パンドラの開箱 | ナノ



禁忌の扉を開く時

 「パンドラの箱」って知ってるだろ。
 どんだけ神話に疎い奴でも、それくらいは日常のどっかで耳にしたことがあるはずだ。
 パンドラの箱、通常開けてはならない禁忌の箱。つまりまあ、厄介な問題とか災いの元とか、そういった類の比喩として使われる、アレ。

 で、多分今、俺は。


「どうも、麗しき貴婦人」
「……ワーオ。さよ、」
「なら、ってわけにはいかないんだけど」

 閉めようとして瞬間、ガシッと掴まれる俺の右手、つまり扉に掛けていた方の手。
 引き笑いした俺を見下ろし、艶然と微笑む秀麗な『美女』――正しくを言うは最悪な花形俳優、通称「イヴ」は、それはそれは楽しそうに唇の端をつり上げた。
 俺にとっては死刑宣告にも等しい、情のない笑みを。

 あと先に言っておく、イヴは紛れもなく『男』だ。こんなふう、つまり偽物の長い黒髪もほんのり差した唇の紅も、まるで生来の物のように似合っているが、これは全て「後付け」なのだ。
 そんなこと言ったら俺も俺で、ゆらりと揺れて曲線を描く薄茶の髪も、肌に塗りたくった白いパウダーも、肢体を飾る深緑のふわりとしたパニエ付きのワンピースも、全部全部「後付け」なわけだが――今、それはさしたる問題じゃない。

「……えーと、イヴ様?」
「何。でいうかあんた誰」
「今度、ここで働かせて頂く事になった、リウです」
「へえ。……あんたみたいな、細っこい奴が?」

 カチン。ちょっとイラっときた。
 そりゃまあ俺は背も低いし、年の割に細い方だとは自覚してるけど、この西ブロックでそんなのあんまり関係ない。
 で、さらに言っちゃえばぶっちゃけ、この細さだからこうして女の演技なんかしてアレコレ動けるわけで――って、なんで自分で自分の傷口に、塩塗りたくるようなマネしてんだ、俺は。

「……別に、普通かと」

 ちょっとキレ気味で返事をすれば、未だ半開きの扉の向こうに佇む相手は、一瞬間をおき、それからなんと、くすり、と笑った。――は、笑った?

「……そういう方が、らしいね。あんた、敬語板についてないよ」

 ますます、カチン。んだと、こいつ。花形俳優だからって調子乗るんじゃねえぞ。
 正直、右手を押さえる相手の手(しかもなぜか非常に冷たい)を振り払って、今にも掴みかかりたい気分だったが、ぐっと堪えた。

 だって相手はなんせイヴ、裏では様々な噂がまことしやかに囁かれている、そんな男だ。
 実は過去に何人も殺し済みだとか、金を払わなかった客をナイフで軽やかにさばいてしまっただとか、家に奇妙な男を飼っているだとか――そんな、嘘か真か、というより明らか嘘じゃん、みたいな要素が8割超える噂だらけの、そんな奴。
 ここでヘタなことして俺の寿命を縮めるわけにはまさかいかない。俺は大きく息を吸って、それから一生懸命自分をなだめた。

「うっざ」

 ……なだめた、つもりだった。

「ははっ、あんた面白いな。変わってる」
「……そりゃ、ドーモ」

 もうどうにでもなれとふて腐れる。幸か不幸か、相手にはたいそうウケたみたいだし。

「……似てるな」
「は?」

 何やらボソッと呟かれる。俺はなんだと眉を寄せて、それから相手を見上げた。てかなんなのコイツ、意外と背高いのかよ。滅びろ。

「気に入った。あんた、この後ちょっと付き合ってよ」
「……は?」
「トクベツさ。おれの自宅へ、ご招待」
「……は、いやいやちょっとお待ちをイヴ様、いったい何のことだか俺にはサッパリ――」
「家にいるヤツに似てるんだよ。あんた」

 だから、気に入った。
 あっさり言ってのけ、なぜか満足そうに唇の端を引っ張り上げる相手を見て――俺は、自分がとんでもないことをしでかしてしまった事を、やっと悟った。
 うっかり部屋を間違えドアノブに手を掛け、そうして開けてしまったのは――おそらく、ただの花形俳優の部屋なんかではなくて、

 次々災難を呼び起こす、パンドラの箱だった、のだ。間違いなく。



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