前を歩くあの後ろ姿はどこからどう見てもみょうじだ。間違いない。いつも見ているから分かる。気付かれないようにゆっくり近づいて背後から声をかけた。
「おーす」
みょうじの肩は想像以上に大袈裟に跳ねてこっちがちょっとびっくりしてしまった。振り返った顔は青ざめている。
「安達原…驚かせないでよ」
おかしい。おかしいぞ。いつもなら話しかけないでとか冷たい言葉と視線が向けられるのに今日のこのリアクションはなんだ。それにさっきからやたらと周囲をきょろきょろ見渡していて挙動不審だ。同じように俺も辺りを見渡してみたけどそこには俺たち同様登校している生徒がいるだけで特に変わった様子もない。
「どうしたなんか変じゃね?」
「なにが。別に何もないよ」
みょうじは視線を逸らすと足早に校舎へ入ってしまった。
なんだったんだ。あれか俺と一緒にいるところを誰かに見られたくないってやつか?また片思いのやつができたのか?くそー。
今日の練習も終わり帰ろうとしたところで忘れ物に気が付いた。面倒だと思いながら教室まで取りに行きやっと帰れると靴を履き替えたところで意外な人物と遭遇した。
「あれ。まだいたのかよ」
「悪い?」
みょうじは俺だと気付くや否や眉を寄せた。睨まれているのにいつも通りだなと安心してしまう自分がいる。
「だって帰宅部じゃん。こんな時間までいるなんて珍しい」
「帰りの時間ずらしただけ」
「なんで」
関係ないでしょと言われるかと思ったけどみょうじはやけに深刻な顔をしている。やっぱ朝から普通じゃないな。
「会いたくないやつでもいるのか」
みょうじは弾かれたように伏せていた顔を上げた。図星か。
「ここ最近妙な視線を感じて…」
「は?」
「なんて気のせいだよね自意識過剰かな。ごめん変なこと言って今の忘れて。じゃ」
「いやいや待て」
帰ろうとするみょうじの肩を掴んで慌てて引き止めた。
「なに」
「なにじゃねーから。そんな話聞いて一人で帰せるか」
「たぶん気のせいだって大丈夫だよ」
「何も大丈夫じゃねーよ。何かあってからじゃ遅いだろうが」
「じゃあどうしろって言うの」
「俺も一緒に帰るから」
俺となんていたくないと断られるかと思ったけどやっぱり不安だったんだろうみょうじは小さくありがとうと言った。
「視線感じるか?」
「今のところは大丈夫」
「姿見たことあんの?」
「チラッとそれっぽい人は見た」
まじでヤバいやつじゃん。みょうじが俺の隣にいて一緒に帰っているなんて普通なら最高のシチュエーションなのに今は喜んでいられない。
「今日はとりあえず大丈夫そうか?明日も誰かと帰れよ。なるべく一人に…」
なるなよと言おうとして隣にいないことに気が付いて振り返るとみょうじは青白い顔で立ち止まっていた。
「どうした」
「いる…」
「まじで?」
視線の先を見ると確かに物陰に誰かいる気がする。
「どうして…時間ずらしたのに…どうしようごめん巻き込むつもりなんてなかったの」
「落ち着けって」
動揺するみょうじの肩を掴むと物陰からそいつは飛び出してきた。まじか。咄嗟にみょうじを後ろに隠して身構えた。
「みょうじさん!お話が…あなた誰ですか?」
「お前こそ誰だよ」
そいつは俺と同じ制服を着ていた。そいつの話によるとずっとみょうじが好きで告白しようと随分前から思っていたけど中々踏み出せないでいたと言うだけのただのシャイな男子高校生だった。
大迷惑野郎はやっとみょうじに告白できて振られていたけど満足そうに帰って行った。
「もう大丈夫じゃね。危害加えることもなさそうだし」
反応がないので振り向いてみるとみょうじは俯いていた。
「あ、ごめん…」
「大丈夫か」
「うん…でもやっぱり怖かったから」
自分の手を握って小刻みに震えるみょうじの肩に手を回そうとしてハッとしてその手を止めた。
待て待てこれでいいのか。こんな弱みに付け込むような真似して。何言ってんだこんな数センチの距離にいるんだぞ今がチャンスだろ俺はへたれか。
と自分の中で葛藤しているとみょうじのほうから寄り添ってきた。みょうじはどちらかというと気の強いほうだけどまぁ仕方ないよな。ここ数日ずっと不安だったのだろう。背をそっと撫でると震えが止まって俺もほっとした。
「ごめんなんかいろいろごめん」
「だから気にすんなってさっきから言ってんじゃん」
駅に着くと二人で並んでホームのベンチに座った。みょうじはさっきから自分の手で顔を覆って謝ってばかりいる。相当恥ずかしかったんだろうな。主に後半が。
「まぁお前が無事でよかったわ」
「なんか今日優しいね…」
「いつもだろ」
みょうじは指の隙間からはぁ?という目で俺を見た。日ごろの行いが悪い俺のせいだけどちょっと傷つくわ。
「じゃあ帰る」
「え?電車こっちじゃないの」
「逆」
立ち上がるとみょうじも慌てて立ち上がった。
「なんでここまでついてきてくれたの?」
「みょうじが心配だったからに決まってんじゃん。ほら俺、優しいから」
みょうじの顔が面白いくらい赤くなっていく。
「あ、ありがとう…」
小声で言って少し笑ったみょうじは素直にかわいい。いつもの怒った顔もいいけどやっぱそっちの方が断然いいわ。
◆◇
昼休みになると席を移動したり購買へ行ったりする人で教室中が騒がしくなる。俺も食堂にでも行くか。立ち上がろうとすると目の前にまたみょうじが立った。
「昨日はありがとう」
「おー」
「これお礼」
机の上にクソまずいジュースじゃなくて今度は綺麗な包みが置かれた。
「なにこれ」
「クッキー」
「まじ?手作り?」
「買った」
「そこは手作りだろ」
「手作り苦手な人っているじゃない」
「まぁ俺そのタイプだわ」
「どっちなのよ」
「分かってないなー。みょうじの手作りが欲しいって言ってんじゃん」
「なにそれ…」
「お前さーさすがにもう気づいてるんだろ」
みょうじの顔は昨日みたいにまた赤くなった。
「なんなのなんか昨日から変じゃない」
「俺もそろそろ素直になろうと思って」
「あっそ」
赤い頬を抑えながらみょうじは席に戻ろうとしてまた戻ってきた。
「なに?」
「今日も昨日と同じくらいに終わるの…?」
「練習?昨日より早いと思うけど」
「じゃあ待ってる…」
「ふーん。じゃあ教室にいろよ。迎えに行くから」
「うん」
頷いたみょうじは今まで見たことないはにかんだ笑顔だった。
あーかわいいなチクショウ。絶対落とすとか言っておきながら完全に落とされたのは俺の方だった。