2024/5/11
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つよがりの孤独


あなたには、あなたのことを愛してくれている人はいますか。

夕暮れどき、テレビのスピーカーから聞こえた問いかけ。馬鹿馬鹿しい、と思い電源を切った。

他人に執着しても、得られるものなんて何一つない。あるとするならば、裏切られたときの胸を切り裂かれるような悲しみくらいだ。

愛だの恋だのにうつつを抜かし、一人になればそれを恐れてまた他人を求める。誰かをよすがとしないと生きていけないほど、弱いのだ。たとえ何度傷ついても、人は自分とは違う存在を求める。ひとりで生きていくことなんてできないと、勝手に思い込む。

もちろん、そんなことはありえない。現に私は、こうしてひとりで生きている。誰にも頼ることなく、親からも見捨てられながらも、自分の身一つで生計を得て生きながらえている。とりあえずこの先の人生でも、誰かに頼ったりましてや誰かの助けを必要とすることなんてないだろう。もちろん、人を助けることも。


それがまさか、こんなことになろうとは。

私のシングルベッドで横になっている小さな小さな少年を傍目に見る。世の女性が羨むであろうほどに肌は白く、シーツの上で散らばった水色の髪は痛みを知らなさそうだった。少し太い眉が、その幼さを強調している。女の子と見間違えそうなほど可愛らしいその少年との出会いは、数時間前まで遡る。

部屋でパソコンに向かい仕事を片付けていたら、外から物音がした。

ただの音なら気にしなかっただろう。しかしよりによって自分の住む部屋の壁にぶつかったようだったので、何が起こったのか確認しようとして玄関から外へ出ると、ドアの横で座り込んでいる少年がいた。

たった、それだけだ。即座に脈を取ろうとしたがやたらと手が冷たく、恐る恐る確認した脈も弱まっていた。さすがにこれほど幼い子を見殺しにするのは良心が痛んだので、結果として自分のベッドで休ませることになった。
膝裏と背中に手を回し抱き上げる、俗に言うお姫様抱っこをしてベッドまで運んだ時の軽さと人ならざらぬほどの冷たさは忘れられそうにない。

夏とはいえ夜は冷え込み、体温が奪われることもある。この少年はそれほど肌を出した服装をしてはいなかったとはいえ、あのまま外に放っておいたら最悪の事態もあり得た。だからといって救急車を呼ぶ程でもなかったため、こうして今に至る。

それにしても、と考える。

見たところ十代前半、それも小学生ほどのようだ。それなのにひとりで外を歩いていたということは、何か他ならぬ事情があるのだろう。それが家族と喧嘩をしての家出とかならまだしも、見て取れるほど気が弱そうなこの少年がそんなことをしたようには思えない。

虐待か何かかと疑い肌を一瞥したが、見える範囲には傷はない。とはいえ服を着ていれば見えない場所へ暴力を振るう例のほうが多かったはずなので、一概には言えない。

とにかく目が覚めたら話を聞こう、と思い、食べるものを用意することにした。冷蔵庫の中に入っていた卵とその他調味料を使い、お粥を作る。熱すぎても食べられないので、皿に盛り付けてから少しのあいだだけ冷蔵庫へ突っ込んだ。手早く冷やすためだった。

数分ほど経ってから取り出し、深みのある皿の側面に触れてその熱を確認する。中身はまだわずかに熱い部分もあるだろうが、これなら置いておくうちに冷めるだろう。
トレーの上にお粥の入った皿とレンゲ、水、そして風邪薬を乗せてベッドのほうへ向かった。

ちょうど、少年が目をうっすらと開けたところだった。

トレーをそばにあった机に置いてすぐに少年の額へ手をやる。発熱はないが、やはりやたらと冷たい。低体温症も疑われるほどだったが、今は体温の低い子供も多いと聞くのでとりあえずは布団をかけて体を温めることにしていたのだ。
スローモーションでもかかったかのように、少年の口が動く。

「おねえ、さ、ん、は?」

息切れしながらも途切れ途切れに出した言葉を拾い、繋げる。それもそうだ、と自分ひとりで頷いてから、返事を考えた。

「見ず知らずの人。だから君のことを誘拐して身代金を要求するような人かもしれない」

ひっ、と怯える様がみえた。もちろん、そんなことをするつもりはないしこの少年の身元がわからない以上そんなことができるはずもない。

「そんな見ず知らずの人が、どうして君を布団で寝かせてなおかつ食べ物まで作ったと思う?」
「それ、は」

答えを考えようとして口ごもる。さっきから目を合わせてくれないのは、元来からの癖なのか先ほどの私の言葉のせいなのか。

簡単なことだよ、と述べれば、ただ動いて何も音が出ていなかった口から言葉が発せられた。

「お姉さんが、優しい、人、だからですよね?」

目を細めて笑顔を見せる姿が痛々しい。どうしてか、見ていて苦しくなった。優しい人、だなんて。私を形容するのに一番相応しくない言葉だというのに。

何も言い返せなくて固まっていると、ゆっくりと手が伸びてきた。冷たい感触が、頬に触れる。何かをすくうように撫でられ、今度は驚きのあまり体が動かなかった。

「あ、僕……ごめんなさい、嫌、でしたよね」

さっきの大胆な行動とは打って変わってて、少年はおどおどとしてしまった。普段はこっちなのだろう、伏せがちになった目から重い紫色がのぞく。

その時、何かが顎の先から落ちた。

あれ、何だろう。少年の手よりもぬるい、でも口に入るとほんのり塩辛い……ああ、そうだ、これは。

「でも、お姉さん、泣いてたから……何だか、放っておけなくて」

涙を流したのだなんていつぶりだろうか。もうずっと、泣いていなかった。自分には涙腺という機能が欠如しているとさえ思っていた。それくらい、泣いた記憶がないのだ。それなのに、こんな小さな少年の些細な言葉ひとつで。

「違うの、これは、」

否定の言葉も最早意味を持たない。何がどう違うのか。現に私は泣いているのだし、その原因はこの少年からかけられた暖かい言葉にあるのだから。

言葉の代わりに、少年を強く抱きしめた。この華奢な体が折れてしまうのではないかと思うくらいに、強く。弱々しい手が、私を包み返してくれた。

きっと私は、ぬくもりがほしかったのだ。他の誰でもない私への、穢れのない透明な気持ちを自然に求めていた。

これまでずっと、心の奥底に押し込めて見えないように、気づかないようにしてきていた、誰かの愛を必要とする感情。

求めても手に入らないことを知り、手に入れることの難しさを悟り、人の感情の恐ろしさを学んだから、ずっと遠ざけていた。

そんな複雑な思いで頑丈に囲まれていたその気持ちを、この少年は開けた。それが何故なのかは、全くもって分からない。しかし、私はずっとこの子を待っていた。冷たい体を抱きしめながら、そう考えた。


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