荒船隊の作戦室に似つかわしくない乾いた音が部屋に響いた。

世間話をしていた声がしんと静まり返りみんなの視線が一斉に俺達に集まった。

何が起こったのか分からなかった。思考が停止して呆然としていると目の前のなまえも左頬を押さえて呆然としていた。

上げたまま下ろせなかった右手がじんじんと痛む。


「なまえ!」


用事があると偶然来ていた国近の大声にハッとして我に返ると自分の右手と未だ呆然と立ち尽くしているなまえを交互に見た。

なまえが押さえている左頬がわずかに赤くなっている。


俺は今なにをした…?


国近と加賀美に最低だとかもう二度となまえに会わせないと散々罵られた。

なまえは二人に連れられ作戦室を出て行った。


罵られて当然だ俺はなまえに手を上げてしまった。




あの後どうなったのかよく思い出せない。荒船と半崎がなにか声を掛けてくれていた気がするが俺はただその場に呆然と立ち尽くしていた。


そして気がついたら今、学校の自席にいる。昨日どうやって帰ったのかも全く覚えていない。


「おい穂刈」


抜け殻のように呆然としていると頭上から声がした。顔を上げると鋼が立っていた。


「どうした今日ずっとぼんやりしてるぞ」

「俺は最低最悪のクズ野郎だ」

「穂刈は最低最悪のクズ野郎なんかじゃないぞ?」


鋼は不思議そうに首を傾げてそう言った。なんて優しい奴なんだ…。

ほろりとしていると鋼が前の席に座った。

こんなこと話すべきではないと思ったがもうどうすればいいのか分からなかった。

鋼なら他人にべらべら話したりしないだろう。昨日の出来事を鋼に聞いてもらうことにした。




俺となまえは喧嘩をした。なぜ喧嘩になったのかなんて思い出せない。それほどくだらない理由だったのだろう。

なまえに嫌いと言われてカッとなった。頭に血が上って冷静じゃなかった。

気がついたら俺はなまえに手を上げてしまっていた。

何よりも大切な存在のなまえに平手を食らわすなど俺は最低最悪のクズ野郎だ。


「お前がみょうじに?信じられないな」

「事実だ。どうかしていたんだ昨日の俺は」

「だから元気なかったんだな。荒船が言っていた意味が分かったよ」

「荒船?」

「今朝メールが来た。穂刈を気にしてやってくれって」


荒船…ほんとにいい奴だな。昨日もたぶん荒船が家まで送ってくれたのだろう。あとでお礼を言わなければ。


「みょうじにはちゃんと謝ったのか?」

「それが電話しても出てくれないしメールも返事が来ない」

「じゃあ直接会いに行けばいい」

「俺もそう思ったが直接会って『もう嫌い!別れる!』なんて言われたら灰になってしまう」

「穂刈は本当にみょうじが好きなんだな」

「ああ」


素直に答えると鋼が笑った。


「でもずっとこのままでいる訳にはいかないだろ。ほらお前たちなら大丈夫だ」


ぐいぐいと背中を押されなまえのいる教室に向かった。




「よお穂刈」

「当真…」


俺達になにか起こると高確率で現れる当真がなまえのクラスの扉の前で仁王立ちしていた。


「悪いが退いてくれないか」

「無理なんだなそれが」

「は?」

「お前たち喧嘩したんだって?国近と加賀美に絶対になまえと穂刈を会わすなって言われてさー」

「なっ!」


あの二人そこまで徹底しているとは…!女子って怖い。

なまえの姿だけでも確認しようと右往左往したがでかい当真に扉の前に立たれると教室の中が全く見えない。


「おい!頼む視界にだけでも入れさせてくれ!」

「お前変態くさいぞ」


なんとか中を覗こうと当真と格闘しているとチャイムが鳴ってしまった。


「ほら戻れ戻れ」


シッシと追い返され俺は空しく撤退するしかなかった。

教室に戻ると項垂れている俺を見て鋼が慰めてくれた。ありがとう鋼。





あれから何日経ったか分からないが俺は未だなまえに会えずにいる。電話とメールは相変わらず反応がなく会いに行っては誰かに足止めをされた。


「くっ!カゲお前も二人の刺客か!」


学校がダメなら本部だということでなまえの元へ向かったが途中の廊下でカゲが現れた。


「なにがあったか知らねえけどさっさと仲直りしろや」

「いや、今それをしに行こうとしたんだがな」


なにがあったか知らねえと言っている所を見るとあの二人俺が手を上げたことは話していないようだ。

もし話していたら俺がみんなから一発食らっていたかもしれない。いや、その方がいいのかもしれない。


「カゲ俺を殴ってくれ。できるだけ強く」

「お前気持ちわりーよ」


カゲになんとも言えない顔をされ本部で会う作戦も失敗に終わった。





「もう無理だっ!限界だっ!」


学校の自販機に頭を打ち付けて両手をついて項垂れた。

尋常じゃない俺の様子に周りの生徒がヒソヒソと何か言って去って行ったがそんなことはどうでもいいなまえだなまえを出せ。


学校もダメ本部もダメとなればもう家に直接行くしかない。

締め出されたらまたドアをこじ開けて…そんなことを考えていると背中にドスッと衝撃が走った。

もしかして飲み物買いに来た人?そんなに邪魔だったか俺。人気のない場所を選んで落ち込んでいたはずだが。

恐る恐る振り返ると大きな瞳と目が合った。


「篤!」


呆然としているとなまえは腹に回していた腕を解いて正面に回り込んできた。


「篤、会いたかったよー!」


そのままぎゅうぎゅう抱きついてくるなまえの頭を確かめるようにそっと撫でた。


「なまえ…本物か」

「あはは何その台詞」


なまえは埋めていた顔を上げてクスクス笑っている。

ああなまえだ。やっと会えた。


「なまえごめん俺、なまえに酷いことした」

「ううん。篤は悪くないよ。私こそ思ってもいないこと言って篤を傷つけた。ごめんなさい」


頭を下げるなまえを今度は俺がぎゅうぎゅう抱きしめ返した。


「なまえごめんっごめん」

「謝らないで篤」


なまえは俺の背中をぽんぽんと優しく叩いてくれた。泣きそうになったが学校なのでなんとか堪えた。


「篤に会えなくて寂しかったよ」

「俺もだ。もう少し遅ければどうにかなっていた」

「どうにかって?」

「家に押しかけていた」

「それいつも通りの篤だよね」

「そうか」

「うん」


頷いて笑うなまえを自販機の影に追いやって壁に押さえつけ唇を押し付けた。


「んっ」


なまえは驚いて身体を硬くしたがやがて腕を首に巻き付けて身体を寄せてきた。もう少しで深くなりそうな所で胸を押し返してきたので仕方なく離れた。


「もう…学校だよ」

「満更でもないだろ」

「あほかりっ」


なまえの赤い頬を撫でると目を細めて愛しそうに笑ってまた抱きついてきてくれた。

よかった。また前のように一緒にいられる。




翌日、訓練に向かおうと歩いていると国近と加賀美が現れた。


「穂刈くんごめんね。私達ちょっとやりすぎちゃった」

「なまえの為と思ったけど逆に寂しい思いさせたみたい。本当にごめんなさい」

「いや、悪いのは全部俺だ」


俺が頭を下げると二人も申し訳なさそうに頭を下げた。


「荒船くんと鋼くんに叱られちゃった」

「荒船と鋼?」

「うん。いつまでも二人が仲直りできないだろーって」

「そうか」


二人には世話になりっぱなしだな。今度何か奢ろう。


「でもまたなまえになにかしたら…」


国近と加賀美の顔からスッと表情が消え背筋に嫌な汗が流れた。


「心配するな。なまえを一生大切にする」


二人は一瞬目を丸くした後きゃあと黄色い声を上げた丁度その時背後から手を振りながらなまえが駆けてきた。


「おーい!みんなー」

「あ、なまえー!」

「なに話してるの?」

「穂刈くんがねすごいこと言ったの」

「篤が?なになに?」


興味深そうになまえは俺を見上げた。


「なまえを一生大切にする」


二人がまたきゃあと言ったがなまえは頭に?を浮かべている。

恥ずかしい台詞を二回も言ったのに肝心ななまえには全然通じていないようだ。


「そっかーありがとう篤」


とりあえず嬉しそうに笑ってくれたので良しとしよう。

周りなんて気にせずなまえの肩を引き寄せた。



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