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真の恋の道は茨の道である

 パスタは好きだよ。そう言って振り返った途端に頬を銃弾が掠めた。

「わぉ」
 無意識に飛び出た言葉に驚く。頬に傷を作った弾よりも、そっちの方がよっぽどきた。
 ワォ、だって。なんてこと。

「……雲雀さんの口癖とかマジ勘弁」
「オレの部下に何か用かな」
「あらこんにちは、そしてなんでもないですボンゴレボスさん。ご機嫌よう、コレってもしかしてもしかしなくても」
「君を殺しに来たんだ」
「こんな大胆な暗殺宣言初めて、惚れそう」
「さっきの一発、完全に当てたと思ったんだけれど」
「的が私の頬なら完璧的中」
「……なるほど。噂通りのいい性格だね」
 そう言い笑んだ目元は苦笑を含む。おや、と思った。
 予想以上に殺気が無い。いや違う、正しくは「感じられない」。
 非常に柔和で穏やかな印象を抱かせる男だった。白いスーツがやけに似合って見える。

「……本当は、暗殺なんて嫌いなんだ」
「は?」

 素で声が出た。路地裏、立ち並ぶ古びたパイプ管の間で、佇む男――今、何より自分が近づいてはいけない、敵対マフィアのボス・沢田綱吉は微笑んでいる。
 凄い事を聞いた。釣った魚に「僕は犬です」とでも言われた気分だ。

「今のはボスさん最高の小粋なジョークとか、そんな感じですかね?」
「うーん、気の利いた文句は苦手なんだけど」
「大丈夫ですよボンゴレボス、今のはなかなか笑えるジョークです」
「ホントなんだ、ってオレが言ったら?」

 ぴたり。銃口がこちらを狙う。
 別にそれしきのことで今更揺るがない。仮にもボスが相手だ、返答が上手なところも隙がないところも、ひたと据えられた照準がぶれないことにも驚かない。
 だが。

「……いやに大人しいんですね」
「え、」
 一瞬、奇妙な間を空け相手が吹き出す。

「銃口突き付けられといて、それ言うの」
「私ってホラ、頭ゆるいんで基本的」
「さっきからくまなくオレに隙が無いかを狙ってるくせに?」
「いやあちょっとでも隙があったら落とせないかなあと」
「オレの命を?」
「やだあボスさん、切り返し上手」

 じりじり。少しずつ、空気が張り詰めていくのを感じる。
 それは死ぬ瞬間によく似ていた。
 誰かが死ぬ瞬間だ。一瞬、時が止まって、それからすぐに早送りされる。
 激しい抗争時はさすがにそんな余裕は無いが、こういう場面だとてきめんだった。覚えのある、微妙にうねる時間。そういう感覚。

「……今でも、信じられないんだ。ディーノさんがオレを裏切っただなんて」

 思わず、見る。銃口をかまえる、茶髪の青年を。
 一瞬だけ頭の全部が白くなった。危ない、我ながら危険すぎる。

「どうして裏切ったのか、いや……それでも良かった。リボーンは怒ってたけれど、でもオレは良かったんだ。シマの、一般市民の人達に……危害が、無かったなら……」

 すとん。何かが落ちる音がした。
 そうか、そうなのか。
 この男は存外、やさしい、らしい。どうやら。

「……与えたのは、俺だよ」

 焦げ茶の瞳が、些末に歪んだ。

「……知って、た」
「そっか」
「……君は、どうして」
「どうしてこんなにきれいなのかって?答えは簡単、『生まれつき』です。私昔っから中性的な顔立ちでして」
「……知ってるよ。ディーノさんが、昔の君の写真を見せてくれたから」
「幼少期から美人デショ、私」
「君って面白いほど自信家だね。……でも、確かに綺麗だった」
「うっかり惚れたりしませんか?」
「うっかり惚れたりしたらどうなるの?」
「地獄の釡も開きます」
「最悪じゃん」

 短いやり取りのどこにも、軽さは無い。銃口は動かない。

「写真の中の君は、」
 唐突に相手が話題を巻き戻す。エルザはただ小首をかしげた。
「……とても、可愛かった。澄んだ目をしていて」
「私の魅力の全てが凝縮されてるもんで」
「この子が、ディーノさんをそそのかしてオレを裏切らせただなんて、……とても」

 とても、思えなかった。

 エルザは目を逸らさなかった。逸らせば死ぬ。いつかはわからないが、死ぬ。
 ボンゴレデーチモは多分、やさしい。だが甘くはない。


「……解放、してあげたいんだ」


 ぽつり、漏らした言葉は雨のようだった。
 濡らし、痕付ける。ぽつり、ぽつんと。
 雨粒だ。たった一滴の、雨粒。
 口にしたが、最後。

「……君は、」
 こちらを見る目が、猫のように細くなる。しなやかに。
「君は、……やっぱり、ディーノさんを」
 瓦解した感情は簡単には立て直せない。でも取り繕うなら簡単だ。
「ディーノさんを、マフィアから引き離すことが」
「さわだつなよし」
 口にして、不思議だと思った。奇妙な名前。
 やけに仰々しく、けれど聞き慣れない。威厳はないのに温もりはある。
 きっと、誰かが思いを込めて付けたのだ。そうなんだろう。

「なら、尚更だ」
 記念すべき名前呼びは、まるで無かったことのようにあえなく避けられる。なんてことだ。
「何が尚更なんですか、私名前呼んだの無視されてちょっと傷心なんですけど」
「君は、なぜ」
「この場面でボスさん、あなたが聞くべき事はwhyじゃなくてwhatですよ。最後に何を言い残す?って」
 ぺらぺらと口だけはどこまでも動く。昔は無かった悪癖だ。
 唇から飛び出た軽口に、ふとあの男に言った言葉が頭をよぎる。

『……遺言って死ぬ前だから“遺言”って言うんだよ』

 ――3日前。そう、もう3日も前だ。


「……君はその身を捨ててまで、ディーノさんを解放するつもりなのか」
「そうだ、と言ったら?」
 笑む。
 「エルザ」の仮面を外して答える。『こちら』は、嘘をつかないから。

「……ディーノさんは、喜ばない。絶対に」
「あの人はマフィアに捧げすぎだよ。望んでもいないのに」

 幼き日の事件。刺青。囲むファミリー。
 太陽のようなあの男の気質を縛るのは、その全てだ。

「いずれ、死ぬ」
 ふっと答えたイルに、相手はなぜか顔を歪めた。
「いずれ、ディーノは自分の首を自分で絞めて、死んでしまう」
「……その前に、」
「そう。その前に、逃がしてあげるんだ。」

 俺の持ちうる全てを差し出して。

 弾かれたように相手が口を開いた。
「そんなの、」
「ねぇ沢田綱吉、どうして俺がこんな話をしたと思う?」

 翳った茶色が揺れる。初めて見る動揺だった。

「どうして、って……」
「俺、まだ死ぬ気はないんだよ」
「!」
「だから」

 沢田綱吉の視線がズレる。その真横から、突如煙が噴き出した。


「また、アプローチしに来てね」


 爆発音。鼓膜を塞いでもなお、腹の底から響く轟音と地響き。
 耳元、掠めた銃弾をギリギリで避けて、イルは匣をしまうと地面を蹴った。


 最後の弾は外れたのではなく外されたのだということには、気付いていた。