珪
石
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2024/5/11
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世を耐える細い肩
「夏祭りですか?」
暑い、夏の日。夏休みのとある1日、私は鬼龍先輩と共に学院の道場にいた。
「明日、俺の家の近所で祭りをやるんだ。っと、気をつけな。今、手刺しそうだったぞ。」
「あ、ごめんなさい。えっと、少し待ってくださいね。」
針山に針を刺して、縫っていた布を床に置いた。たぶん、これで大丈夫。
「お待たせしました。それで、お話というのは?」
「ん、止めちまって悪いな。もしなまえがよかったら、一緒に来てくれないか?」
少し言いにくそうにそう持ち出す先輩の顔はほんのりと赤くなっていた。道場に似つかわしくないその表情は、とっても新鮮だ。
私でよければ、と返すと、先輩はわずかに嬉しそうな顔をした。こんな先輩、きっと私しか知らないのだろうと考えるとなんとなく優越感に浸る。
学院最強と呼ばれていても、かわいいところもあるのだ。そんなことを他の人に言ったら、のろけだと笑われるのだろうけれども。
「……それは、デート、ってことですか?」
「そう、なるな。それと、これを着てみてほしいんだ。」
先輩は、鞄の中から紙袋を取り出した。中から出てきたのは、かわいい柄をした……何だろう?
鬼龍先輩の顔を見て問いかけるように見つめると、先輩はすぐに教えてくれた。
「浴衣を作ってみたんだ。気に入ってくれるといいんだが……」
「さすが先輩です!これ、すごくかわいい……!」
許可をとってから軽く広げてみると、丁寧な縫製で仕立てあげられた可愛らしい浴衣だった。簡単に羽織ってみたが私にぴったりのサイズで、これだけのものを作り上げてしまう先輩には本当に尊敬する。
「あ、でも……私、浴衣の着付けなんてしたことがなくて。明日は母も出かけているので、どうすれば……」
「それなら俺が手伝ってやろうか。もちろん、なまえがよければ、だけどな。」
「本当ですか?!すごく助かります!」
鬼龍先輩曰く、ユニットのメンバーの着付けを手伝うことが多いので、手馴れているらしい。神崎くんのことだろうか。以前、ステージが始まる前に彼の髪を結う先輩を見たことがある。
じゃあ明日の夕方、と約束をして、それからきりのいいところまで作業を続けてから、一緒に下校した。
……という経緯があって、先輩に私の家へと来ていただいて着付けをしてもらうことになった。
夏は日が長くて、夕方と呼べる時間となってもまだ太陽が照りつけている。そんな、ほんのすこしだけ夜に近づいてきた夕刻にインターホンが鳴って、すぐにドアを開けた。
「ようこそ、先輩。お待ちしていました。」
「お、おう。」
私服の先輩というのはやはり見慣れなくて、どこか気恥ずかしくて目をそらしてしまう。先輩も同じらしく、昨日のように頬が赤く染まっている。
玄関でいつまでも立ち往生しているわけにもいかないので、靴を脱いで私の部屋へと上がってもらった。
私の部屋のラグの上に座る先輩は非日常的で、なんだか不思議な気分だ。
……そういえば、先輩を家へと招くのは初めてだった。そう考えると、その先のことを期待してしまう自分がいて、頬がさらに熱くなった。
こんなことを考えていたなんて、絶対に鬼龍先輩に知られるわけにはいかない。手を繋ぐのでさえいっぱいいっぱいで、ようやくキスができたのはつい最近のことだ。
「飲み物、持ってきますね。お茶でいいですか?」
「いや、気を使わなくてもいい。」
気まずくなって、沈黙が流れて。こんなに話が続かないなんて、もしかしたら先輩も緊張しているのかな、なんて考えた。私の勝手な想像だけれども、そうだったらなんとなく嬉しい。
「……あの、」
「ああ、悪い。……Tシャツか何かと、あとはショートパンツにでもなってくれねぇか。」
そっと、上に着ていたパーカーを脱いだ。この下には半袖Tシャツを着ているし、下はそのままショートパンツだ。昨日そう伝えられていたので、先輩の言う通り服を選んだ。
……だけど。
「浴衣の下って、肌着だけなんじゃないですか?」
「……それは、そうだけどよ。俺が着付ける以上、そうはいかねぇだろ。」
鬼龍先輩は、少し困った顔をした。当然だろう。
「私は、大丈夫です。先輩なら、大歓迎です。」
「そういうことを男に言うもんじゃねぇぞ、なまえ。」
「先輩にだけですよ、こんなことを言うの。当然じゃないですか。」
そう言い切ると、先輩は「……そうか。」と噛み締めるように呟いた。それをしっかりと聞いてから、Tシャツを脱いだ。肌にぴたりとくっつく黒いインナーが姿を現す。
さすがにズボンまでは、と思って手を止めると、鬼龍先輩に肩を寄せられた。そのまま、先輩の方へと身体を預ける。
「じっとしてな。すぐ終わる。」
耳元でそう囁かれる。先輩は、私が先輩の囁きに弱いことを知っているんだと思う。
そのまま、先輩の指示にしたがって、腕を通したり上げたりして。なんとなくくすぐったくて、変な声が出る。気づいたときには、あとは帯を締めるだけになっていた。
「……よし、できたぞ。回ってみてくれねぇか。」
言われた通りにくるりと一回転して、袖を揺らした。
納得がいったようで、先輩は何度か頷いていた。
「どう、ですか?」
「さすがなまえだな、綺麗だ。……見とれちまうくらいにな。」
顔が一段と熱くなる。きっと、私の顔は真っ赤なのだろう。それを先輩に見られていると思うと、とても恥ずかしい。
先輩の一挙一動に、目まぐるしく変化するわたしの表情を、はっきりと見られているのだ。いじわるな人だ、と思った。同時に、とても愛おしくなる。
「先輩が作ってくれた浴衣からです。先輩の作る衣装は、ただ上手なだけじゃなくて、なんて言うんだろう……温もりがこもっている気がするんです。なんて、こんなに恥ずかしいこと、言うつもりじゃなかったんですよ。」
肌着姿を見られて大胆になってしまったのかもしれない。ともかく、私のこの言葉で、先輩の顔は見たことがないくらいに赤くなった。
「……嬢ちゃんも罪な女だな。」
「そう呼ぶの、やめてくださいって言ったじゃないですか。恥ずかしいです。」
「俺にはさっき話してたときのほうが恥ずかしそうに見えたんだが。」
「それは……」
確かにそうだ。だけど、鬼龍先輩に嬢ちゃんと呼ばれると、恋人になりたてのときのことを思い出すのだ。いつしか、なまえという呼び方に変わっていたことを。
でも、鬼龍先輩が私のことを嬢ちゃんと呼ぶのは照れ隠しだということも知っている。だから、今のもきっと、赤い顔をごまかそうとしたのだろう。
「ところでよ」
そこで、視界がぐるりと回った。
「浴衣……いや、着物を男から女に贈る意味って、知ってるか。」
一応、知っている。どこかで見たことがあったのだ。
けれど、それを伝えてしまったらあとに引けない気がして、言えなかった。
やっぱり、心の中では期待していても、それを知られるのは恥ずかしいのだ。
「知らないなら教えてやるよ。その着物を来たお前を脱がせたい、って意味なんだってな。」
鬼龍先輩の手が、浴衣の合わせにかかる。同時にキスが降ってきて、そのまま先輩に身を任せた。
夏祭りの囃子太鼓が、遠くに聞こえた気がした。
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