズベリー・ロッテは、どうなの?……死んでるの」
グウェンダルの隣に立つ、共に来ていたブレット卿オリーヴが、抑揚のない声で、淡々とグウェンダルの兵士に尋ねた。
兵士が運んだのはギュンターだけではなく、担架から覗く金の髪に、オリーヴは眉間に深く皺を刻む。
「いえ、同じく矢の毒が回らないよう仮死状態になられたかと思われます」
「そう。ならいいわ。――フォンヴォルテール卿、アンタの部隊にロッテを任せるわ。………あたしは…、」
「わかった。お前は、お前の好きにしろ」
感情豊かなオリーヴが、堪えるように無表情で、だけど一瞬だけ辛そうに眉を寄せたのを見逃さなかったグウェンダルは、彼女の言葉を遮った。
彼女の敬愛する主の姿が見当たらないのだ。もちろんロッテの事も気になるのだろうが……主の無事な姿を見ないことには、彼女も彼女と一緒に来た兵士達も気が気ではないのだろう。
グウェンダルがそう思考しながら言えば、感情を押し殺したピンクの瞳がグウェンダルに向けられ、オリーヴは一度だけ横たわるロッテを見、同じく山吹色の軍服を身に着けた兵士の元へ歩いて行く。
グウェンは、その後ろ姿を見て、深く溜息を吐いた。
そして次に座りこむグレタとレタス、それから二人を前に立つヴォルフラムを視界に入れて、グウェンダルはこれからの事を思いもう一度だけ深い溜息を吐き出した。一生分の溜息を吐き出した気分だ。
「ギュンターが見つかった」
ギュンターが辛うじて無事だとヴォルフラムに伝え、グウェンダルの声にぴくりと反応したグレタに、「何があった」と尋ねるが、
「子供には無理です」
と、普段は長兄には突っかからないヴォルフラムがすかさず反論したので、少なからず驚いた。だが…。
「だが、他に誰に訊けばいい?」
「でも、子供には……」
ぐっと言い淀むヴォルフラムから、グレタとレタスに目を向ける。
二人の幼子を見ると――…二人とも目を腫らして泣いているが、レタスは焦げ茶のエプロンらしき布を握りしめて人形のような…感情が抜け落ちた表情をしており、そんなレタスに比べればグレタの方が話が通じそうだったのだ。
「話せるよ」
「では教えてくれ」
グレタは隣で目を合わせようとしないレタスをチラリと見て、グウェンを見上げた。
「ギュンターもコンラッドも、国内にまで敵が来てるって考えなかったんだよ。だからグレタもレタスも、連れてきてもらえたんだよ。大急ぎでユーリを迎えに来たの。誰も喚んでいないはずなのに、ユーリとサクラのタマシイがこっちに来てそうだって、一番偉い巫女さんが言ったから」
涙を流すのを堪えてたどたどしく話すグレタに、ヴォルフラムも耳を澄ませた。
彼女の話に、希望があるかもしれないのだ。少しでも情報が欲しくて、グウェンダルも訊き逃すまいとグレタを見据える。
「方角も時刻もぴったりだったんだよ。お城に連れて戻ってるヨユウはないから、会いたいなら一緒に連れて行ってあげるって言われたの。グレタはどうしてか知らないけど、ユーリとサクラにはすぐに帰ってもらうヨテイなんだって……どうして?」
「この国が安全とは言えないからだ」
「箱のせい?」
「ああ」
グレタの口から出た“箱”の言葉に、グウェンダルは目を剥いた。幼子ながらに、何か察しているのか。
「……でね、裏口から馬に乗って、教会に向かったの。そしたら誰かが、ユーリとギュンターを弓矢で狙ったんだよ。それでギュンターが……馬から落ちたの。五人でここに逃げ込んで、コンラッドはあの――…ヴォルフにそっくりな絵からイドウできるって言ったんだよ」
グレタは、焼け焦げた額縁を指差して説明する。
「巫女さん達の準備が整ってれば、ユーリもサクラもチキュウに戻れるって。でもね、あいつらが……コンラッドが半分以上、やっつけちゃったけど。サクラも戦ってたよ」
グレタがサクラの名を口にしたら、隣で無表情だったレタスの表情筋が僅かに反応した。
グウェンダルは、レタスを見、サクラが戦ったと訊き――…グウェンもヴォルフも、頭を抱えそうになった。アイツはまだ自分の身分を判ってないらしい。
「あいつら、火を吐く筒を持ってたの。それで扉を破ってきたんだよ。グレタとレタスは危ないから、隠れてなさいって、サクラに言われてっ、隠れてっ、椅子の下に隠れて、たんだけどっ、」
嗚咽をもらすグレタを急かさず、グウェンダルは静かに相打ちを打った。
グレタとレタスの様子から二人には酷だったのだろうと窺えるが、それでも情報が欲しくて、罪悪感で軋む胸から目を逸らす。
「グレタっ、怖くて目と耳を閉じててっ、気付いたらサクラが椅子から出て来てもいいって言ってて、出ようとしたらっ、そしたらっ!そしたら…いきなりサクラに抱き着かれて、すっごい音がして、サクラが爆発から守ってくれたからっ、グレタもレタスも無事だったの……でもサクラがっ!気付いたらサクラがいなくってっ!!!」
「っ!」
グレタがそう叫んで、レタスは隣でサクラの名を耳にして、ひゅうッと喉を鳴らした。
言葉にすると、目の前で起こった事が現実だと受け止めなくちゃいけなくなって、グレタは溢れて来る涙を、
「……睫毛が、目に入っちゃったよう」
と、理由をつけて瞼を小さな手で隠した。
泣き叫びたかったけど…これ以上泣いてしまったら、サクラもコンラッドもユーリも死んでしまったと認めてしまったことになるから――…グレタは意地でも涙は流したくなかった。それでも涙が溢れる。
「グレタ」
こんなに小さな子が必死に悲しみを堪える姿を見てられなくて、ヴォルフラムはグレタの体を抱きしめて。
グウェンダルは、赤毛を優しく撫でて、その隣で表情が抜け落ちたレタスの空色の髪も優しく撫でた。その際、レタスが握りしめる焦げ茶の布が赤黒く染まっているのに気付き、眉をひそめる。
赤黒く染まるソレは…血ではないのか。時間が経つと赤黒く変色するソレ。グウェンダルは出掛った言葉を寸前のところで呑み込んだ。
「死んじゃったの……?ユーリも、コンラッドも……お母さんみたいに。サクラは…サクラは死んじゃったの?……グレタが悪いのかな、みんなグレタが悪いのかな」
「ユーリが此処にいたら、お前が悪いと言うと思うか?」
「……ユーリはそんなこと、言わないよ」
「では、そういうことだ」
話し込むグウェンダルに向かって、山吹色の軍服の兵士が、大きく手を振り合図を送って来たので、立ち上がる。
火を鎮火出来たのだろう。これで、問題の教会内を調べられる。願うは、彼等の焼死体が出てこない事。最悪の事態にならないことを――…ただひたすら祈る。
「下、崖よ」
異臭が漂う中、ピンクの髪を靡かせながら平然と立つオリーヴに近寄ると、裏口の先は崖になっていた。
もしもこの場に、彼等の遺体が見付からなかった場合を考え、下の辺りも捜索せねばなるまいと一考する。
「使いをやりました。近隣の住民と全兵士を動員して、すぐに捜索を開始します」
「任せる」
グウェンダルの考えを読んでいた兵士が、発言して来たので、頷く。
すぐにこの場を後にする兵士達の背中を、見遣ることなくじっと崖の下を見つめるオリーヴをチラリと見て、瓦礫に視線をやった。少ない情報で、彼女に安易に言葉をかけれなかったのだ。
何か出てこないかと探す深緑の軍服と山吹の軍服が、忙しく動いていて。隣にそっと蒼の軍服を身に着けていた末弟が立った。彼もまた気になるのだろう。
チラリと見降ろして、グレタ達がいた場所を見ると、女性兵が二人の相手をしているみたいだった。
「人間ですね……申し訳ありません閣下、人間であります」
近くで焼けた黒の物体を調べていたグウェンダルの部下の言葉に、グウェンは「ああ」と短く答えた。
人間で良かったと思うべきか。目ぼしい情報が見付からなくて悔やむべきか。
「こちらもそのようです。となると……その……お探しの、いえ、ご心配の……」
「余計な気を回すな」
「はっ、背格好や装飾品から判断しまして……陛下のご遺体も姫様のご遺体も……ない様子です。しかし小規模ながらも爆発が起こったと推測しますと、確かなことは申し上げられません」
「生存の可能性はあるということか?」
押し黙っていた末弟の抑揚のない声音に、グウェンダルも、報告する兵士に近寄ったオリーヴも眉を上げた。
感情豊かなのが取り柄のヴォルフラムを見ても、今の彼は感情を消す軍人のソレになっていて。少なからず死に慣れていたとしても…身近な、しかも大切な者の死に直面して、感情の起伏を見せないヴォルフを目の当たりにして、言葉を失う。
「自分には何とも……ただ……」
兵士は言いにくそうに、三人を見上げて、近くに埋もれていたモノを取り出して見せた。
松明に照らされたモノは――…どうやら腕のようで。認めたくなかったが、見慣れたカーキ色の軍服のようだった。かろうじて見えたカーキ色に、三人は眉をぴくりと動かす。
「この飾り釦に見覚えはありませんか。貴族の方々が身に着けられる細工かと」
「……ウェラー卿のものだ」
「ということは、コンラートの腕ですか」
兄だったモノを前にしても、取り乱さないヴォルフラムを見て、オリーヴもグウェンダルも何とも言えない表情を作った。
「兄上?」
「私に似るな」
「何ですかいきなり」
「……感情を押し殺すなって言いたかったのよ」
いや、と頭を左右に振って背中を見せたグウェンダルに変わって、眉を寄せるヴォルフラムに、オリーヴが答えた。
上に立つ者として不安がれば下が揺れる。だからこそ、こんな時でも気丈に立っていなければならなくて、痛みを痛いと言えないグウェダルに、末弟まで似て欲しくなかったのだ。
感情を隠すのに長けている次兄も、その点では長兄に似ていたと言えるだろう。
それに……今ここで泣いていないと…陛下や姫の遺体まで出てきてしまえば……ヴォルフは心を壊してしまう――…オリーヴもグウェンダルもそうなる事を懸念していた。
「何もかも全て城へ運べ!欠片も灰も一塵たりとも残すな。だが、人間どもの燃えかすとは決して一緒に扱うなよ」
コンラッドの腕だったモノが見つかったのだ。ユーリとサクラのモノだった肉塊が見つかっても、おかしくはなくなった。グレタの話によるとサクラは爆風に巻き込まれた可能性もある。そうなると…ただでは済まないだろう。
辺りに散らばる兵士に向かって、大きな声を出したグウェンダルは、コンラッドの腕から釦を乱暴に布から引きちぎり、呆然と立ち竦む末弟の手の平に乗せた。
グウェンダルとて悲しくないわけなかった。
オリーヴとて、心を痛めなかったわけでもなかった。
だが彼等の立場がそれを阻む。確固たる意志で率いて行かなければ、後ろには誰もついて来ないのだ。
二十年まえのサクラから任された部隊を率いて行かなければならないオリーヴも、ぐっと下唇を噛んだ。まだだ、自分が泣くにはまだ早い。
「っ、」
ヴォルフラムの手の平にころんと転がる釦は、物心ついたころから目にしていた物で。やけに軽い釦に、震えが止まらない。
人間だからと嫌っていたウェラー卿コンラートにもう会えないのかもしれないと――…自身の手の平で転がる釦に、喪失感が押し寄せた。
「うあああああああああああああああっ!!!!!!あああああああああああああああああーーーー!!!!!!!!!」
コンラート、ユーリ、サクラっと、泣き叫びながら名を呼ぶヴォルフラムの悲痛な声が、焼き尽くされた教会に響いて。
「あああああああああああああっ!!!!!!!コンラートぉぉぉぉぉぉー!!!!!!!!!!っ、あああああああああ」
この場にいる魔族の叫びを代弁したような少年の哀しみが伴った声に、誰もが目を逸らした。
(失って初めて気付く)
(如何に大切な存在だったのか)
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