凛々Ant | ナノ



色付く世界

 不毛な世界だと、思った。


「……君、どうしたの?」

 声が遠く聞こえた。吐きそうだ。
 口を開くどころか指1本動かせず、ただ受動的に感覚だけを信じる。声と色彩、そして匂い。
「酷い怪我だ……このままじゃ、君」
 死ぬよ。
 聞こえた言葉は、我ながら驚くほど他人事に思えた。しぬ、そうか、死ぬのか、俺。
「……ねえ、目を開けて」
 嫌だよ。このまま死なせなよ。
 だって、俺はもう。
「駄目だよ、簡単に死ぬなんて……生き延びる隙があるなら、どこまでもしがみつくべきだ」
 凛とした声だ。遠くぼんやりとしか聞こえないわりに、なぜか強く芯があるのを感じた。
「しがみつける機会があるだけ、幸せだと思うんだ。ほら、目を開けろ……息を、吐け」
 余計な奴だ。説教じみた、爺臭い台詞。
 なのに、なぜか心強いと思った。
 しがみつきたいと、思った。


 世界は白かった。
 次に冷たいと感じて、雪の中に埋もれていたのだと思い出した。

「そう……いい子だ。君の名前は?」

 雪の白を遮るように現れたのは、妙に目に馴染む茶色だった。深く、どこにでもありそうな、でもここ最近めっきり見たことのなかったこげ茶色。

「……リネイア」
「リネイア……そっか。良い名前だね」

 するり、口からこぼれ落ちたのは使い慣れた偽名ではなく本名だった。
 視界を覆う茶色がするりと細くなり、柔らかくなる。相手が目を細めたのだとわかった。
 優しそうな、瞳だった。

「……あなた、は」
「俺?俺の名前は、ツナヨシ」
「つなよ、し……」
「そう。サワダツナヨシ」

 奇妙な名前だと思った。
 少なくとも聞き覚えのない発音とアクセントの並びだった。どこか平坦でいて、妙に起伏のある音程の名前。

 視界から、不意に茶色が消える。
 再び真っ白に染まった世界で、ただ優しい声だけが耳に届いた。

「俺と一緒においで。……リネイア」

 その声音は、あの時見えた目と同じで、
 とても優しく柔らかで、甘やかに溶かそうとするかのようで。

 自分が何と返答したのか、それだけが記憶に無い。



 世界は不毛だった。
 でもこの時初めて、そうでもないかもしれない、と思った。



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