ビタースウィート、それはきっと
■ ■ ■
ここのところ、佐藤郁は体調が良くない。
「ぐしゅん。……けほ、けほっ」
「……ねえ君。帰りなよって言ってるでしょ」
「雲雀が意外と優しい事、初めて知った。風邪ごときじゃ帰さないだろうとてっきり思ってたのに」
「……僕をなんだと思ってるの」
だいたい、僕は君限定で甘いんだから。
死んでも口にはしないけど、と内心で思い、雲雀は机の向こう、ずるずる鼻をすすってはパソコンとにらめっこを繰り返している黒い背中へ目を向ける。
外はとっくに真っ暗だ。時刻はまだそう遅くないけれど、最近は日が沈むのがまた一段と早い。
「くしゅっ。……あー、さむ」
「……帰りな。残りは僕がやる」
暖房の設定温度はいつもより高い。それなのに肩を震わせ呟く、彼の体調がよろしくないのは確定だった。
「雲雀がやさしー明日がコワイー」
「今すぐ帰るか咬み殺されるかどっちがいい」
「すみません帰ります」
一瞬で荷物をまとめて立ち上がる郁。その俊敏さに、雲雀はトンファーを出しかけていたことも忘れ、思わず笑った。
最近、降下していく気温に比例するように、彼との距離がさらに縮んだ気がする。
おかしいな、とは思うのだ。だって自分は本来そんな群れるようなことは死んでも嫌いで、苛立ちさえしても、嬉しく思うような事など絶対になかったはずなのだから。
「……明日の午後来たら、書類がいつもの倍になってたりとか、……しませんよね」
「さあ」
「……やっぱ残る」
「いいから帰りな」
雲雀の顔を見、再びソファへ体を反転させた相手を右手を振って追い返す。
「……俺、ここで一緒に仕事するようになって初めて知りました、けど。ごほっ」
「……?」
応接室の扉の外、もう暗い廊下に体を半分突っ込んで、咳き込みながらも何か言い始める郁に、雲雀は眉をひそめる。
「雲雀って、案外優しいし笑うし、……何気に、良い人だな、って」
「咬み殺す」
「帰ります」
手加減して投げたトンファーが突き刺さる前に、慌て顔になった郁の姿は扉の向こうへ消えていった。
「……何が良い人、なの」
ひとりになった応接室で、雲雀ははあ、と襟元を緩める。
暖房を高めに設定していたからか、顔が妙に火照る。それとも彼の風邪でもうつったのだろうか。それはゆゆしき問題だ。
「……君限定だから、困る」
そう呟き、盛大に息を吐き出した雲雀が、この後何が起きるかを知っていたなら――郁を1人で帰らせることは、多分なかったに違いない。