痛いの痛いの、




―ひぐ、うっ・・・ふぇ・・・
―泣かないでたっくん
―蘭ちゃん・・・でも、痛い・・・ぅうっ
―じゃあ俺がたっくんに魔法かけてあげる
―ま、ほう・・・?
―ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んでけー!
―・・・ほんとに、痛くなくなる?
―大丈夫だよ!だから泣かないで!一緒に遊ぼう!
―うんっ


そんな、昔の夢を見た。
幼い神童は本当によく泣く子供であり、少し転んで怪我したりいじめられたりするだけで涙を流していた。その涙を止めてくれたのは、女の子のようにかわいい容姿をしているにもかかわらず誰よりも強い霧野だった。
今でも霧野は自分を支え守ってくれる存在で、神童の大切な人。
優しくて強くて頼もしくて、誰かを笑顔に出来る霧野が神童にとっては憧れだった。自分も霧野のようになりたいと思い続けて八年が経つ。


「大丈夫か天馬!」


保健室のドアを開けて中に入ると天馬が椅子に座って保健の先生に足を差し出していた。


「体育で怪我をしたと聞いたんだが・・・」
「お、大げさですよ。少しすりむいただけです」
「はぁ、ならよかった」


捻挫とか骨折をしたのではないかと心配していたのだが、膝にガーゼを当てテーピングで留めただけの治療を終えた天馬にほっと一安心する。白い体操着姿の天馬を見てみると転んだ際についたのだろう赤い血が点々とついていて、ぱっと見は痛々しい。神童は天馬の前に座り込み、ガーゼの下にある傷に優しく触れた。


「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んでいけ」


神童がつぶやくと、くすりと天馬が笑った。


「小さいときに秋姉によくしてもらいました」
「そうか」
「・・・あ、すごい、本当に痛いの飛んで行きましたよ」


ぴょんと天馬が椅子から立ち上がって、自慢げに保健室の中を歩いて回る。全く痛そうな表情も見せない天馬に「本当に怪我人か?」と笑いかけてやると、扉が開いて信助と狩屋が迎えに来た。大丈夫だと判断した神童も丁寧に保健の先生に礼をして保健室を出た。


「ってー・・・」
「どうした?浜野」


教室に戻ろうとすると隣のクラスの前で浜野と速水に出くわした。浜野は辛そうな顔をして腹を抱えていて、速水が浜野の隣で心配そうに付き添っている。


「朝から腹痛くてやばい・・・ちょい保健室行ってくるわ・・・もしかしたら部活見学かも・・・」
「それはお大事に・・・」


いつもの浜野の笑顔はなく、顔を歪ませて苦痛に耐えているようだ。先ほど神童が歩いてきた廊下をゆっくりと歩いていく後ろ姿に神童は誰にも聞こえないような小さな声でつぶやいた。


(ちちんぷいぷい、浜野の痛みよ、飛んでいけ)


小さく願いながら自分も教室へと入ると、真っ直ぐに自分の席についた。霧野がやってきて授業が始まるまでの短い談笑が始まったかと思えば、廊下からドタドタと騒がしい足音が響いてくる。


「しーんどー!!」


思わずびくりと肩を跳ねさせれば、別人かもしれないほど先ほどの暗く沈んだ様子とは打って変わって、明るく元気ないつもの浜野が神童と霧野の元へ走って帰ってきた。


「浜野、腹は?」
「それがさー!なんか知らないけど治った!嘘みてぇ!だから部活はちゃんと行くからよろしくな!」
「よ、よかったな・・・」


本当に嘘みたいだ。付き添っていた速水も信じられない早さで回復した浜野に焦っているようだ。


(天馬といい浜野といい・・・どういうことだ・・・?)


不自然な現象に神童は首を傾けた。



それからもその現象は続いた。
頭が痛いと輝が言えばすぐに治り、紙で指を切った葵も治り、腰が痛いと座りこんでいた老人も遊んでいて衝突した子供たちも、みんな痛みはすぐになくなった。
しかしどれも一つの共通点がある。
神童があのまじないをしていることだ。
心の中でそっとつぶやいたあとには、痛みはすぐになくなる。何もなかったかのようにみんなが笑顔になる。

まるで魔法使いになったような。

誰かの苦しみや痛みを全て笑顔に変えることの出来る、そんな魔法。

なぜこのような力を唐突に使えるようになったのかはさっぱりわからない。いつ、何が原因で、力の動力はなんなのか。わからないままでも、神童はこの力が嬉しくてたまらなかった。
自分がやったと気づかれていなくても、周りのみんなが笑顔になれるなら、素敵なことではないか。


(ちちんぷいぷい。痛いの痛いの、飛んでいけ)


何度も何度もつぶやいて痛みを飛ばし、笑顔をこちらに飛ばしてきた。



それが数日続いた、ある日のことだった。


********************


「剣城、大丈夫かなぁ・・・」


部活中に天馬が保健室を見る。昼から体調の悪くなった剣城は保健室で休んでいるらしく、最近は必殺技の特訓で頑張っていたから無理をしていたのだろうと全員が心配になる。
だが神童だけは何食わぬ顔で練習を続けていた。
もちろんそれは、神童がすでに剣城にあの力を使っているからである。もう少ししたら元気になって戻ってくるだろうと思ってシュート練習をする。


「すみません、遅れました」


案の定剣城は部活へやってきた。わかってはいたが元気そうな剣城の様子に胸を撫で下ろす。
すっかり回復した剣城も加わって練習が始まり、日差しが照り続いた今日は夕方まで暑かった。終わる頃にはみんな全身に汗が流れていて満タンに入っていたドリンクも空の状態になっていた。
部活終了のホイッスルが円堂から発せられて部室へ戻る。着替え終われば神童は霧野を誘って一緒に帰った。


「あ、やべ、忘れ物した・・・神童先帰ってて」


校門を出ようとした際に霧野が忘れ物に気づいたらしく校舎を振り返る。


「いいよ。ここで待ってるから」
「あー・・・でもどこやったっけ・・・探すの時間かかるぞ?」
「大丈夫」


待たせるのが申し訳ないのか霧野はしばらく考え込んでいたが、神童は先に帰る素振りを一向に見せないので仕方なく神童を置いたまま校舎へと走っていった。



時計を何度見ただろう。あまりの霧野の遅さに神童の胸がざわつき始めた。霧野のことだから早々に走って帰ってきてもいいはずなのに、姿が見えない。神童は思い切って霧野を探しに行くことにした。
しかし教室に行っても霧野の姿はなく、廊下にも人の気配は感じられない。もうすぐ完全下校時間となって閉められてしまうというのに見当たらない霧野が心配になる。


「・・・?」


もしかしたら部室のほうかもしれないと戻ってみると、トイレから水の音が聞こえた。全員が帰っていくところを見ているし霧野かもしれないと男子トイレを覗いてみる。


「・・・ぅ、がはっ・・・ぉぇえ・・・」


目を疑った。そして思わず隠れた。
そこにいたのは、口から黄色い液体を吐き出す霧野の姿だった。
辛そうにうめき声を上げながら吐く霧野の姿が痛々しく神童の耳に目に焼きついて残って、こちらまで吐き気が伝染してくるようだ。
苦しそうな霧野に声をかけてあげるべきなのに、どうしてか神童の足と喉は動こうとしない。
そうこうしているうちに霧野はフラフラとトイレを抜け出して、部室へと向かっていった。


(霧野・・・)


誰もいない部室にフラついた身体をしてまで行く理由とは何だろう。神童は隠れながら霧野のあとをつける。
椅子に座った霧野は制服のボタンを外し始め、上半身裸になった。


(!!)


神童が驚いたのは、霧野の身体だった。
服に包まれて見えなかった霧野の腰には大きな白いシップが貼ってある。
古くから霧野を知っている神童には霧野が腰痛持ちの人物ではないことを知っている。練習中に痛そうな素振りなんて見せなかったし、確かに一番早くに着替えに行って部員が更衣室に入ったときにはすでに上着を着替えていたのには疑問を感じてはいたのだが。
霧野は腰の湿布を張り替えて、さらに絆創膏を指に巻きつけた。


(腰・・・指・・・)


気分の悪い違和感が神童の中で渦巻く。吐き出していた姿と、腰の湿布と、指の絆創膏、そして普段見えない部分に残るいくつかのアザ。
まさかと自分の想像を疑った。でも、それでも、じっとしたままではいられなくて。


「霧野」


霧野の前に現れた。


「神童!?どうしてここに・・・」


霧野は驚いて慌てて服を着始める。霧野に近づいた神童は何とか声を発して霧野に問いかけた。


「足、見せてくれ」
「足・・・?」
「いいから早く!」


霧野の前に屈みこんで勢いよくズボンをめくりあげた。神童の目に映ったのは、膝にあるガーゼだった。


「あ・・・あはは、気づかれてたのか。この前転んで怪我してさ、ばれないように今日ジャージ履いてたのやっぱり不自然だったか・・・?失敗し」
「ちちんぷいぷい・・・」
「!!やめろッッ!!!」


どことなく愛想笑いをする霧野の言葉を無視してあのおまじないを呟こうとしたら、大声で怒鳴られた。
しんと静まり返った部室内で、しまったと息を飲んだ霧野の様子に神童は確信する。


「やっぱりお前、全部知ってたんだな」


この不思議な力のことを、霧野は全て知っていたのだと。
神童が見つめると笑っていたはずの霧野は視線を逸らした。知らなかったのは自分だけ、ずっと自分に隠し事をしていた霧野に神童は苦しくなる。


「全部教えてくれ。頼む」


今何が起こっていて、霧野は自分に隠してまで何をしていたのか。
意思を持った神童の瞳に自分を映され、しばらくして霧野は口を開いた。


「俺は・・・お前と同じ力を持っている。誰かの痛みや苦しみを飛ばす魔法だ」


ちちんぷいぷい。そう願えば、相手の痛みと苦しみをどこかへ飛ばせることが出来た。


「でもその痛みは、どこに飛ばせたと思う?」
「どこにって・・・」
「自分さ。痛みは全部、自分に飛んでくるんだ」
「え・・・?」


痛いの痛いの飛んでいけ。飛んでいく先はいったいどこ?
霧野は自分だという。しかし神童は何度痛みを飛ばしても自分に飛んでくることなかった。


「まさか・・・」


とある一つの結論が浮かんだ。
霧野の傷、様子、全てを考えたら、それしか答えは出てこなかった。


「お前が・・・受けていたのか?俺が受けるはずだった苦しみを」


答えはただ一つ。なぜなら、霧野の足にあるのは天馬が体育で負った傷と同じだからだ。
本来は天馬の傷を治したのは神童であり、神童の左膝に移るはずのものだった。だが同じ力を持つ霧野がそれを全て自分へと飛ばしていた。
腰の湿布も神童が通りすがりに腰を痛めていたおばあさんを治してあげていたもの。指の傷も葵が紙で切って神童が治してあげていたもの。
神童がまじないをすれば霧野がまじないをする。神童という駅に向かっていたはずの傷の列車が走る線路を無理やりに変更し、霧野という駅へ。


「どうして・・・!」


誰かを幸せにしていると思っていたはずの行為が、全て霧野の苦痛になっていた。


「神童の笑った顔が好きだから」
「俺は・・・俺は・・・」
「誰かを笑顔にしたあとの神童の顔、すごく嬉しそうだった。俺はただ、それを壊したくなかったんだ」


治ってよかったね、元気になってよかった、そう言う神童の笑顔がまぶしくて。


「ごめん」


神童が隠し事が大嫌いだということはわかっていたけど、大嫌いと思われてもいいと思った。それで神童が笑っていられるなら、誰かを幸せに出来ることが幸せだと感じられるなら、自分はどれだけ傷を負ってもかまわないと。


「最低だ」


立ち上がった神童の目から涙があふれて、霧野の傷の上に落ちた。冷たいはずの涙は熱いくらい熱を持っているような気がした。


「俺、最低なやつだ」
「神童が?違う、全部俺が勝手にやったんだ、神童は何も・・・」
「気づけなかった。誰かの傷を見てきたのに、一番苦しんでいた、一番近くにいたお前を」


ちちんぷいぷい。痛いの痛いの飛んでいけ。
どうしてこんなにもこの力を手に入れたことが嬉しいのだろう。それはずっと、そう、八年間飛ばし続けてくれた霧野に使いたかったはずだから。
あのときから霧野が力を持っていたのかもしれないし、単なる子供のおまじないだったのかもしれない。
だけど苦しみを取り除いてくれたのは霧野だったから。
笑顔にしてくれた霧野を今度は自分が笑顔にして、霧野がしていたように多く人の笑顔を作りたいと思っていたから。


「神童!!」


気がついたら部室を飛び出して、後ろを振り返らずに全力で走っていた。涙で視界が霞んでしゃくりあげる喉で呼吸をするのが苦しい。
とにかく自分が情けなくてどうしようもなくて、何かの衝動で足が止まらない。その場にいるのが嫌で新しい場所へと移りたくなる。
何が誰かを笑顔出来る力だ。
一番大切な人を苦しめていただけじゃないか。

霧野が受け入れられないような大きな苦しみを、全部自分が受けることが出来たら。

なんて考えた。


「待てしんど・・・っ!」


金切り声のような聞いたことのない霧野の声に顔を上げて見えたのは、涙で滲んだ赤だった。
霧野の声を最後まで聞き終わる前に、タイヤが地面を摺れる音が耳元で鳴り響いた。



痛いの痛いの。でももう、どこにも飛んでいかなくていいから。




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