2024/5/11
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今日がきっと幸せな日になる


連休、しかも子どもの日ということもあり大盛況だった今日、疲れと達成感を共に噛み締めながら電車を降りる。昼過ぎから降った雨のせいで例年より客足は少なかったと感じたが、そうであってもそれなりに人が来ていた。

普段なら、定期を機械にタッチして改札を通り抜けてからすぐ側の24時間営業のスーパーへと向かうけれど、私の足は少し違うところへ向かっていた。

駅前の、小さなケーキ屋さん。その昔ながらのお店を経営している店主さんは、雨の日はいつもカットケーキを安くしてくれるのだ。雨を凌ぐためとはいえこの短い距離でわざわざ傘を広げるのが面倒だったので、小走りでお店の前へと向かう。お店のショーケースには、普段より多くはないもののまだおいしそうな洋菓子が並んでいた。

少し奮発して、ケーキとシュークリームを2つずつ買った。真っ赤なイチゴが乗ったショートケーキと、チョコレートケーキ。ここのチョコケーキはびっくりするくらい美味しいのだけど、それなりの値段がする。普段ならせいぜいショートケーキとシュークリームだけに留めておくが、今日はたくさん仕事したし、これくらい贅沢したって誰も怒らないだろう。ちょっとカロリー面で心配だけども、そんなこと今日くらい忘れたい。何せ、心地よく疲れた体で食べるここのケーキは、私にとってはとてつもないご褒美なのだから。

店主さんの手によって小ぶりな箱に丁寧に入れられたケーキに思いを馳せ、そういえば塩がきれかかっていたことを思い出し、その足でいつものスーパーへと向かった。調味料のコーナーに並ぶ塩を一袋手に取り、レジを通す。これひとつを買っただけなので、袋はもらわず代わりにシールを貼ってもらった。そのままさっきのケーキの箱の下に敷くようにバッグに入れ、さっきとは反対方向にある出入り口へと足を進める。外はまだ、雨が降っていた。


こっちの出入り口はあまり人気がない。もうひとつのほうが駅からほぼ直結であるため、なおさらだ。たいして明かりもなく、それゆえに通行人も少ない。だから一瞬気が付かず見過ごしそうだったのだ、ドアのそばでうずくまる人影に。

折り畳み傘を開こうと留め具を外し骨を伸ばしていると、くしゅん、とわりかしはっきりとしたくしゃみの音が下のほうから聞こえ、驚きのあまり慌てて辺りを見渡した。出入り口を出てすぐ、申し訳程度についている雨除けの下に、お店の中からこぼれる明かりにわずかに照らされて子どもがしゃがみこんでいた。その子の足元にできた水溜りに気がつき、同時に彼がずぶ濡れであるということを認識する。このままでは風邪を引いてしまう。半ば職業病だろうか、そんなことを考える前にもう私は彼に話しかけていた。

「どうしたの?傘、ないの?」

膝を曲げ、できるだけその子と目線の高さを合わせるようにして聞くと、一呼吸おいて彼は答えた。奴隷市に出されている子どものように、どこか無機質な目をしているのが印象的だった。

「なくし、ちゃって」
「無くした?」
「ちょっと離れたお店に寄って、入口のところに傘を置いておいたんです。それで、帰ろうとしたら無くなっていて。」

あはは、と苦笑いを浮かべる彼の顔が見えた。この子は何にも悪いことなんてしていないのに、なんでこんなこと。彼の素性は知らないけれど、だからといって傘を盗まれてもいい理由にはならない。

「だから小雨のうちに帰ろうと思って移動したんですけれど、運悪くすぐに土砂降りになってしまって、慌てて駆け込んだのがここで。これだけ濡れている状態でお店に入るわけにもいかないし、ましになるまで雨宿りしてたんです。」

そういえばさっきケーキ屋さんにいるとき、やたらと雨の音が強くなっていた記憶がある。服の濡れ具合を見るに、まださっきここに着いたばかりなのだろう。まだ、服の裾から水が滴っている。さっきは大きなくしゃみをしていたことだし、このまま放っておくのは不安だった。

「よかったら、私の家、来る?」
「いえ、そんな図々しいこと」
「見た感じこの天気じゃ服なんて乾きそうにないし、このままじゃ風邪引いちゃうよ。乾燥機とシャワーくらいならあるからさ。」
「でも」
「子どもが遠慮しないの。これ、ハンドタオルだけど使って。あ、家はここから遠いの?」
「電車で30分くらい行ったところです。今日は少し用事があって訪ねてきたので、このあたりの地理には明るくなくて。……あの、ありがとうございます。」

軽く髪と顔を拭きながらそう話す少年に、いくよ、と手を差し出す。少し戸惑いながらも伸ばされた柔らかな手を握ってから、さっき出した傘を開いた。二人で入るには少し狭かったけれど、仕方がない。いったん繋いだ手を離し、その手で傘を持ち直した。

「傘、もっとそちらに寄せても大丈夫ですよ。」
「でも、そうしたら君に雨がかかっちゃうでしょ?」

「僕はこの通りすでにずぶ濡れですし、僕のせいでお姉さんの服まで濡れてしまうのは申し訳ないですから。ただでさえ見ず知らずの僕に親切にしていただいているのにこれ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきませんよ。」

子どもらしくないことをいう子だな、と思った。見たところ中学生だろうか、まあその世代なら子どもに見られることをやけに毛嫌いして大人ぶるのなんてよくある話だけども。

「迷惑とか、そんなこと思わないから安心して。というか、強引に決めちゃったわけだし私のほうが迷惑な人でしょ。」
「いえ、すごく助かりました。まさか声をかけてくれる人がいるなんて思ってもみませんでしたし。」
「あの出入り口、使う人少ないしね。でもよかったよ、ちょうどあそこを通りがかって。あ、あそこ曲がってすぐだから、あと少しだよ。」

アパートの階段の前に来てから、傘を閉じる。建物に埋め込まれるようにして設置してある階段のおかげで、エントランスを抜けてからは雨に濡れる心配はしなくてもいい。少し古臭い作りをしていることには目をつぶろう。

鞄のポケットに入れてある鍵を取り出して、ドアの鍵穴に差し込んで回す。小さな玄関に二人同時に入るのはちょっと窮屈だ。彼には少し悪いけれど、そのまま玄関で待っていてもらった。その間に、先に部屋へあがり洗面所にあるタオルを数枚取ってきた。ついでにバスタブにお湯を張るためのボタンも押して。

再び玄関へと戻ると、彼は律儀にも一歩も動かずそこに立っていた。

「もう上がっても大丈夫だよ。これで軽く拭いて、そのまま洗面所向かって。今湯船にお湯張ってるから、シャワーしてるうちに入れるくらいにはなると思うよ。」
「何から何まで、すみません……」
「何言ってんの。ほら、こっちね。あ、服はその籠に入れておいて。適当に着替えも出しておくから。」

半ば押し込むようにして洗面所へ連れていく。お風呂のドアを開閉した音とシャワーを流す音がしたのを確認して、適当に引っ張り出したトレーナーとズボンを置いてから、籠の中身をざっとドラム式洗濯乾燥機の中へと突っ込んだ。すると、中からことん、と音がした。

不審に思い手動でドラムを一回転させてみると、そこに転がっていたのは手帳サイズの何か。取り出そうと掴んだ瞬間に案の定勝手に開き、中身がつい見えてしまった。見覚えのある少年の顔写真が貼ってある。それと同時に生年月日や住所もぼんやりと見える。不可抗力とはいえ見てしまったことに罪悪感を感じつつ、そこに書いてあった数字に思わず目を奪われる。5月5日。生年月日のところに記載されていたその日付は、確かに今日の日付だった。
お風呂場から物音がしたのに気づき慌ててそれを閉じると、これまたどこかで見覚えのあるマークが金色に光っていた。

リビングへと戻り、鞄の中にいれたままだったものを取り出して然るべきところへと置く。適当にテレビをつけて一度は座ったものの、ふと思い立って冷蔵庫の中に入っている紙パックのジュースを二つ取り出す。リビングの上にそれを並べていると、洗面所の扉が開いた。

「お風呂と着替え、お借りしました。湯船のお湯はそのままにしてありますけれど、大丈夫ですか?」
「あ、ありがと。そのままでいいよ。今服乾かしてるから、少しゆっくりしてて。テレビ、変えたかったら変えていいよ。」
「ありがとうございます、えっと……」
「そういえば名乗ってなかったね。なまえです、今更だけども。」
「龍炎寺タスクです。」

彼、もといタスクくんはあまりテレビに興味を示していない様子だったので、おしゃべりを持ち掛ける。正直、この大人びた少年がどんな子なのか、純粋に興味があった。

「タスクくんは、中学生?」
「はい。といっても、あまり学校に行けてないんですけどね。仕事のほうが忙しくて」
「バディポリスだよね。ごめん、さっき手帳ちらっと見えちゃって。」
「構いませんよ。というか、ジャケットに手帳入れたままでしたよね。焦ってたとはいえ、忘れてた僕にも非はありますし」

乾燥だけとはいえ、あのままにしていたら服と共にぐるぐると回されてとんでもないことになっていたかもしれない。しっかりしている子だとばかり思っていたけれど、案外抜けているところもあるみたいだ。年相応な部分が垣間見られて、少しほほえましい。

「もしかして、今日も仕事だったの?」
「まあ、一応。人手が足りないので、いろんなところに派遣させられるんです。それはそれで、楽しいんですけれどね。なまえさんは、今日はお休みだったんですか?」
「ううん、私も仕事だったよ。職場、遊園地だからさ。今週は稼ぎ時でね。まあ、バディポリスほど忙しくはないと思うけども。」

そういって笑い飛ばすと、タスクくんも同じく笑ってくれた。お互いお疲れ様です、なんて向かい合ってお辞儀しあって。
いろいろと話しているうちに、ふと視界にカレンダーが目に入った。それと同時にさっきみた手帳の中に記載されていた日付を思い出して、そのまま立ち上がった。

「ちょっと待っててね」

つい数十分前に冷蔵庫の中に入れた真っ白な箱を出して、食器置き場に積まれた平皿、そして小さめのフォークをそれぞれふたつずつ取る。テーブルの上にそれらを並べ、箱の中からお目当てのものを出す。ショートケーキと、チョコレートケーキだ。

「どっちが好き?」
「ええっ!?そんな、恐れ多いです」
「いいからいいから。」
遠慮するタスクくんを押し込み、ほら選んで、と迫る。
「せめてなまえさんが先に選んでいただかないと、あまりにも申し訳ないです。」
「私はいつでも食べれるし、そんなこと気にしなくていいよ。それに、今日誕生日なんでしょ?」
「どうしてそれを?」
「警察手帳。あ、住所とか細かいところまでは見てないから、安心して。ごめんね。」
「なんでなまえさんが謝るんですか。……じゃあ、チョコで。」
「おっ、お目が高い。ここのチョコケーキ、絶品なんだよ。えーっと、ろうそくはないんだけどもいい?歌はつけられるけども」
「僕はもうそんな年じゃありませんよ。ともあれ、ありがとうございます。誕生日にケーキだなんて、なんだか懐かしいです。」

少し翳った表情を見て、そういえば『バディポリスの龍炎寺タスク』についてやたらと取り上げられていたことがあったな、と考える。画面こそ見ていなかったため顔は知らなかったけれども、彼の事情はそれなりに知れ渡っている。かわいそうだ、と思ったけれど、彼はそうやって言われることを嫌いそうな、そんな雰囲気があった。

「こちらこそありがとね。こんなに強引にことを進めたうえに、こっちまで幸せな気分にさせてもらって。」
「……どういう、ことですか?」

本当にわかっていない様子だったので、軽く説明する。

「誰かの誕生日って、それだけで気持ちが楽しくなるでしょ。たとえそれが、今日知り合ったばかりの少年だったとしてもね。」
「そういうものなんですね。そう言ってもらえると、嬉しいです。」
「うん。さ、ケーキ食べようよ。」

大型連休の中のたった一日、単なる繁忙期の一コマだと思っていた今日が、こんなに特別なものになるとは思っていなかった。弟にしては年の若い子の誕生日を祝いながら食べるおいしいケーキは、どんなものにも勝る最高のご褒美だった。


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