2024/5/11
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ペン先でシャルウィーダンス


これじゃない、と頭を振り、原稿とスケッチブックを鞄に突っ込み部屋を飛び出した。

向かう先はいつも同じ、海辺の公園。見晴らしも最高で海風が心地よく、気分転換にもデッサンの練習にもなる風景が見えるのだ。


そこには既にちらちらと制服を着た人たちがいて、時計を見れば午後4時を過ぎたころ。なるほど、下校時刻か。

深く考えずに見ても、並の高校生と比べてキラキラしているひとが多い気がする。たぶんこんなことを他の人に言うと鼻で笑われると分かってはいるが、なんとなく、物語の主人公に相応しい人ばかりだと思う。

おそらくそれは、ここの公園の近くにある学校のせいだろう。アイドル養成をはじめとして芸能界に通じている学校の生徒なら、才能のある人も多いはずだ。
ここの公園が好きなのは、そういった理由も含んでいた。


そんな私の前を1組のカップルが通る。
ぎこちなく繋がれた手は女のほうは細くすらりと、男のほうはがっちりとしていていかにもといった形。

少しばかり気まずかったので、離れて観察しようと思い移動する。手に持った鞄が開きかけていることも気付かず、立ち上がって。そのままさっきのカップルのことを勝手に想像する。


女は音楽科でピアニスト志望、男は部活一筋の青少年。ある日女が体育館のピアノを弾きにいくと、たった1人で必死に練習する男を見つける。
そんなところから恋が始まったなんてどうだろうか、と一区切りつけ、話としてはありきたりだけどそこから後は彼らだけのお話だ。

少しばかり自画自賛しながらそのエピソードを上手く漫画に使えないかと考えながら歩いていると、知らずのうちに段差が迫っていた。

あ、と思い手を前に突き出したときにはもう遅い。コンクリートで舗装されている部分に頭をぶつけそうになって、反射的に目をつぶる。ごつん。そのまま勢いよく転んで、鈍い音がした。

ついてない。たらりという感触があったから、額から血でも出ているのだろう。ティッシュとかハンカチとかいったものは、あいにく持ち合わせていなかった。


とりあえず早く洗わなきゃ、と洗い場を探すために周りを見渡すと、私が頭を打った数メートル先に鞄と何かの紙が落ちていた。
その紙が何なのかは、私が一番よく分かっている。早く取らなくては、風に飛ばされてしまう。


そのまま身体を引きずるようにして前進したけれど、あと少しというところで原稿の数枚が視界の上へと消えた。

驚いてそのまま見上げると、眼鏡をかけた青いジャケットの人。他の学生とは制服が違うということは、これが噂のアイドル科の……。

「おい」

その声を聞いて、イケメンは声もイケメンなんだなあ、なんて馬鹿なことを考えていると、その人がこちらに歩いてくる。なんで、と戸惑いつつとりあえずそのまま目を離さずにいると、私の顔の前に白い何かが降りてきた。

多少ピントが合っていない状態で何度かまばたきを繰り返して、それがハンカチであると認識する前にまたそれは私の視界外へと行ってしまった。かと思えば、額に濡れた布の感触。どうやら拭われているらしい。

「す、すみません。自分でやります」

そう言うしかできなかった私に、先ほど飛んでいった原稿が差し出される。よかった、目立った汚れはない。

すると、目の前のイケメンはほんの僅かにぴくりと眉を動かした。

「これは、漫画か?」

「……そうです。」

「貴様が描いたのか?」

「……お恥ずかしながら」

ふむ、とでも言いたげな表情。それもまた絵になる、と思いながら、失礼になれない程度にイケメンを観察した。

鋭い目つきと、さらさらの髪の毛。肌も綺麗だし、何よりも顔立ちが整っている。さすがアイドル科だ、と素直に思った。

「……あの、読みますか?」

人に読まれて恥ずかしい話の内容ではない。沈黙に耐えきれずにその提案を持ち出すと、そのイケメンは少し驚いた顔をしてから、ああ、と頷いた。

「だが、まずはその額をどうにかしなくてはな。」

まだ額はヒリヒリするし、額に当てたままのハンカチも多分相当汚れている。水洗いでもいいから早めに洗わないと、乾いてからでは落としにくくなるだろう。

そこまで考えて、言われるがままに水道へと向かった。どうやら真後ろにあってさっきこっちへ来るときに通り過ぎていたらしい。道理で見つからない訳だ。


ハンカチについた血をできるだけ流してから、額をゆすぐこと数回。適当に額と手の水を払って水道を止める。濡れてはいけないし、原稿はイケメンに持ってもらっている。何から何まで申し訳ない。


ひととおり洗い終わってから、そこらへんのベンチに腰掛けた。その状態のまま、じっくりと私の描いた話を読まれる。
そんなはずがないのに、出版社に持ち込んで編集者が何かを言い出すのを待っている状況と錯覚した。

「なかなか面白い。絵も上手いしな。」

「ありがとうございます。お兄さん、漫画とか読むんですね。」

「意外か?」

「なんとなく、小説ばかり読んでそうだなって。」

眼鏡の優等生、といえばそうだろう。雰囲気や制服の着方がそれを物語っていた。

「よく言われる。これでも俺も昔は漫画を描いていたんだ。」

「えっ?!」

「だろうな。知っているのは幼なじみと少しの人間だけだ。」


この人はどんな物語を生み出すのだろうか。人は見た目によらないとはよく言ったもので、まさかこちら側の人間だったなんて思いもよらなかった。昔は、と言っている以上、もう筆を置いたのだろうけれど、読んでみたいと思った。


「続きは描かないのか?」

「コンテストの結果次第ですかね。本当は描きたいんですけど、そうも言っていられなくて。」

現実はそう甘くない。それが売れないキャラなら、いつまで残していても無駄だし、虚しいだけだ。悲しいながらもそれが現実で、世の常だ。


「……そうか。もし、続きを描くのなら、また読ませてもらえないだろうか。」

優しく、ふわりとした笑顔。人を惹き付ける笑み。アイドルスマイルというには柔らかなそれは、どの人よりも輝きを秘めていた。


「そうやって言われたら、何とかしてでも賞を取らなきゃいけないじゃないですか。」

「……すまない。」

「そのためにも、一緒に推敲してもらえませんか?」

「お安い御用だ。ああ、自己紹介がまだだったな。蓮巳敬人と言う。」

「みょうじなまえです。蓮巳さんはえっと、高校3年生ですか?」

「そうだ。貴様は……」

「同い年ですよ。だから、なまえでいいです。師匠。」

「師匠?」

訝しげな視線を感じる。それもそうだろう、突然の発言なのだから。だけど、蓮巳さんの描く話を読んだことも、ましてや彼のことなどほとんど何も知らないないのに、彼が私を導いてくれる気がしたのだ。

「それっぽいかなって。」

「俺に教えられることなどそう多くはないが。」

「私よりはずっといろんなことを知ってそうだし、絵の先輩でしょう?だから師匠。よろしくお願いしますね。」

「こちらこそ、よろしく頼む。」

目の前に開いた手が伸ばされる。


ハンカチから始まるお話、これもありきたり。だけど、いつかのカップルと同じで、全く同じ展開など現実ではありえないのだ。だからこそ面白く、興味深い。
この話を作り出していけるのはきっと、私自身と目の前の彼だけだ。

そう思い、手を差し出した。

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