13-13
夜空で闇を照らす月は、何処にいても変わらずその姿を見せてくれる。
『はぁ…』
地球で見られる月よりも、綺麗に私の瞳に映るのは、この世界が大気汚染に侵されてないからだろう。
後数日で満月なのだな〜と思いながらも、私は息を深く吐き出した。昼間、訊かされた内容と質問に答えてくれたギーゼラの言葉が、頭から離れなくて、心が一向に晴れぬ。
彼等が申す“サクラ”とやらが、魔族として生を全うしたのならば、守る為に戦争に参加したのならば――…
『……』
…――私は一体、何人の人間を殺めたのだろうか。
サクラは昼間訪れた中庭のベンチに座って、暗闇を照らしてくれておる月に向かって両手を翳した。
『はぁ…』
サクラは、またも溜息を零した。
私は罪もない人間を殺めたのだろうか。本当は、その事をギーゼラに問いたかった。問いたかったが、そのような質問、問われた側も困るだろうし…何より、知りたくなかった。
死神として人間を守る位置にいた私が、人を殺めたと知ったら……一護は何と言うだろうか…。嫌悪の眼差しを向けて来るだろうか…。
上の命令で人間の命を奪う任務もなくはなかったが、それは実にまれだった。
『……はぁ〜…』
――私はいくつの命を奪ったのだろうか…。それは忘れてはならぬことなのに。私が背負うべきモノなのに。
「な〜に、たそがれてるんすか?」
『ぬわッ!?』
己の手の平を月に翳してたら突然、視界に眩いオレンジの色が映った。
「姫さんが驚くなんて珍しいっすねー」
『…ヨザック』
腕が鈍ったんじゃないですか?とニヤニヤ笑うヨザックに、私は隠しもせずに舌打ちをする。
人がせっかくシリアスに思考に耽っておったというのにッ!こやつは、人の神経を逆撫でする天才だ!!
こちらの世界――と言うか、死神だった頃と違って、普段から神経を尖らせておらぬわッ!故に、こう思考に深く意識が取られていたら、気配に気付かぬことだってあるわッ!
私は、心の中でそう思いながらも、ヨザックには何も言い訳はせぬかった。言い訳すべき相手は、口うるさい玄武である。これが知られたら怠慢だーとかで修行を増やされるに決まってる。
「で、何を考えてたんすか?こんな時間に、お供をつけないで」
裏返った声で悲鳴を出して、羞恥心から頬を朱くするサクラに、ヨザックは目を細めて訊いた。
『城の中なのだから、別に誰かと一緒でなくとも善かろう』
「なにか訊いたんですね?グリーセラ卿ゲーゲン・ヒューバーのこと――とか?」
ヨザックは飄々と尋ねながらも、段々と語尾が低くなっていき――…、とか?なんて、疑問形で言ってるはずなのに、断定的な声音で、私は軽く息を零した。
――鋭いと言うか聡いと言うか…ヨザックは油断ならぬヤツだな。それとも私が解りやすいとか?うぬ、それはそれでショックである。
そう言えば、こやつも、ルッテンブルク師団の兵であったな。
『ヨザックは…私が……』
……己が人間を殺めたかどうかなど訊いてどうする。サクラは頭を左右に振った。
過酷な戦地で生きておらぬ私が、訊いたとて、殺めた命を背負おうとする行為は……散った魂に失礼だ。お互いがお互いに守る為に、生きる為に、刀を交えた筈なのだ。そこで生きておらぬかった私が、安易に尋ねてはならぬ。魂の重さは量り知れぬのだ。
――それに…。
死神の使命だとか何だとか知らぬ目の前の男に尋ねたとて、どうせ判らぬだろうと言う思いと、これは私が消化せねばならぬ事だと言う思いから結局、訊かぬかった。
そう思考して、サクラは次に気になっていた疑問を口にした。
『私を“私”と見てくれておるが…私に記憶がないことをどう思う?』
ヨザックは初めて会った時から、変わらぬ距離で過剰に姫だと反応もせず、望む距離で接してくれる。それが今の私には心地よくて、そう尋ねた。
彼は、私の知らぬ私と、今の私を重ねて、懐かしんだり悲しんだりする素振りが見えぬのが救い。昼間に濃い話を耳にしてしまったから余計に。
「どう思うも何も…姫さんは姫さんでしょ」
『だが』
思わず、声を荒げたけど、ヨザックが夜空を仰いで続けて言葉を紡ごうとしたので、押し黙る。
『……』
「例え記憶がなくとも、サクラはサクラだ。そりゃ〜記憶が無くて寂しくは思いますけどねー…」
でも――と、ヨザックはそこで一旦止めて、サクラを射抜く様に見つめた。
「やっぱりサクラはサクラなんすよ」
『…意味が判らぬ』
「オレはね、記憶が無くてもサクラが生きてくれていたことが嬉しいんですよ。それはみんなも同じだ」
意味が判らぬと言いながらも、ヨザックの言葉が嬉しかった。
記憶があろうがなかろうが、私を私として受け入れてくれる。どんな私も受け入れてくれそうで――…サクラは頬を緩めた。
――皆も同じとは…。でもやはり私だけ思い出を共有出来ぬのは、もどかしい。
生きてくれていて嬉しいと言ってくれたヨザックと、あれが大変だったこれが楽しかったなんて、笑い合うことが出来ぬ。あの時代で笑い合っておったのかは甚だ疑問ではあるが。
ヨザックが敬称ではなく私をサクラと名を呼んでくれた事は、不思議と違和感はなく、ストンと己の中に入り込んだ。ヨザックは人の懐に入るのが上手いヤツだ。私はふっと笑った。
『貴様はヒューブの事……憎いか?』
知らぬかったとは言え、眞魔国にあやつを連れて帰って来たのは、私とユーリだ。ヨザックもあの戦いに参加した一人であり、ゲーゲン・ヒューバーの事を許せぬであろう一人である。
サクラは、コンラッドに詰め寄っていたオリーヴとグウェンダルの姿を脳裏に浮かべて、そう疑問を口にした。視線はヒューブが寝ておる部屋に。
どうせヨザックの事だ。今仕事から帰って来たのだとしても――…もうヒューブが戻ってきた事など、そして彼を連れて来たのが誰かなのかも知っておるのだろう――と、言葉を続けた。
押し黙ったヨザックに、私も押し黙る。やはり知っておったか。
「………憎くないって言ったら嘘になりますね」
『ヨザックも…大切な人を?』
―――亡くしたのか。
「………はぁ…アンタがそれ言いますか。――オレは別に、ヒューブがこれから何をしようが、どうなろうが知ったこっちゃない」
『ぬ?』
「許すつもりもないけど、閣下たちみたいに癇癪は起こしたりしないから安心して下さいな」
…壁は厚いか…。
私は、飄々と言いながらも、ヒューブの事を耳にしたくなさそうな雰囲気のヨザックに、相槌を打つ。
『それとな…』
「まだあるんすか〜?一体どれだけ悩んでるんだか」
『うッ』
どうせ、ぐだぐだ下らない事を考えてるんでしょ?と、ヨザックに言われて、言葉に詰まる。
下らないかどうかは横に置いて、ぐだぐだ考えてしまって寝れぬこの状況に、反論出来ぬかった。ヨザックに言われるとなんか屈辱的ッ!
ヒューブの事を憎んでいる人が多い事実に、またギーゼラに理由を訊いてしまって理解してしまうと――次に思うのは、魔族の人達の心情を考えておらぬのではないだろうか…と。
オリーヴもグウェンダルも、ヨザックも、ヒューブを善く思っておらぬくて、コンラッドは、私とユーリの思うようにと言っておったが……、連れて帰って来たことはもう後の祭りであるし、何より散りそうだった命が助かったのだ。その点は後悔しておらぬ。
それにもう眞魔国に入れてしまったのだから、次に求められるのは現魔王陛下、渋谷有利によるグリーセラ卿ゲーゲン・ヒューバーの処遇だ。
今回は何もしておらぬのだから処遇など…とは思うが、それを許さぬ輩が多いであろう。それだけの罪を彼は犯した。
だが、ヒューブに与えられた魔笛探索の任務。ヒューブは魔笛を探して、今現在眞魔国にある。 魔笛を見付ける事が出来たのはヒューブの苦労のお蔭である。償いなのだから当然だろうと言われればそうなのだが、だからこそもう与えられた罪はもう償っておるのだ。
陛下であるユーリは今頃悩んでおるだろうと思う。
私もユーリと共にヒューブを連れて帰りたいと駄々を捏ねた上に、魔王陛下でもないのにぐだぐだ悩む私が滑稽なのか、そうなのかッ!ヨザックよ。
『ジュリアさんのことだが……』
「何を気になってるのか知りませんけど、本当に聞きたいことは本人に訊くのが一番手っ取り早いっすよ、姫さん?」
『ぬ?…――コンラッド…』
ヨザックの意味深な笑みと、ヤツと視線が合わぬのを疑問に思って、はッと振り返ったら、暗闇からゆったり姿を現したのはコンラッドだった。
ヨザックに続きコンラッドの気配も読めぬかった…。たるんどる、私。――本格的に玄武に怒られそうである。
思わぬ第三者の登場に――しかも、ずっと考えていた婚約者の姿に、動揺する。一瞬、考えすぎて幻覚なのかと疑った。な、わけないか。
「よ、隊長。こんな夜中に仕事をなさってるんですかい」
「ヨザック、お前こそ何してるんだ」
私よりも先にコンラッドの気配に、こやつが気付いたって…若干、ショックなのだが。たるんどる。
否、それよりも…コンラッドはいつからそこにいたのだろうか。もしや話を訊いていたのでは……いやいや、人を疑うのはいかんな。
何時の間にか近寄って来たコンラッドとヨザックが目の前で話しておるのを余所に、私は混乱して、現状に頭がおいついてゆかぬ…ぐるぐる関係ないことが頭の中を支配する。
「姫さんと話してただけじゃないですか。そんな睨まないで下さいよ」
「睨んではないが…こんな夜中にサクラと何をしているのか気になっただけだ」
――コンラッドのヤツがここにおるってことは、ユーリは今ヴォルフラムと一緒におるのだろうか?
あ、でも時間が時間が故……寝ておるかもしれぬな。
「はぁ〜嫉妬深いってのも考えもんですね」
「なに?」
「いえ、なんでもありませんよ〜ッと。ではオレはこれでー」
ふわりと風が靡いて、顔を上げたら、ヨザックは既におぬかった。ぬ…何処に行ったのだ。
『ヨザックはいずこに…?』
きょろきょろと視線を走らせたら、聞いてなかったんですか…と苦笑を頂いた。
ヨザックは仕事帰りで、まだ起きているグウェンダルに報告しに行ったのだとか。
――仕事中だったのに、わざわざ話を聞いてくれたのか、あやつめ。
寝れなくて散歩がてらここに来てしまったが、ここを訪れた時よりも心がスッキリしておる。
ヨザックのお蔭だなと、サクラは口元に弧を描いた。対してコンラッドは、当然その笑みが気に喰わなくて面白くないとばかりに口角を下げた。
(ヨザックのお蔭で心が軽くなった)
(だが、一番の悩みは――…)
(コンラッドのこと)
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