パチンと乾いた音がして伸ばした手を叩かれてしまった。
何十年もの長い付き合いではないがなまえが自分を拒絶するのは初めてで叩かれて行き場を失った手はしばらく宙を浮いていた。
「どうした」
冷静を装っているが内心動揺してそれしか言えなかった。なまえはムスッとして怒っているというより拗ねている様子だ。
「私見たんです…」
「なにを…?」
普段は大きくて丸い瞳をキッと釣り上げた表情に思わず顔を引きつらせてしまった。怖いな。
「狙撃手の後輩ちゃんに同じことしてました」
「同じこと?」
「頭撫でて…にこにこして…」
普段より声がワントーン低い。これは本気で拗ねて…いや怒っているな。
「そうだっけ?」
「無意識ですか!?後輩ちゃん頬染めて嬉しそうだった…私みたいに勘違いしたらどうするんですか!」
「勘違い…?」
「あ、嘘です。私は本気で好きです」
問い返すと焦って訂正するあたりかわいいなと思ってしまう。
「と、とにかくしばらく触らないでください!」
なまえはやっぱり拗ねているようで走って行ってしまった。
「触るなって無理言うなよ…」
好きな子に触れられないなんて苦行じゃないか。
どどどどうしよう!勢いでなんてこと言っちゃたんだろう!面倒な女だと思われたに違いない。くだらない嫉妬でとんでもないことをしてしまった。
「最低…最悪…どうしよう…」
「なまえどうしたの?」
「あ、響子さん…」
「気分でも悪いの?もうすぐ会議だけど欠席って言っておこうか?」
「いえ!大丈夫です!出席します!」
「そう?じゃあ行きましょうか」
「はい!」
いろいろやらかしたけど仕事はきっちりしないと!響子さんと会議室へ向かった。
しまった…。この会議、東さんもいるんだった…。
ついさっきつまらないことを言って逃げてきてしまったのでとても気まずい。
東さんは壁にもたれて立っていたので一番遠いイスに座って資料で顔を隠した。
「あれーなまえさん東さんの隣じゃなくていいの?」
「太刀川くん…」
空気なんて読まない太刀川くんがニヤニヤしながら隣に座った。
「今日は太刀川くんの隣の気分なの」
自分で何言ってるんだと思ったけど太刀川くんは満更でもなさそうな顔をしていた。
会議が終わると早々に仕事に戻る人、世間話をする人がいる中ぼんやりと東さんと響子さんを眺めていた。
なんだか二人の間には独特の空気が流れている。同期の絆っていうのかな。私にはそういう人がいないので羨ましい。
ぼーっと二人を眺めているとふと東さんと目が合ってしまい慌てて会議室をあとにした。
また逃げてしまった。本当に馬鹿だな私。
「なまえ」
「蒼也くん…!」
「なんだその顔は酷いな」
「コーヒーおごるので話聞いてください!」
泣きそうな顔を酷いと言われたけどそれどころではない。
「別におごって貰わなくても話くらい聞くが」
「なるほど東さんがな」
「私馬鹿だ。つまらない嫉妬して。東さんにそんな気がないのなんて分かってるのに。みんなに平等に接してるのに」
泣きそうになってきた。
「東さんってみんなの東さんなんだよね。…って意味わからないよね。ごめん」
「言いたいことはなんとなく分かる」
「こんな言い方したくないけど東さんの周りにはもっと素敵な人がたくさんいるはずなのにどうして私と付き合ってくれてるのかなって時々思ってしまうの」
「そうだな。なまえよりいい女なんて東さんの周りにはたくさんいるだろうな」
「うん…」
「ボーダー内で恋愛なんて正直めんどうなだけだ。でも東さんはなまえを選んだ。お前はなぜ東さんと付き合っている」
「それは好きだから…」
「東さんも同じだ。お前が好きだから一緒にいる。それだけだ。もっと堂々としていろ」
「うん…!」
今度は嬉しくて泣きそうになった。
「ありがとう蒼也くん。元気出たよ」
「そうか」
蒼也くんは頭にぽんと手を乗せると私の背後を見てニヤリと笑った。
「蒼也くん?きゃあ!」
なぜ笑ったのか分からず首を傾げるとその首に背後から突然腕が回ってきて後ろにグッと引き寄せられた。
巻きついた腕を掴みながら顔だけで振り返ると見たこともない笑顔を張り付けた東さんがいた。
「あ、東さん…」
「世話になったな風間」
「いいえ」
「あ、あの…東さん?」
「ごめんななまえ。正直なまえがなぜあんなに拗ねていたのか今まで全然理解できなかった。けど今日初めて分かった」
「え?」
「好きな子が他の男に触られるのはあまり気持ちのいいものではないな」
「東さん…!」
「理解してくれたみたいでよかったななまえ」
「蒼也くんまさか…!」
蒼也くんはさあ?と言ってニヤッと笑った。絶対わざとだ。後ろから東さんが来るのが見えていて頭に手を置いたんだ。
「さてと」
東さんはやっと腕を離してくれた。
「なまえ」
「は、はい…」
東さんは相変わらずにこにこしていて正直怖い。
「今日何時に終わる?」
「え、えっと、冬島さんの仕事の進捗状況によりますけど…」
「そうか。じゃあ終わるまで家で待ってるから一緒に寝よう」
「は!?えっ、あ、あのぉ遅くなると思いますのでどうぞお先におやすみください…」
「ずっと待ってるから一緒に寝よう」
東さんのうすら怖い笑顔が増した。一緒に寝ようがただ同じベッドですやすや眠ることじゃないくらい私にだって分かる。
「よかったななまえ」
蒼也くんはニヤニヤしながらさっさと帰ってしまった。この状況を作っておいて帰るとは!いや、ここにいられても困るけど。
東さんから足を一歩引くと腕を掴まれた。
「さ、冬島さんを急かしに行くか」
「ぎゃああ!許してください!」
「楽しみだなー」
東さんは上機嫌で私の腕を引っ張って歩き出した。