13-3
フォンヴォルテール卿グウェンダルが胃痛に悩まされていた同時刻、ユーリとサクラは強烈な疲労感に襲われていた。
火が治まった派手な外風の建物は、屋根が綺麗に焼け落ち、周りは大量の水浸しにでびしょびしょで――…見るも無残な姿へと変貌していた。
まあ…大量の水は私に原因があるけど、それは横に置いて置こう。うむ。
火を消しにやって来た消防の人達は、まだ作業をしており、野次馬も減っておらず、人の密集率が高い。
近くの草の上には、煙を大量に吸って息絶え絶えな人や、火傷が重症な人で辺りはごった返しており、呻き声や痛みを堪える声、すすり泣く声が風に乗って耳朶に届く。
時間差で疲れが体を蝕んで、体の火照りと呼吸もままならず、視界も思考もぼんやり…。非情にキツイ。
――キツイけども…。
私は、目を凝らして周りの状況を把握しようと、必死に周りに視線を走らせた。
ユーリも時間差で疲れが来たらしく、気絶と言うより…頭をこくこく動かしておったから…寝ているのだろう。
どうして。
どうして、どうしてあんなにも人間がいるのに――…誰も怪我人を救おうとせぬのだッ!
――同じ人間なのにッ!
野次馬があんなにおるのに…怪我人を診ておるのは手の空いた消防隊員の人達だけで。
ならば私がッと思って、そちらに行こうとするのだが……体に力が入らぬ。助けを求める声が風に乗って私の耳に届いておるのにッ。
サクラは悔しくて右手に力を込めた。
『ッ!』
痛い痛いとすすり泣く声や、知り合いを必死に探すような声が至る所で聞こえる…――もはや地獄だ。
「頭痛ぇ、吐きそう」
「寝不足だ」
『ユーリ起きたのか』
微かに聞こえたユーリの声を拾って、霞む視界を凝らしてユーリに目を向ける。
気を抜いたら、意識を持って行かれそうで、頭を左右に振った。 ユーリもぼんやりで、ヴォルフラムに呆れられていた。
「顔を拭け、涎の跡が残ってるぞ。あれだけの魔術を使ったら、いつもならかなり眠るのに、今日はほんの半刻しか休んでいない。頭痛も吐き気も当然だろう」
「魔術……そうだおれ、火は!?ビロンは!?」
『そう言えば…ビロンの姿が見えぬが…気絶しておったはずだが』
鈍くなった頭に手を当てながら、私もユーリに続いて、ヴォルフラムに問うた。
「見てなかったのか?ルイ・ビロンはヒスクライフが当局に連行した」
私にも呆れた眼差しをくれたのに、ヴォルフラムは律儀に答えてくれる。
「娼館もなんとか鎮火した。硫黄臭い湯が大量に降り注いだからだが、どうせお前は覚えていないんだろう」
「いや……あれ、なんか変だな。覚えてるよ。いつもならすっかりぽんと忘れてるのに」
『それは』
「サクラおねぇちゃん?大丈夫?」
『…レタス』
疲れから地べたに座りこむサクラの顔を下から覗きこむレタス。
琥珀色の綺麗な瞳を不安げに揺らしていて、私は安心させるように力なくふわッと笑った。
ふと、こんな時にはいつも声をかけてくれる婚約者の姿が無い事に気付き、きょろきょろ見回したが、目視出来る距離には彼はおらず。
「サクラねぇ、コンにぃを探してるのー?」
『う、うぬ』
あからさまにきょろきょろしておったか…レタスに感づかれて、赤面する。
「コンにぃは、火ぃ消す人達を手伝ってるよ」
『そうか…』
「龍、だよな。そう、だったら頭ん中で六甲おろし歌ってりゃ、虎が使えるのかとも思ってたり、このまま十二球団のマスコットを、順に使えたらすげーなと……」
――コンラッドは人助けしておるのか。
野次馬は見ておるだけなのに、己の婚約者は人助けをしておる。正直、鼻が高い。私も、コンラッドを見習って怪我人を治療せねばなるまい。
横で、ユーリがぶるぶつ何やら言っておるが……私は、閉じそうになる瞼に力を入れて、自分は疲れてない、疲れてないと言い聞かせる。
「女の、声?女って誰だ」
「それはボクの質問だ!」
私は、ユーリに顔を戻した。――女って…。女の声が聞こえるのに…って…それは私が耳にして、ほんの数分会っていたあの女性の事だろうか。
ユーリが今回、眠る様に倒れなかったのも、記憶が残っておるのも、彼の力――魔王が覚醒したからだ。
それにあの女性は――…。
『……フォンウィンコット卿スザナ・ジュリア』
「サクラおねぇちゃん…?」
嘗ての紙面から得た情報と、この眼で見た彼女を照らし合わせて、あの女性はスザナ・ジュリアだとぼそッと呟く。
――フォンウィンコット卿スザナ・ジュリア。
彼女はユーリの前世の人物でありコンラッドと仲が善かった女性…。
『(綺麗な人だったな…)』
サクラは、訝しむレタスに気付かずに、ヴォルフラムに怒られておるユーリを見つめた。
今までジュリアが影からそっとユーリを支えてくれておったのだな。白のジュリア…彼女はどんな人だったのだろうか。
穏やかに笑っておった彼女の笑みを脳裏に浮かべて、ヴォルフラムとイチャコラしておるユーリを見つめた。ヴォルフラムは、ユーリに寝てろと言っておる。
「そんな、おれだけ寝てるわけにはいかないよ。イズラも、ニナも、誰かが助けなきゃ」
『!!そうだった!イズラはっイズラは無事なのかッ!』
己が水龍を向かわせた付近に、目を向けるけど、霞む視界では遠くまで見えなくて、私は歯噛みした。
「サクラっ、いいからお前も横になれ!睡眠不足のくせにあれだけの魔術を使ったんだ。頭痛も吐き気も当然だ」
『それどころではないっ』
そうだ…イズラがどうなったのか確かめべばッ!それに怪我人だってッ!!
その想いから私は足に力を入れて立ち上がろうとしたのだが、思うように力が入らぬくて、地面に膝をついてしまう。
『っ、』
「サクラおねぇちゃんッ!」
くたッと地面とこんにちはー。…否、この現状に納得出来なくて、心の中でふざけてみた。
――ここまで疲労が体に蓄積されておるとは……。やはりこの地で卍解がキツかったか。自覚すると不思議と体が余計に重く感じるもんで、鉛のようになったしまった体を唖然と見つめる。
「二人とも生きてるよ、消防隊員が助けたよ!」
心身困憊なユーリとサクラに、レタスとグレタがそう言った。
『そうか…善かった』
「っ、うん!」
泣きそうなレタスの声が右から聞こえたけど…私の眼は固い地面を映したまま。変な体勢で起き上がれなくなってしまったのだ。
「医者は?どうして医者がいないんだよ」
「あれだけ大規模な火災だったのに、死人が出ないのが不思議なくらいだ」
『死人…出ておらぬのだな』
「ああ」
耳から入って来る情報に、私はホッと安堵の息を零す。善かった、誰も死ななくて。
こうなったのはビロン氏のせいではあるが、今回の騒ぎも、私達が賭けをせねば火事など起こらなかったのかもしれぬのだ。もし、たらば〜は意味のない事だが、考えずにはおられぬ…。
『げっげんぶー…』
《はいよ〜って……サクラ!?何、この状況…》
「へっヘビさん!?」
残りわずかな魔力を込めて出した玄武は、赤い舌をぺろりと出しながら、詰め寄って来る。のだが…詳しい事は喋る気力がない。
隣でレタスが驚いておるのが、空気の振動で分かった。玄武はチラッとレタスを見てサクラに目を戻す。
眼に見えてサクラは力尽きていることが窺えて、玄武は一瞬言葉を失った。主である彼女が…嘗てあの世界で命を散らしたあの忌々しい記憶が脳裏に蘇ったのだ。サクラを失うかもしれないと言う恐怖は知らずに玄武を蝕んでいた。
『あそこに見える怪我人を……重症の者から治療してくれぬか』
《いいけど、大丈夫なの?俺様心配なんだけど》
『うぬ、しんぱいするでない…それほどのことでもない』
草の辺りで固まっておる怪我人達を一瞥して、玄武は再度サクラに大丈夫なのか問う。
それほどのことに見えるサクラを見て、これ以上何も言っても彼女は引かぬだろうと、玄武は頷いて、怪我人を治療すべくスルスルと人ごみに消えた。
離れてゆく気配に安心して、前のめりに地面に転がる。心配するレタスの声が聞こえるけど――…この体勢の方が楽なのだ、すまぬ。
「なんでだよっ!あんなに怪我人がいるのにっ!何でだれも助けてやらねーんだよッ」
『……』
ユーリが叫んでおることは、つい先ほど私も思ったこと。
己では動く事は出来ぬから玄武に頼んだわけだが、玄武だけでは全員を診れぬだろう。ざっと百人は怪我しておるみたいだし。
「あのヘビさん、怪我を治せるの?」
『ぅぬ?あぁ玄武って言ってなー薬を調合するのが得意なヤツでなー』
「ほへぇ〜すごいね!!」
感動しておるレタスに、こくりと頭を動かす。声を出すのも疲れるのだ…。そう言えばレタスは青龍と朱雀、白虎の姿は見ておるが玄武の姿は見ておらぬかったな。
そうぼんやりと思考しておったら、不意に見知った気配に気づいて、サクラは顔を上げた。――その顔からは疲労が窺えて、レタスは不安で顔を曇らせる。
(サクラおねぇちゃん)
(……大丈夫なの?)
(ちょっと心配だよ…)
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