私の愛も溢れ続くでしょう、と
先輩の前でああは言ったものの、好奇心が冷めることはなかった。
とにかく、アリアについては沢山疑問があるのだ。
なぜ、あの部屋にいるのか。
……どうして、腕を切るのか。
ただ、本人に聞くにも肝心のアリア自身に会いに行くほどの勇気はなく、自分でどうにかできるほどの能力もない。まさしく手詰まりだった。
それでもできることはないかと、アリアに関わることについてできる限りは調べた。
まず、あの部屋が音楽科と声楽科のみが使えるレッスン室だということ。
これは以前アリアも言っていたので一応は知っていたが、しっかりと調べてみると少し事情があることが分かった。
あの部屋は音楽科や声楽科の教室からは遠く、教室に近いところにある新しいレッスン室が出来るまで使われていたものであり、今となっては生徒は皆そちらのレッスン室を使うため、あのあたりの部屋は滅多に使われないらしい。
使うとしても先生ばかりで、それも予約をしないと使用できないそうだ。
そうならば、アリアの行動にはいくつかの疑問点が浮かび上がる。
わざわざ遠いレッスン室を、それも予約もしなくてはならないのに、毎日のように使う。
それだけではなく、自分がどれだけ早く行っても彼女があの部屋にいたのも不思議だった。アリアだって、授業や何やらがあるはずなのに。あの部屋へは、声楽科の教室からよりも、むしろアイドル科の教室のほうが近いはずなのに。
とすれば、考えられることはひとつ。
アリアは、授業に出ていない。
もちろん全部と言うわけではないのだろう。アリアにだって取らなくてはいけない単位数というものがあるはずだし、どれだけ優秀であっても授業に出なかったら進級はできない。もしかしたら、声楽科はそのあたりが他の科とは異なっているのかもしれないが。
そして次に、特待生について。
矛盾しているようだが、アリアに直接行き着くような情報は見ないようにしてきた。けれど、これは予想外にも学院のパンフレットで目にしてしまったため、避けることができなかったのだ。
とあるきっかけで手にした夢ノ咲学院声楽科のパンフレットには、アリアが写っていたのだ。
よくある学院説明の資料で、そこには声楽科生の1日といった題目で日々の日課が記されていた。その横に写っていたのがアリアで、聞くところによるとそこに使われる生徒は例年、特待生の生徒だそうだ。
特待生ということは、優れた音楽能力を持っているということ。アリアの実力のほどを完全に知っているわけではないが、彼女のあのピアノの腕前を思い出せば、なるほどといったところだった。
中途半端なことばかりしか出てこなくて、とにかくもどかしい。探ってはいけないと心の中では分かってはいるものの、知りたいと思う心も同じくらいに強いのだ。
「神崎くん?」
すると、突然後ろから声をかけられた。
警戒心からか後ろを振り向くと同時に刀の柄に手をかけてしまい、先ほどと同じ声で小さく悲鳴が上がる。
「あいすまぬ。何の御用であろうか、遊木殿?」
「えっと、声楽科のことなんだけど……蓮巳先輩から頼まれたことなんだけど、神崎くんに伝えてって言われたから、知らせに来たんだ。
と言っても、そんなにたくさん情報を得られた訳じゃないんだけどね。」
そう言われ、少し前に蓮巳に言われたことを思い出す。調べておく、そう彼は告げていたが、情報を集めるために遊木に頼んだのだろう。遊木は放送委員で、情報収集には長けている。
「今年の2年生、だったよね。実は、あの学年……ちょっといろいろあったみたいで、それを隠すためかあまり調べられなかったんだけど……どうやら、1人の女の子に対してクラスみんなできつく当たってたみたい。いじめ、って言うのかな。」
「そうだったのであるか。我も調べてはみたものの、そのような事実にはまったくたどり着けなかった。やはり遊木殿はさすがであるな。」
「あはは、僕の唯一の得意分野だからね。にしても、そんなことがあったなんて、蓮巳先輩に言われてから調べてようやく知ったよ。」
申し訳なさそうな顔をする遊木に、こちらが申し訳なくなる。思っていたよりも厄介な事情があり、話題が重くなってしまうのを中和しようとしてくれているのだろう。
先輩だけでなく、同級生にまで気を遣わせてしまうなんて。やはり似合わない色恋などするものではないと、気持ちが暗くなる。
「いじめの原因、話しても大丈夫?」
頷いて返すと、遊木はほっとした顔で話を続けた。
「妬み、みたいだよ。まあ、よくある話っていうか?
特待生ってのもあるし、親の七光りだって言われてたみたい。」
「……特待生?」
「うん。でも特待生で入ってるってことは、親の影響とか関係なく実力があるって証拠なのにね。その辺、厳しいらしいし。」
ようやく、すべてが繋がったような気がした。
アリアがあの部屋に居続ける理由。それは、彼女がクラスメイトからの心無いいじめを受けていたから。それも、親のことに触れられるというどうにもできない話題で。
そして、そんな行為に心を痛めたアリアは、腕を。
この先はあまり考えたくなかった。アリアは、気づいていたのだろうか。その腕は、彼女の大好きなピアノを演奏することのできる腕で、潰してはならない才能の固まりだったことに。
……気づいていなかったわけではないのだろう。しかし、そうするしかない程に追い詰められてしまったのだ。苦しみを、自分の身体を傷つけることで誤魔化そうとして。けれど増えるのは悲しみと傷跡だけで、何も報われない無情感が募るのみ。
それでもアリアはあの行為を続けた。忘れるように、とにかくピアノを演奏して。
あの日の、美しかったあの音色はきっと、アリアの泣き声だ。
アリアのために、何かできることはないのか。
ずっと、心の中にほのかに思い続けていた感情が、恋心と共に溢れ出てきた。
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