珪
石
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2024/5/11
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星影に翳す
※大正パロ
慌ただしく家を出ていく背中を見送り、食卓に出たままの食器を台所へと運び洗い物を始める。2人分の食器は、そう時間もかからずに全て洗い終えてしまう。
こうなるとあとの時間が余ってしまい、嬉しいのやら何やら。
お風呂はすでに入ってきたものの、銭湯に行ってもこの寒さでは帰り道に湯冷めしてしまうのだ。仕方なく、せめて足元だけでもと敷いてあった掛け布団を使って暖を取ることにした。
小柄な折りたたみの机を組み立て、その上に布を置く。最近は世間が物騒になってきているのか、絶えず服を汚して帰ってくるので染み抜きをする必要があるのだ。
もちろん釦をつけ直したりなどの針仕事もしなくてはならないのだが、それは私の知らぬところですでに済んでいる。
大方、自分で直しておいてくれたのだろう。
趣味の領域を超えるほどに裁縫能力が高いのは、普段夜警として乱雑な現場にいる姿とは結びつかない。
裸電球をひとつだけ付け、汚れた部分を叩く。赤黒い色は最初こそは不安感を煽ったものの、今となってはいつもお疲れ様ですと労いたくなるほど。
それだけ荒っぽく、危険な職業であることを実感する。
換えの服は動きにくくないだろうかなどと、つい心配してしまう。私の杞憂など無意味なほどに紅郎さんは強いのだけれども、それでももしものことがないとも言い難いのだ。
彼の良き相棒でもあるあの人が彼を庇う光景はあまり想像ができなかったが、何かあったときはきっと助けてくれると信じて。
布団のおかげで足元が暖かくなってきて、少し眠い。仕方ないので一度立ちあがり、部屋の中を歩いて眠気を紛らわそうとする。
隙間から漏れ込んだ外気が、頭の中をわずかに冷やす。それでもやはり眠気は収まらず、なんとか振り切るように目の前の布に向かい合った。
そして、数時間後に意識は戻ってきた。
上半身に感じた冷気で目を覚ます。気づけば電球は暗くなっていて、膝元にはまだ染み抜きの途中だった紅郎さんの服。どうやら眠ってしまっていたらしい。
時計をちらりと見ると針は夜中を指していて、普段ならもう帰ってきてもいい頃合なのに家の中も外も物音ひとつしない。なんとなく不気味で、肩が震える。
こんなときにはつい、最悪の状況を想定してしまう。
紅郎さんが疲れて帰ってきたときぐっすり眠れるようにと布団を丁寧に敷き直していると、玄関の戸が開く音がした。同時に、声も聞こえる。慌てて、玄関の方へとかけていった。
「なまえ?まだ起きてたのか。」
「少し寝てしまったのですけれどね。紅郎さんこそ、お疲れ様です。遅かったですね?」
「ああ、今日はちょっと厄介なのに出くわしてな。」
そう言いながら脱がれた上着にはやはり赤黒い染みが付いている。いつものこととはいえ、先程まで考えていたことが考えていたことだったために少し怖かった。
「すまねえ、せっかく綺麗にしてくれたのにまた汚しちまった。」
申し訳なさそうに謝る紅郎さんの顔には、わずかに疲労が表れている。それもそうだろう。凶暴な相手と向き合うことの多い職種で、しかも今日はいつもよりも帰りが遅かったということはきっと何かあったのだと分かる。
「いえ、このくらいどうってことありませんよ。あ、お疲れなのにすみません。お布団、準備してあるのでどうぞ。」
濡れたタオルを渡して、汗で汚れた体を拭いてもらう。惜しげもなくさらされた肉体が、裸電球の頼りない光に当てられていた。
「ありがとな。なまえは寝ないのか?」
「私はこれだけ終わらせてからにします。」
そう端的に返し机のそばに座ったが、不思議と視線を感じる。我慢しきれず視線の元を辿ると当然ながら紅郎さんだった。
「せっかく染み抜きしてくれてるところ悪いんだけどよ、最近時間とれてなかっただろ。」
紅郎さんの言わんとすることはなんとなく分かる。新婚の割には甘い時間というものが他より少なく、それも彼の職種ゆえとはいえもどかしくもあった。
「……じゃあ、お言葉に甘えて。」
そうして私は、彼の温もりでほんの少しだけ温まった布団に入り、彼の胸に身を委ねた。
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