「えっ、辻ちゃん好きな人できたの!?」
真っ赤な顔で何度も頷く辻ちゃんについに春が来た。異性に全く耐性がなく女の人とは会話どころか目も合わせられないあの辻ちゃんに。これはお赤飯を炊かないと!
「で、お相手は誰?」
辻ちゃんから聞いた名前にニヤけていた顔が引きつった。
みょうじなまえさん。最近まで支部に所属していたからどんな人かはあまり知らない。
以前、嵐山さんとテレビに出ているのを見たことがあるけど綺麗な人だった。
歳は確か嵐山さんと同じ19歳。あーそういえば二人は付き合っているって噂聞いたことがあるな。並んで立つ姿は美男美女でお似合いだった。
辻ちゃんどうしてそんな人好きになっちゃったの高嶺の花だよ。
「辻ちゃんみょうじさんと接点あった?え、一目惚れ?辻ちゃん面食いなんだ」
でも辻ちゃんの初めての恋叶えてあげたい。
「あ、いたよ辻ちゃん。え?ストーカーじゃないかって?お近づきになるためだよ。ずっと見てるだけじゃ存在すら認識されないよ」
俺と辻ちゃんは本部を出たみょうじさんの後をこっそりつけていた。どこかで話しかけるタイミングはないだろうか。みょうじさんが角を曲がったので慌てて追いかけた。
「何か用?」
「うわっ」
角を曲がったらみょうじさんに待ち伏せされていた。
「あなたは確か二宮隊の犬飼くん?」
「そうです!知っていてくれたんですか。嬉しいな」
「一人?気配は二人だったけど」
辻ちゃん逃げたな…。
「き、気のせいじゃないですか?」
「ふーん。で、私に何か用?」
「えーっと…みょうじさんとお話ししてみたくて、なーんて…」
「いいよ」
「え」
「丁度のどが渇いてたから。一緒にお茶でもどう?」
まさかの展開だ。俺はみょうじさんとカフェでお茶をしている。
「犬飼くん澄晴っていうの?綺麗な名前」
「ありがとう。なまえさんも素敵だね。あ、なまえさんって呼んでいい?」
「ありがとう。いいよ」
「そうだ。この間、嵐山さんと子供番組出てたよね。広報活動もしてるの?」
「活動というほどのことはしてないよ。お手伝い頼まれて。嵐山くんのアシスタントみたいな感じかな」
「なまえさん歌上手かったね」
「あれは機械でだいぶいじってるから」
「え、そうなの」
「歌苦手なの。あ、綾辻ちゃんほどじゃないよ」
笑うなまえさんは話してみると気さくな人だった。初めて話したのに会話は途切れなくて楽しい時間を過ごせた。
「なまえさん面白い人だったよ。お茶まで奢ってくれてさーいい人だ。うんうん。あ、嵐山さんとは付き合ってないって。よかったね辻ちゃん」
昨日のことを報告していると辻ちゃんは俯いてしまった。
「あーごめんって辻ちゃん。俺一人で楽しんじゃったね。悪かったよ。でもチャンスだったのに逃げたのは辻ちゃんだよ?え?なに気安く下の名前で呼んでるんだって?なまえさんがいいって言ってくれたから。あ、ごめんって泣かないでよ」
困ったなここは辻ちゃんに何か有益な情報を…。
「あ、そうだなまえさん男らしい人がタイプなんだって。え?当てはまらない?そんなことないよ辻ちゃんはかっこいいよ!男らしいかはちょっと分からないけど」
辻ちゃんはさらに落ち込んでしまった。
「犬飼くん」
「あ、なまえさん」
「昨日はいろいろ話せて楽しかった。ありがとう。ん?」
なまえさんは俺の後ろに隠れている辻ちゃんを覗き込んだ。偉いぞ辻ちゃん今日は逃げなかった。
「辻ちゃんほら自己紹介!」
身体を石のように硬直させた辻ちゃんをなんとか前に押しやった。
「辻…新之助です…」
「みょうじなまえです。辻くんよろしくね」
なまえさんが手を差し出すと辻ちゃんはものすごく後退した。
「ごめんなまえさん。辻ちゃん女の人が苦手で」
「そうだったの。ごめんなさい知らなくて」
申し訳なさそうに引っ込めたなまえさんの手を辻ちゃんはガッと音がしそうなほど勢いよく両手で握った。痛そうだ。
「辻ちゃんっ…!」
まさか辻ちゃんがこんな行動に出るなんて!
「よ、よろしくお願いします」
「うん。よろしく」
なまえさんが綺麗に微笑んだので辻ちゃんは気絶しそうになっていた。大進歩だよ辻ちゃん!
「辻ちゃんの女性への耐性の無さなんとかならないですかね?」
「うーん。こういうのは無理に治すのはどうかな…精神的なものもあるからトラウマとか…」
「それはないと思います。氷見ちゃんとは話せるから」
「そう…うーん。そうねー…あっ!」
「なんです?なんです?」
「好きな人ができたら少しは変わるんじゃないかな?」
名案!みたいな顔をしてるけど辻ちゃんにとっては拷問だ。
あなたなんですよ辻ちゃんが好きな人は…。
辻ちゃんは俯いてしまった。
「…います」
「ん?」
「好きな人ならいます…」
「そうなの?それはよかった。私でよければ協力するよ」
「あなたです」
「へ?」
「俺はみょうじさんが好きです」
辻ちゃん今日どうしちゃったの!?
辻ちゃんは握っていた手に力を込めた。まだ握ってたのか。みょうじさんはぽかんとしていた。そりゃそうだ。
◆◇
「昨日はびっくりしたよ。辻ちゃん急に積極的になって」
「お願いですから忘れてください」
「でもよかったね。なまえさんありがとう嬉しいって言ってくれたじゃん」
「社交辞令ですよ」
「そうかなー社交辞令でそういうこと言う人には思えないけど」
「あ、あの!辻くん」
辻ちゃんと話していると前から女の子が駆けてきた。
「これ…受け取ってください!」
女の子が赤い顔で差し出したのはかわいらしくラッピングされた箱だった。そっか今日はバレンタインか。
「ごめん気持ちは嬉しいけど受け取れない。俺は好きな人がいるので」
てっきりおどおどするかと思ったけれど意外としっかりと答えていた。女の子は分かったと言って去っていった。
「貰えるものは貰っておけばいいのに」
「いえ、俺は…」
あれからなまえさんとは少しずつ話せるようになった。
あんな形で告白してしまったけど断られた訳でもましてや受け入れてもらえた訳でもない。
大学生のなまえさんとはボーダーでしか会えない。もっと会いたい話したいそばにいたい。俺はなまえさんのこと何も知らない。もっと知りたい。
「きゃ」
考え事をしながら本部の廊下を歩いていると人とぶつかってしまった。
「すみません考え事していました」
「こちらこそすみません…あ、辻くん」
「なまえさん…」
ぶつかったのはなまえさんだった。
「辻くんこれ紙袋。落としたよ」
「すみませんありがとうございます」
「これもしかしてチョコレート?」
「あ…」
チョコが入った紙袋をなまえさんに見られてしまった。
直接渡してくれる人は丁重にお断りしたけれどこっそり机の中や下駄箱に入れられているものは捨てる訳にもいかず持って帰るしかなかった。
「凄いね辻くんモテモテ」
「俺は…」
「ん?」
「俺はなまえさんのだけが欲しいです」
「辻くん意外と積極的なんだね」
「すみません」
「それ本当?」
「はい」
「実は持ってるのチョコ…買ったものだけど…」
なまえさんはバッグからチョコを取り出した。
「デパ地下の特設コーナーにかわいいのたくさんあって見てたら辻くんの顔が浮かんで思わず買っちゃった。…よかったらどうぞ」
「ありがとうございます一生大切にします」
「すぐ食べて!」
やった奇跡だ家宝にしよう。
「辻くん考え事してたって悩み事でもあるの?」
「なまえさんのこと考えてました」
「私のこと?」
「なまえさんのこと何も知らないと思って」
「ふーん。私も辻くんのことあまり知らないけどね」
「確かに」
「じゃあ教えて」
「なまえさんも教えてください」
うん。と頷いたなまえさんはなんだか幼く見えてかわいらしかった。
「お名前と年齢とポジションは?」
「辻新之助17歳アタッカーです…知ってますよね」
「うん。じゃあ身長は?」
「178cmです」
「意外と高いね。次はお誕生日」
「8月16日」
「じゃあ、ぺんぎん座だ。血液型は?」
「B型です」
「ふむふむ。じゃあね次はそうだな、好きなものは?」
「恐竜、シュークリーム、バターどら焼き…」
「本当?なんだかかわいいね」
「かわいい…」
「あ、ごめんなさい。かわいいとか嫌だよね」
「好きな人に言われるとそう嫌でもないです」
「ほんと積極的なのね」
「なまえさんはいないんですか」
「なにが?」
「好きな人」
「私は…」
なまえさんは初めて顔を曇らせた。
「正直に話すね。私ね最近別れたばかりなの」
心臓にぐさりと何かが刺さった。
「どうしたの?」
「弧月が刺さりました」
「え?」
「なんでもないです」
「それが結構ひどい別れ方だったからまだ引きずってて」
「そんなことが…」
「ごめんね。こんな話」
「いえ、以前がどうであれこれからは俺を見てくれたら嬉しいです」
「辻くんあのねこれも正直に話すね。私、結構辻くんに惹かれてる」
「本当ですか!?」
「うん。押しに弱いのかな…なんて。初めて会った時から惹かれてたのかも」
「一目惚れですか」
「それ自分で言うの?」
「俺はそうでした。一瞬でなまえさんに落ちました」
「そうなの?嬉しいけど」
クスクス笑うなまえさんの手に自分の手を重ねてみた。
「辻くん手冷たいね」
「すみません。嫌でしたか」
「ううん」
「なまえさんの手温かいです」
なまえさんは微笑むと手を握り返してくれた。
◆◇
「辻くん」
「なまえさん」
「偶然。今帰り?」
「はい。会えて嬉しいです」
「なーんて」
「はい?」
「待ってたの」
「本当ですか」
「うん。近くで用事があって。終わったら丁度下校の時刻だったから会えるかなーと思って」
「本部でしか会えないので嬉しいです」
「そういえばそうね。今度出かけよっか」
「その前になまえさんの家に行きたいです」
「そっちが先なの?」
「別に変なことはしません」
「嘘だー。男子高校生なんて頭の中そればっかりでしょ」
「まあ否定はしません」
「やっぱり」
しばらく談笑しているとなまえさんは突然立ち止まった。
「どうしたんですか」
「あ…」
「あれぇ?なまえじゃん」
「どうして…」
「お知り合いですか」
「う、うん…」
さっきまで笑っていたなまえさんの顔が真っ青になった。なんとなく察しがついたこの男はなまえさんの元彼だ。
「なあ久しぶりに遊ぼうぜ」
伸びてきた男の手になまえさんは大袈裟なくらいびくりと身体を跳ねさせた。この反応…まさか。
「来いって」
「いやっ!」
強引に腕を引っ張り連れて行こうとした男の手を掴んだ。
「辻くん…」
「お前なにさっきから」
「なまえさんと結婚を前提にお付き合いしています。邪魔しないでください」
「は?なにこいつまじで言ってんの」
「本当よ」
「は?」
「だから邪魔しないで。もう私の前に現れないって言ったじゃない」
「うるせぇ」
男はなまえさんに手を上げようとした。気がついたら間に入って背後になまえさんを庇っていた。
「辻くん!」
痛い。ものすごく左頬が痛い。あー殴られたのか。
「もういい加減にして!今なら警察に言わない。だから二度と私の前に現れないで!」
男は舌打ちしながら背を向けて走り去った。
「行ってくれてよかった」
「辻くんごめん…ごめんなさい…」
なまえさんの頬を伝う涙を指で拭うと少し顔色が良くなってくれた。
「大丈夫です…いえ、やっぱり痛いですものすごく」
「え、どうしよう…そうだとにかく冷やさないと!」
「これはもうなまえさんの家に行かないと治らないですきっと」
「辻くんこれで冷やして」
「はい」
本当になまえさんの家に来てしまった。きっちり片づけられているわけではなく生活感が溢れている部屋でここに確かになまえさんが住んでいるのだなと思った。
「辻くん本当にごめんなさい巻き込んでしまって」
「なまえさんはなにも悪くないです。ケガがなくてよかった」
「ありがとう…」
「あの人元彼ですよね」
「うん…」
「暴力男と付き合ってたんですか」
「昔は優しくてサッカーが好きな人だったの…」
「サッカー?」
「そう。とても上手くてプロも夢じゃないって言われるほどだった。でも故障してそれが原因でプロへの道が遠ざかってしまって…」
「それで荒れたと」
「サッカーしかして来なかった人だからこれからどうすればいいのか分からなくなってしまったみたい。自分で自分を制御できなくなって…私も彼を支えようとしたけど無理だった。それから浮気はするし暴力は振るうしで散々だった。もう私の前に現れないって約束で友達にも協力してもらってなんとか別れることができたの」
「そうだったんですか」
「ごめんねこんな話。辻くんには関係なかったよね」
「なまえさん」
「あ、タオル乾いちゃった?もう一度冷やしてくるね」
伸びてきた手を掴むと引き寄せて逃げられないように腰に腕を回した。なまえさんは俺の膝に座る形になっていてありえないほど距離が近い。
自分がこんなことできるなんて信じられない。なまえさんだからだきっと。
「関係なくないです」
「そうだよね…殴られたもんね。ごめんなさい」
「そうじゃなくて。俺はなまえさんと結婚を前提にお付き合いしているので関係大有りです」
「つ、辻くん…!」
「もしかしてその場しのぎの嘘だったんですか」
「そ、それは…」
「ショックです」
「ご、ごめんね!でも嫌じゃなかったからね」
「じゃあしてください」
「え、なにを?」
「お付き合いしてくれるのならなまえさんからキスしてください」
「辻くんって意外とS?」
「さあ分かりません何もかもなまえさんが初めてなので」
「その言い方どうなの」
もうすでに唇が触れそうなほど近くにいるのにいつまでもしてくれないのでこれはダメだということなのだろうか。
落ち込んでいると首に腕を回され唇に柔らかい感触がしてすぐに離れた。
「なまえさん…」
「私でいいの?」
「なまえさんがいいです」
「面倒な元彼がいるよ?家事も苦手だよ?寝相も悪いよ?」
「きっとすぐ全部好きになります」
「辻くんありがとう。好き」
「俺も好きですなまえさん」
今度は俺からさっきよりずっと長いキスをした。