優しくて明るくて強くてかっこよくて私なんかにも声をかけてくれる犬飼先輩を好きになるのにそう時間は掛からなかった。
犬飼先輩を好きになってからは毎日が楽しかった。
恥ずかしいところを見られたくなくて学校の勉強もオペレーターの仕事も自分なりに一生懸命取り組んだ。
少しでもかわいいと思って欲しくて先輩や同僚にアドバイスを貰ったりお化粧の練習をしたりダイエットに挑戦して失敗したりといまいち実っているのか分からない努力もたくさんした。
犬飼先輩を見かければ積極的に話しかけて今では名前で読んでもらえるくらい親しくなれた。みんなにそうしているのかもしれないけど。
「なまえちゃん今日機嫌いいね」
「犬飼先輩!はい!隊長に今日のサポートよかったよって言って頂いて嬉しくって」
「そっかーよかったね。いつも頑張ってるもんね」
先輩は頭にぽんと手を乗せてくれた。
「あ、ありがとう…ございます」
うわぁ先輩が頭撫でてくれてるどうしよう絶対顔赤い!!
「じゃ俺これからミーティングだからバイバイ」
「は、はい!さようなら!」
先輩の背中が見えなくなるまでずっと見つめ続けた。どうしよう幸せすぎる!今日はいい日だったな〜。
◆◇
「じゃあねなまえまた明日」
「うんバイバイ」
友達と別れて帰り道を歩いていると見慣れた後ろ姿を発見した。
「あ!犬飼せんぱ…」
駆けていた足を思わず止めた。犬飼先輩の隣にはモデルさんみたいなスタイル抜群の綺麗な女の人がいた。
「あれなまえちゃん今帰り?」
「あ、はい…」
「誰ー?」
「後輩ちゃん」
へ〜と言いながら美人さんは私をじーっと眺めてふーんと言った。
「あんたこういう子タイプだっけ?」
「いやいやそういうのじゃないから」
じろじろ見られて正直いい気分じゃないし先輩にはこんな風に言われてしまうしその場で俯くことしかできなかった。
「じゃ私行くわ」
「ん、またね」
美人さんは高そうなヒールを鳴らしながら行ってしまった。
「ごめんね。嫌な思いしたでしょ」
「いえ…そんな」
「本人に悪気はないから許してやって」
「先輩…」
「ん?」
「先輩のタイプってどんな人ですか」
うわ私なに聞いてるんだろ。
「なまえちゃんさ、ひとつ言っていい?」
顔を上げると先輩は目だけで笑っていて身体が凍りついた。
「俺がなまえちゃんと付き合ったりとかないから」
「え…」
「嫌いとかそんなんじゃないよ。ただそういう風には見れないんだよね」
声のトーンが普段より低くていつもの犬飼先輩じゃないみたいだった。へんな汗がダラダラ流れて血の気が引いて声が震えた。
「そ、そうですか…そうですよね」
気づいたらその場を走って逃げ出していた。
もう最悪。またつまらないミスしそうになった。
あの日から毎日がグダグダでどうしようもない人間になってしまった。
犬飼先輩とは顔も合わせられない。見かけたら逆方向へ逃げ出し犬飼先輩が行きそうな場所には極力近づかないようにした。
本当は会いたい。顔が見たい。話がしたい。
ため息をつくとエレベーターの扉が開いた。
「あ…」
「!?」
「ごめん先に行っていいよ」
乗り込もうとしたら中に辻くんがいたので慌てて降りた。
辻くんは超がつくほど異性が苦手で話どころか目も合わせられないそうだ。
こんな密室で私とはいえ女子と二人になったら卒倒してしまうかもしれない。
それにしてもエレベーターを利用しているなんて珍しい。辻くんはおどおどしながら両手に大量の荷物を抱えていた。
これでは階段は無理だろう。移動にエレベーターを使ったのも納得できる。でもこのままでは歩くのも儘ならないんじゃないかな。
「辻くんよければ手伝おうか?」
断られると思ったけれど辻くんは目を泳がせながら頷いた。荷物を半分預かってエレベーターに乗った。
中はしんと静まり返っていて話しかけた方がいいのかむしろ話しかけない方がいいのか迷っていると以外にも先に口を開いたのは辻くんだった。
「さ、最近、犬飼先輩といないみたいだけど…」
「え?あー…うん…そうだね」
「喧嘩…?」
「ううん。喧嘩じゃないよ。むしろ喧嘩の方がまだマシだったかも」
思い出しただけでへこんでくる。
「最近ずっと元気なかったから…ごめん余計なこと聞いた」
「ううん!気にしないで!ありがとう辻くん」
目が合うことは一度もなかったけれど心配してくれているようだった。二宮隊の作戦室まで荷物を運んでいると前から二宮さんが歩いてきた。
「珍しい組み合わせだな」
「二宮さんお疲れさまです。辻くん一人で大変そうだったので」
「そうか悪いな手伝わせて」
「いえ…あっ」
二宮さんの背後に犬飼先輩が見えた。こちらへ向かってくる。
「では私はこれで失礼します!」
慌ててその場を去った。
犬飼先輩と話せなくなって数日が過ぎたころ廊下を歩いていると辻くんが隅の方で固まっていた。
「辻くんどうしたの?」
「!!?」
「あーごめんね急に背後から声かけて」
「こっちこそ…ごめん」
辻くんは視線を彷徨わせながら曲がり角の向こう側を指差した。そこには後輩の女の子達が集まって話に花を咲かせていた。あーなるほど向こうに行きたいのか。
「私があの子達を上手く誘導させるよ。その隙に通って」
辻くんはこくこく頷くと小さくありがとうと言ってくれた。
任務まで時間あるなー屋上でぼんやりしよ。友達と話すのも楽しいけど最近どうもそういう気分にはなれない。
前はもっといろんなことが楽しかった。犬飼先輩と関わらなくなっただけで毎日がこんなにも空っぽだなんて。
「あれ誰かと思えば」
この声は…!聞き間違えたりなんてしない。
「犬飼先輩…」
「久しぶり最近会わないね」
避けてますからとは言えず俯いた。
「辻ちゃんと随分仲良いんだねえ」
「そうでもないですけど」
「そうでもあるよ。辻ちゃんが珍しく女の子と話してるなんて、しかもなまえと。なまえってそういう子だったんだね」
「どういう意味ですか」
「俺のこと好きとか言っておきながら脈なしだと思ったら次は辻ちゃん?」
「は?何言って」
「びっくりしたよ。誰でもよかったのかー」
「ちょっと待ってください!そんなんじゃありません!」
「じゃあなに?急に避けだしたと思ったら辻ちゃんと親しくして」
「先に拒絶したのは犬飼先輩じゃないですか!」
「そうだっけ」
「そうだっけって…」
酷い。私がどれだけショックだったか。なのにこんな責められるような言い方されて。
「そ、そもそも私、犬飼先輩のこと好きなんて言ったことありましたっけ?ちょっと自意識過剰なんじゃないですか?」
しまった!頭に血が上ってとんでもないことを言ってしまった。先輩は口を開けてぽかんとしている。やってしまったぁ!
「そうだね!なかったね!俺ちょっと自意識過剰だったね!あー恥ずかしい!」
先輩は珍しく大声で叫ぶと屋上を出て行ってしまった。
「終わった…」
その場に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「なまえ、大丈夫?元気ないみたいだけど」
「亜季…うん、大丈夫じゃない」
「でしょうね」
いつのまにか昼休みになっていたようで亜季が向かいの席に座りかわいらしいお弁当箱を広げて食べ始めた。
「食べないの?」
「食欲ない…」
昨日あの後ものすごく後悔して頭を抱えた。追いかけて嘘です!本当は先輩のこと大好きです!とか言えたら何か変わっていたかもしれないのに。
でもできなかった。軽い女みたいに言われて正直めちゃくちゃ腹が立った。
あんなこと言う人じゃないと思っていたのに。いや、あんなこと言う人じゃない。きっと昨日は虫の居所が悪かったんだ。
酷いことを言われたのにまだ好きな自分がどうしようもないと思った。
「本当に元気ないわね。前はあんなに毎日楽しそうだったのに」
「そんなに楽しそうだった?」
「うん。犬飼先輩といるときなんてきらきらしてたわよ」
「そっか…」
「犬飼先輩、最近機嫌悪くて」
「先輩が?」
「そう。辻くん八つ当たりされてかわいそうよ」
先輩ほんとどうしちゃったの。はーあのころに戻りたい。振られてもいいから告白すればよかった。
机に突っ伏して落ち込んでいると教室が突然ざわついた。女子の黄色い声も聞こえる。人が落ち込んでいるのに何事ですか。
「ねーちょっといい」
聞き覚えはあるけどどこか不機嫌な声が頭上からしてバッと顔を上げた。
「あら」
「げっ犬飼先輩」
「げってなに?まあいーや、ちょっと来て」
「え、やだ、なんで」
腕を掴まれ無理やり立たされた。
「離してください!」
「いいから来いって」
ずるずる引きずられ人気のないところに連行された。
「あのなんでしょうか…」
「あのさ」
先輩は腕を組んで仁王立ちしている。威圧感半端ない。昨日のことなら少し悪いと思ってるけど謝る気はない。
「なまえのこと好きなんだけど」
「はい?」
「だーかーらーなまえが好きだって言ってんの」
え、なにこれ告白?
「返事は?」
「え、いや、拒絶しましたよね私のこと」
「あの時は後輩の一人くらいにしか思ってなかったしなまえが傷つく前に振っておこうと思って」
「なんですかそれ…」
ちゃんと告白して振られた方がマシだわ。
「なのになまえが傍にいなくなったら寂しいと思う自分がいるし心にぽっかり穴が開いた感じがするし挙げ句には辻ちゃんと仲良くし始めるし」
「辻くんは偶然話す機会が増えただけで…」
「分かってるよ。それでも嫉妬したの!辻ちゃんに!この俺が!」
「嫉妬!?犬飼先輩が!?辻くんに!?」
「繰り返すなよ」
「あ、すみません」
「辻ちゃん女の子苦手なくせによりによってなまえと親しくなるなんてさー」
「それで八つ当たりしてたんですか。辻くんかわいそう」
「うるさいよ。あとで謝っとくよ。で、返事は?」
「先輩彼女いるんじゃないんですか」
「いないし誰のこと言ってんの」
「この間一緒にいたモデルさんみたいな綺麗な人ですよ」
「あーあれは姉ちゃん」
「え、あんな綺麗なお姉さんがいるんですか。羨ましい」
「伝えとく喜ぶよ。あー!また話が逸れた!返事!早く!」
恥ずかしいから意図的に逸らしていたのに先輩は痺れを切らしてしまった。
「返事なんて…分かってるくせに…」
「聞きたいんだよねーなまえの口から」
うっ恥ずかしい。先輩ニヤニヤしてるし。顔真っ赤だろうな。深呼吸をしてなんとか気持ちを落ち着かせた。
「好きです…ずっとずっと前から犬飼先輩が大好きです!」
「ありがとうなまえ。俺も大好きだよ」
聞いたこともない優しい声に泣きそうになった。頭を撫でてくれる手が心地いい。
「ねえなまえ」
「はい」
「キスして」
「はい?」
「俺を焦らして待たせてモヤモヤさせた罰」
それが罪なら罰を受けるのは先輩のほうだ。
「自意識過剰って言われたのも傷ついたな〜」
「それは先輩が酷いこと言うから!」
「あ、でもあの時のなまえの顔Sっぽくてよかったな」
何言ってんだこの人!
「ほら早く」
「そ、そんなこと言われてもっ」
「あれ?もしかして初めて?」
ニヤニヤして!分かってて聞いてるな!
「そうですよ!初めてですよ!」
「そっかそっか。じゃお手本見せるから次はなまえからしてね」
「え?」
ぽかんとしていると腰に手を回され引き寄せられた。後頭部に手を添えられ先輩の顔が近づいてきて慌てて目を閉じた。
唇に柔らかい感触がして、あーこれがキスなのかとぼんやり思った。唇が離れてそっと目を開くと先輩が目を細めて笑っていてドキッとした。
「先輩…」
「その顔かわいい…そそる…」
「んっ」
遠くで昼休み終了のチャイムが聞こえたけど先輩はお構い無しに私にキスし続けた。