NO.6 単独1話 | ナノ

■ ■ ■


「ネズミ、砂糖はいるか?」
「いらない」
反射で答え、ネズミは読んでいた文章の続きを目で追う。
だがそこでふと視線を上げた。小さなストーブを調理場とする小柄な背中。何やらせわしく動いている。
16歳の少年にしては低い背丈。骨張った肩。浮き出た肩甲骨。そして、白いうなじ。
どれも見慣れた。見慣れてしまったものだ。
見慣れてしまったことを心地良く思うし、口惜しくも思う。
「何」
くるり、振り返った黒目と目があった。
「何、って」
「見てただろ」
さすが、気配には敏感だ。肩をすくめる。
「よくお気付きで、陛下」
「随分お熱い視線だったからな」
くすり。相好を崩し、椎架が笑む。
その両手にカップをひとつずつ携え、彼はこちらへ歩み寄った。
「ほら、コーヒー」
「どうも」
礼を言い、受け取る。

コーヒーの深い苦味が口に広がる。久しく口にしていなかった。何せここ、西ブロックではコーヒーなど嗜好品だ。そうめったに手に入らない。
当然、そこらで買い求めた物ではなかった。力河の元からネズミがくすねてきたのだ。
「しかし、紫苑が知ったら怒るだろうな」
「何を?」
カップから口を離す。
「俺たちが2人でコーヒーを飲んだこと」
同じく唇を離した椎架は、やはり笑みを浮かべて言った。
「…そうか?」
「ああ、怒るに決まってる。紫苑はネズミが大好きだからな」
僕から奪ったなと、怒られる。
そう言って悪戯っぽく椎架がこちらを覗きこんだ。
「ネズミは随分と紫苑に優しいようで」
「お戯れならいい加減に、陛下」
「おやおや」
顔を引っ込め、椎架がおかしそうに笑う。
そのまま彼はコーヒーをすすった。落としたまつ毛の影が、くっきりと白い頬に浮かぶ。

全く、本当に。
内心などおくびにも出さずネズミは苦味を舌で転がす。
この鈍感ときたら。
紫苑が椎架を怒るわけがない。怒るとしたらむしろネズミにだろう。なにせ、

そこでネズミはコーヒーを口から離した。
寸分違わず椎架も立ち上がる。
ぱたぱたぱた。階段を駆け下りる音が聞こえて、
「ネズミ!」
ドアが開いたと思う間もなく、光る白髪が飛び込んできた。
「煩いな。なんの騒ぎだ」
「ネズミ、力河さんから聞いたぞ…て、椎架!」
「やあ紫苑」
視界の端で椎架が柔らかに微笑む。先ほどまで、この現場が見つかることに危惧を覚えていた人間には見えない。
「…な、やっぱり…」
「紫苑、あんた息が乱れてるぜ。どれだけ走ってきたんだ」
「だって、力河さんに、2人が家にいると思うって聞いた、から…」
「おやおや、お喋りなアル中だこと」
椎架が肩をすくめる。同時にコーヒーをすすった。器用な事だ。
「椎架!」
そこへ紫苑が叫んだ。椎架がびくりとする。不覚にもネズミも目を見開いた。
「な、何?」
「なんでネズミと2人っきりなんだ」
これだよ。言いたげに椎架の目がネズミに向いた。つかつかと紫苑が歩み寄る。
「僕とコーヒーを飲むのは嫌なのか」
「いや別に…て、は?」
椎架の目が丸くなる。
「なら僕も入れてくれていいだろう」
「え、あ、うん…そうだな」
「今度僕を入れなかったら怒るからな」
「あ、ああ。そう」
椎架は目をぱちぱちする。紫苑がくるりとこちらを向いた。ネズミはやれやれと天井を仰ぐ。
ほら、だから言っただろう。この鈍感が。
「ネズミ、抜けがけはないぞ」
「抜けがけなんてしていないね。いなかったあんたが悪い」
「しょうがないだろう、イヌカシのとこにいたんだから」
「なら運が悪かったと思え」
「それは…」
「お2人さん、お熱いのはいいがとりあえず落ち着かないか?」
まだ何か言いかけた紫苑を遮り椎架が言う。振り向いた2人の先、いつの間にか椎架がストーブの前に立っていた。
その手には、湯気を立てる白いカップ。
「ほら、紫苑の分だ」
「ありがとう、椎架」
「ネズミも飲めよ。冷めるぞ」
「ああ」
紫苑がカップを受け取る。ちらり、その顔がはにかむように笑んだのが見えた。ため息をつく。
ほら、全く。
紫苑は椎架に怒らない。むしろ甘い。
まあ自分も人のことは言えないが。
「…美味しい」
一口飲んだ紫苑が目を開く。
「コーヒー、初めてか?」
「いや」
椎架の問いに、紫苑がふるふると首を振った。
「そんなことはないけど…これ、美味しいな」
「椎架が淹れたからじゃないの」
「ただのインスタントだ」
「でも、美味しい」
「それはそれは」
椎架が笑顔になる。嬉しそうな笑みだ。
「お2人にお褒め頂き、有難く思います」
紫苑が笑った。危うくその手のカップからコーヒーがこぼれそうになる。ネズミと椎架は同時に声をあげた。
苦笑した紫苑を椎架が呆れ顔で注意する。その一連の流れを眺め、ネズミは全く、と何度目かもわからない言葉を呟いた。

全く、本当に鈍感な。
紫苑が大好きなのは、俺じゃない。
お前だよ。

ちろちろとストーブの炎が灯り代わりになり、小さな地下室を包みこむ。
過酷な現実を突きつける西ブロックの外と違い、穏やかな空間がそこにはあった。
例えそれが、一時のものであったとしても。






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