ぎゅうぎゅうの電車の中を押しつぶされながら必死で吊革に掴み、ガタンゴトンと揺らされる。大きく曲がるたびに何とか体制を保ち、顔をしかめた。
どうして自転車で通える距離の高校にしなかったのだろう。そう後悔しても今更仕方がなく、ため息ばかりが何度も出た。
「うわっ」
「大丈夫ですか?」
「あ、すみませ、ん…って、クリス君」
「みょうじか。大丈夫か?」
「うん。ごめんね、有難う」
大きく揺られて横にぶつかってしまった。支えてくれたのは、同じクラスのクリス君。
私を支えてくれた手を離すと、比較的人の少ない壁側を譲ってくれた。見かけ通りと言うかなんと言うか、紳士的な行動に思わず惚れ込んでしまいそうになる。
御礼を言って隙間に入り込むと、壁が背中に当たってかなり楽だった。私の身長は150センチ無いので、正直人の中に埋もれれば埋もれる程苦しくて仕方がないのだ。
「この電車はいつもこんなに混んでいるのか?」
「うん。クリス君は、今日は実家に帰るの?」
大きな鞄を持っているところを見て聞いてみれば、そうだと返事が返ってきた。明日は野球部はオフなので、一日だけ実家に帰るらしい。
「野球部は良いね。寮に住んでたら電車通学しなくて済むよね」
「そうだな。これに毎日乗っているのは大変そうだ」
「大変だよ。私背が低いからすぐ埋もれるし、窒息しそうになるんだ」
「それは大変だな」
苦笑してみせれば、クリス君はふわりと笑った。以前は怪我が原因とかで、暗く近寄りがたい雰囲気があったけど、今は普通に話せる。こんなに話した事はなかったけど、たった少しの会話で随分仲良くなれたような気になれた。
すると、私たちがいる反対側の戸が開いた。ぞろぞろと何人かが降りて圧迫感が少しなくなったと思ったのだけど、また人が乗ってきて押し詰められる。向こうから流れてきた波が、私たちのほうにもやってきて少しずつ押され始めた。
「すまない。もう少し詰めても大丈夫か?」
「うん、平気」
言うと、ぐっとクリス君が近くなった。思わずどきりとしてしまい、制服の袖を握りしめる。
なんだこれ。
「すまない、苦しくないか?」
「う、うん。だいじょぶ…です」
上から降ってくる声。顔を見れない。
ふと、クリス君の制服のネクタイが頬に触れた。少しだけ柔軟剤の香りがして、男の子で、しかも寮に住んでいるのにしっかりしているんだな、なんて考えてしまう。
いや、でも今はそれよりも、ちょっと近いんですけど。満員電車だもの仕方がないとは思うけど、こんなに密接して緊張しないはずがないじゃないか。クリス君はどう思っているのだろうと顔を見てみようとすれば、なるほど、普段電車に乗らないから満員電車が珍しいらしい。辺りを見回して物珍しそうな顔をしていた。
緊張しているのが私だけとか、恥ずかしい。
こんな時、純君なら少女漫画だったらどうとか言って盛り上がるんだろうな。
なんて馬鹿な事を考えていると、大きく電車が曲がって私の身体がクリス君に向かって倒れた。そのまま胸元へとダイブしてしまい、クリス君が受け止めてくれた。慌てて離れようとしたのだけど、あまりに揺れるから上手く体制を整えられずに身じろぐ。どきどきと鳴る心臓の音が、クリス君に触れている部分から伝わってしまいそうだ。
「大丈夫か?」
「ご、ごめん!」
「気にしなくて良い」
「でも、ほんとごめんね」
「それより、息できてるか?」
「…かろうじて」
微笑むその顔に、またもやどきどきしてしまう。これは反則じゃないですか。別な原因で
息が止まりそうです。
鳴り止まない心音をなんとか抑えてはみようとしたが、いかんせんクリス君の腕の中にいるので、止めようにもどうしようもない。早く駅に着けと思えば思うほど、時間は長く感じられる。
ガタンゴトン、揺れる電車。ネクタイが頬をくすぐる。
そういえば今日は体育があったけど、私、汗臭くないかな。
よしかかっちゃっているけど、重たくないかな。
クリス君はどう思っているんだろう。
顔を上げれずにぐるぐる考えれば、心音が速くなる。手を置かれた肩が熱いのは、クリス君の手が暖かいからではない。
一駅、また一駅と長い時間をかけて過ぎていく。そうしてやっと私のいつも降りる駅の名前がのんびりした声でアナウンスされた。
『次は〜○○〜。○○〜』
「私、次で降りるね」
「そうなのか?俺と同じだな」
クリス君もこの駅だなんて知らなかった。という事は、意外とご近所さんなのだろうか。
揺れながら電車が止まって、私たちがいる方とは反対側の扉が開いた。
この駅で降りる人はあまりいなく、人の間を縫って無理やり出なければならない。そうして先に進むクリス君の後を追いかけて出て行こうとしたが、思うように前に進めなかった。
離れていく彼の後ろ姿。
降りれない。そう思った時に、手を掴まれた。
ぐいと引っ張られて、電車の外に出ると、新鮮な空気が肺に入ってくる。
「大丈夫か」
「うん、有難う」
「押しつぶされて窒息するところだったな」
いたずらっぽく微笑むその顔に、またもやどきりとしてしまう。狙ってるのか、素なのか、どちらにしても心臓に悪い。顔を見れずに下を向くと、まだ繋がれたままの手が見えた。手を繋いでいると改めてわかった瞬間に、手と顔に熱が集中する。
「クリス君、手、もうだいじょうぶだから」
「そうだったな。すまない」
案外簡単に離された手に、少しだけ名残惜しさを感じた。意識してしまっているのは、やっぱり私だけなんだろうか。行場を無くした手がスカートの裾を握って皺になる。
「じゃあ、気を付けて帰れよ」
「え?クリス君もこの駅でしょ?」
「その…駅を聞き間違えたようだ。」
視線を逸らしたクリス君。間違えて降りた事に照れているのか、顔が赤かった。
きっと次に電車に乗るんだろう、ホームに向きなおして、「また来週」と言って小さく手を振る。私も手を振ってホームを後にした。
改札へ続く階段を、一段飛ばしで上がる。改札に定期券をかざし、駅を後にした。
まだ速く鳴る心音は、クリス君のせいじゃない。あんなことになれば誰だって緊張でどきどきしちゃうんだ。これは恋なんかじゃない。私はそんなに単純じゃない
足早に家に向かえば、地面に足が着いていないようでまだ電車に乗っているような感覚があった。心音が電車の揺れる音に似ている。ガタンゴトン、鳴る音は、一向に止まってくれない。
どうしたらこれは止まってくれるのか。私は家に向かって走った。
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