2024/5/11
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結わえつけた孤独をほどく


半夜の満月ほど美しいものはない。そう思っていたというのに、それは小さな男の子にあっさりと超えられてしまった。

飲み会の帰り道、人通りの少ない道で出会った男の子。その日も見事な満月で、月の光が彼の淡い水色の髪を照らしアクアマリンのように輝いていた。その姿に目を奪われる。

こんな遅い時間に、どうしてこんなに小さな子が。一瞬遅れてそう思い、声をかけた。

「こんなところでどうしたの?お家に帰らなくていいの、親御さん心配してるんじゃない?」

振り向いたときに見えた瞳も、まるで宝石のような煌めきを秘めていた。彼の紫色はこちらを吸い込みそうなほどに深い。
近づけば近づくほどにその小ささを実感して、なんだかいたたまれなくなった。

「……いいんです。誰も、家になんていないから」

同年代の子どもよりもかなり高く細い声だったけれど、辛うじて耳に届いた。落ち込んだときのように背中が丸まり、視線が下を向いてしまう。
こんな思いをさせてしまうなら話しかけなければよかったと思いながらも、この子を見過ごすことはできなかった。

「……ごめんなさい。でも、もう遅いし帰ったほうがいいんじゃないかな。お家まで送るよ」
「家に帰ったって、独りなのは変わらないんです。それならいっそ、事件にでも巻き込まれたほうが父さんも心配してくれる」

私に届かないくらい遠くを見つめてそういう彼は悲しくも儚い。このままここから離れたら消えてしまいそうなほど実体感がなくて、つい距離を詰めた。
女とはいえ見ず知らずの人に近寄られ声を掛けられるなんて、不審者と思われても仕方がないというのに。

「私が寝覚め悪いの。初めて会ったとはいえ、私が離れた後で君の身に何かあったとすれば、責任を感じないわけにはいかない」

彼に気負わせないように、それだけを意識しながら話しかける。いくらか間が空いた後、彼が口を開いた。

「僕は、いらない子どもなんです。何をしても普通以下で、落ちこぼれで、父さんとは大違い。こんなことなら、消えてしまえばいいんです。誰にも気付かれない、こんな僕は透明になって、誰の記憶に残ることもなく消えればいいんです。そうしたら、父さんも荷物を抱えずに済む」

淡々と話す彼の目からつう、と一筋の涙が溢れた。ずっと我慢していた感情が、言葉にすることで涙とともに溢れたようだった。冷静に見えたその表情も、涙に濡れて崩れてしまっている。

私は、この感情を知っていた。

「じゃあ、私が覚えている。みんなが君を忘れても、私は絶対に君を忘れない」
「そんなこと、今だけのでまかせだ!だって、さっき初めて会ったお姉さんが、そんなに僕のことを思ってくれるわけない。僕のこと、何も知らないのに」

「分かるよ。私も、同じだから」

小さな体を優しく抱き締めた。華奢な体は力を少しでも強めれば折れてしまいそうなほど、脆い。その拍子に水色がさらりと揺れて、月光を反射していた。

この子は、私に似ている。昔の、誰からも必要とされていなかった私に。そして、そんな私を必要としてくれた彼に。

だからだろう、初めて会ったはずなのにこんなに美しく愛おしく感じるのは。結局は満月よりも欠けた月を愛でてしまうのは、同じものに惹かれるという人間の本能故だ。

「君は何よりも綺麗だよ。完璧を振る舞おうとしているのに足りない、その不完全さが完璧なものよりも美しい。だから私は、あなたに惹かれた」

一緒にいたい。必要としてもらいたい。そう他人に思ったのは、彼以外にはいなかった。でも、彼と似ているこの子だからこそ、そんな感情を抱いているのだろう。

「僕は、お姉さんのことも、お姉さんが言っていることも何もわかりません。でも、そんな風に言われたら消えたくなんてなくなってしまう」

縋り付くような涙は私の服に吸収され、濡れジミとなり残る。ひとりでに涙を流すことの辛さを、ふたりでいることの愛おしさを知れば、もう消えようなんて思えないだろうから。



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