2024/5/11
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星屑とシャングリラ


※高校生、制服は捏造

何階まであるかわからなくなるくらい不思議な作りの校舎をエレベータで一番上まで登り、突き当たりの教室のドアを開ける。弾みで手に持った瓶の中身が揺れて、しゃらりと小気味のいい音がした。
外から見れば普通の教室と同じだけど、中に入れば古いながらも立派なソファーが二つと大量の段ボールが積んである。そして足元には目的が何か分からない紙が落ちている。これがこの部屋が他の教室と違う所以と言ってもいい。

お目当ての人は、その部屋にはいなかった。おかしいな、教室に行ってもいなかったからてっきりここにいるかと思ったのに。
まあいいや、と奥にある回る椅子に腰掛け、パソコンを立ち上げる。パソコン部かどこかが作ってくれたごつい代物だから初めて見たときは見慣れなかったけど、今となっては随分と使いこなしている。
光が点滅して起動を知らせたとき、ちょうどドアの開く音がした。

「おかえりー」

画面から目を離さずにそう言うと、明らかに不服そうな様子の斬夜がこちらまで歩いてきた。
それを横目に、ゲームのフォルダを開いてソリティアを選んで開始をクリックする。

「おかえり、じゃない……」

彼は呆れた、と言うようにわざとらしいため息をつき、私の座っている椅子を引いた。

「ちょっと、まだ始めたばっかりなのに!」

斬夜の操作によってまだ何も触っていない状態だった画面を消される。その動作一つで、コンピュータが並べてくれたトランプはあっけなく無くなってしまった。

「このパソコンはゲームをするためのものじゃない。それと、勝手に入るなと何度言ったんだ」

背中しか見えないけれどそれだけでもイライラしているのが伝わってきた。まあまあ、となだめても触るなと言われる始末。そういえば斬夜は女が苦手だった。

「ごめん」

火に油を注いでしまったような気がして、少し後ずさって頭を下げる。たとえ冗談だったとしても、嫌な思いをさせてしまった以上謝るのが筋だ。

詫びる気持ちを表せることは他にないだろうかと考えて、まだ左手に握っていた小瓶が目に入る。ピンク、黄色、黄緑と優しい色をしたそれは、丸っこい形の瓶にたくさん詰められていた。
その蓋を開けてから椅子を離れ斬夜の元へ歩み寄り、組んだ腕を解いて無理やり手を開かせる。清潔な白い手袋をしたその手に瓶の中身をこれでもかというほど乗せた。

「これは?」
「あげる。私も貰い物だけど」

自分の手にも3粒ほど出して口の中に放り込む。砂糖のべっとりとした甘さが広がった。斬夜も私が食べるのを見てから一粒だけをつまんで恐る恐る口に運んでいた。

硬いものが割れる音が響く。普段だったら気にならないようなくらい小さい音のはずなのに、やたらとはっきり聞こえた。

「……甘い」

苦虫を噛み潰したような顔で斬夜が呟いた。口の中は私と同じで甘ったるくなっているはずというのに。

「あれ、和菓子好きじゃなかった?」
「好きだが、率直な感想を述べただけだ」

どうやら腕を解かせるときに手で掴んだままだったために逃げられずにいたらしい。女子が苦手だと知っているのに酷なことをしているのは自覚していたけれど、こうでもしないと面と向かって彼と話すことはできない。

「で、今日はなんだ。言っておくが課題は見せないし教科書も貸さないからな」
「何でそうなるのよ」
「過去の言動からだ。課題を写させて欲しいと言われてノートを見せればジュースを零すし、教科書を貸せば毎回落書きをして返してくるし」

斬夜が並び立てたことには覚えがあった。ジュースの一件に関しては必死で修復を試みたが、どうにもならなかったのは記憶に新しい。

「……ごめんなさい」

申し訳ないという気持ちがまたせり上がってきて、つい謝る。でも今日はそういう理由じゃないのに。

「でも今日は違うよ、ちゃんと課題も終わったから」

本当は今日斬夜に言いたいことがある。でも彼がこの部屋に来たということは何かやらなくてはいけないとこがあるということだし、この感じからしてすぐに終わらなさそうだ。(単なる勘にすぎないけれど)

「……まあ、やっぱり何もない。頑張ってね、会長さん」

からかい口調でそれだけ告げて、部屋を出ようとする。しかしそれは、床に広がっている安っぽい紙によって妨げられた。

「危ない!」
「うわっ!」

あ、これ頭打つ。そう覚悟して目を瞑ったけれど、次の感触はとても優しいものだった。

何か柔らかいものにダイブしたように思うと、腫れ物でも扱うかのようなしぐさで体を抱かれる。その数秒後、体全体に降りかかる固く小さい何か。床全体を見渡すと、さっき手に握っていた小瓶の中に入っていたはずのこんぺいとうが散らばっていた。

「あー!せっかく高いやつだったのにー!」

床に落ちた粒に勿体ないという目線を送る。仕方ない、そうすぐに区切りがついて落ち着くと、今の体勢について頭が勝手に考え始めた。

目の前にあるのは、男子生徒用の制服のジャケットとしっかりとした身体。腹部の2つのボタン、胸元のネクタイとなぞるように視線を移動させていけば、瑠璃色の髪が目に入った。そしてすぐに、白い肌と特徴的なメガネの奥の橙の瞳を認識する。紛れもなく、目の前にいるのは斬夜だった。いやこの部屋には私と斬夜以外にはいなかったのだから当然と言えば当然なのだけれど。

一瞬思考が停止して、戻ったと思えば途端に顔が赤くなるのがわかる。それまで見つめ合うことになっていた視線をそらし、下を向いた。

少しの間、沈黙が流れる。

部屋にある時計の秒針を刻む音と、誰かの心臓の音に聴覚を支配された。

「なまえ」

突如、名前を呼ばれる。反射的に声のした方を見たときには、彼の端正な顔が目の前にあった。

顔に火がついているのではないかと疑いたくなるくらいに熱い。斬夜の唇は柔らかく、温かかった。

ゆっくりと、その温もりが遠ざかっていく。

「ばか」
「……何とでも」

胸元を一発、軽くグーで殴る。それが照れ隠しだということは言わなくてもお互いわかっていた。

「そういうのは本当に好きになった人にしてあげなよ」

自分で言って、虚しくなる。いつか彼に好きな人ができたとき、私はどうしていられるだろうか。負け犬として、斬夜への溢れんばかりの感情を押し込めていることができるだろうか、と。

しかし、返ってきた答えはその複雑な感情を消し去った。

「……本当に好きな奴にしか、こんなことはしない」

小声で震えていて聞き取りにくかったけれど、ちゃんとわかった。彼の言葉の真意は、そう難しいものではない。それは普段の生活でもバディファイトでもそうだ。
それはつまり、と期待してしまう自分がいる。

「好きだ。なまえ」

真っ直ぐで濁りのない声が届いた。好き、というのはそういうことでいいのだろうか。今の私の頭の中が幸せ思考すぎて、つい無理やりそう考えてしまっているだけなのではないかと不安になる。

「それは、その……」

普段と打って変わって、こういうときだけ言葉が詰まるのは私の悪い癖。言葉の先を続けられるだけの勇気と度胸はとてもではないけれどなかった。

「ああ。もちろん」

私の言わんとすることがどうやらわかったようで、肯定の返事が来る。

自分の今までの行動を振り返ってみても、好きになってもらえる要素はおろか嫌われそうなくらいというのに。うるさい、と一蹴されたことも一度や二度ではない。

「私も、斬夜のことが好き」

再び閉じてしまった彼の手を開いて、そこにまだ残っている青色のこんぺいとうの粒をつまんで口に入れた。砂糖の甘ったるさが、今は物足りないくらいになっていた。



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