Another NO.6 | ナノ
些細な吐露

「お前はすぐに改心しろ、真心から改心しろ、ウン解ったか」
(『狂人日記』/魯迅)




 ヘンテコな奴だ。そう呟いていた。
 紫苑のことだ。とても変わっている。髪の色やら肌の痣もそうだけれど、何よりその中身だった。

 同じ人間だろ?だったら当然じゃないか。

 何のためらいもなく言い放った。イオリの視線に晒されてもなお、あの瞳は揺らがなかった。

 イオリ。

 あいつもヘンテコだ。わけがわからない。
 イヌカシが物心ついた頃にはまだいなかった。もう何年前かなどとうに忘れたが、彼はふらりと現れた。突然、するりと、この西ブロックの空気に紛れ込むように。
 この地でどう生計を立てているかは知らない。彼がどう生きているかもイヌカシは知らなかったし、興味も無かった。そういえばイオリが何か物を口にしているのすら、見たことがないかもしれない。だが、なんにせよイヌカシは知りたくなかった。

 知ってはならない。

 何となく、なぜだかそんな気がするのだ。
 いや、そんな気にさせる。たぶん、そちらだ。
 イオリにはそういう節があった。悟らせない。掴ませない。笑んでは全てをはぐらかす。
 ただの勘だった。イヌカシの勘でしかない。ついでに言うなら悟らせないだの掴ませないだの、そんなもの自分もネズミも、西ブロック中の奴らがそうだ。誰も彼も自身をおおっぴらにしたりしない。そんな警戒心が薄い奴は、精々紫苑くらいのものだった。

「イオリ」
 呟く。口から零れるように、名前を漏らしていた。
 ガチャリ。同時に扉を開ける。

「やあ。さっきぶりだな、イヌカシ」
 くすり、イオリがテーブルに肘付きうっすら笑う。その横、並んで座るネズミはテーブルに脚をあげていた。

「他人の部屋に入るのに、ノックなしか。ママに礼儀作法を習わなかったのかね、まったく」
「そっちの犬に入室の許可はもらった」
 顔をしかめ、イヌカシがネズミの脚を思いっきり叩く。ネズミは鼻で軽く笑って答えた。
「紫苑のお迎えなら、まだ早いぜ。だいたい、」
 テーブルに並ぶ2つの顔に、イヌカシは盛大にため息をつきたくなった。碌でもない顔ぶれだ。
「さっきまでイオリ、お前見てたからわかるだろう」
「ああ、いやというほどね。だけど迎えなんかじゃないよ」
「は?……けど、あいつ、『片付け屋』ともめたんだろう。独りで通りを歩くの危険じゃないのか?帰り道は犬を一匹つけるけどさ」
「それで、けっこう」
 答えたのはネズミだった。あっさりとそう言って、悠然と脚を組み替える。
「けど、『片付け屋』たちは執念深い。あいつは目立つし、もし捕まったら何されるかわかんないぞ」
 ネズミの瞳が嘲るように煌めいた。薄笑い。
「紫苑が『片付け屋』に何をされようが、おれたちに関係あるのか?どうしたイヌカシ、やけに親切だな。らしくない」
 イヌカシは、無言でネズミを睨みつけた。

 これだから、この2人は厄介なのだ。そう思う。
 片方は西ブロックの数少ない娯楽施設、つまるところ小さな劇場で活躍する舞台俳優。もう片方は同じく舞台に立てる程度の美貌は兼ね備えた、妖しい男。
 どちらも頭が回る。そして身の守り方を知っている。
 それは同時に、武器の扱いに長けている、という意味でもあった。

 厄介だ。イヌカシはそう思う。
 ひどく似ているようで、異なる両者。気質。
「紫苑の迎えじゃなければ、何の用だ?」
 戸棚を開けパンと乾燥果物を取り出しながら、イヌカシは問う。
 それに返ってきた答えは、テーブルを跳ねるコインだった。



「……話を聞こう」
「いい子だ」
 一旦はネズミの依頼を断ったイヌカシが、大きく息を吸い席に着いた。
 その様子を眺めながら、さっきから一言も話さないまま、イオリは肘をついていた腕を変える。
 金貨2枚分の仕事。危険だと断りかけたイヌカシを、ネズミはそれは鮮やかに追い込み脅し、承諾させた。
 大したものだ。さすが、この地で花形俳優としてふるまえるだけのことはある。
「時間がない、手短にしろ」
「情報が欲しい」 
「だろうな。いくら、おまえでもおれのところに、野菜を買いにはこないだろう。で、何の?」
「矯正施設」
 イヌカシが椅子から転がり落ちそうなそぶりを見せた。
「矯正施設!あの治安局統轄下の……か」
「他にどこがある」
 ネズミがポケットから白い小ネズミを取り出した。イヌカシが不審そうな目で見やる。
「ロボットか?」
「ああ。ホログラフィー機能付き」
「ご親切にそれはどうも。で、映っているこれは、なんだ?何の設計図だ?」
「矯正施設の内部構造の図面だ。ただし、かなり古い」
 イヌカシの顔がゆがんだ。とんでもない、とでも言いたげだ。
 イオリはまだ動かなかった。ただ、次々と進む場の流れを無表情に見つめていた。

「あのな、どんな情報であれ、集めるのは不可能だ」
「なんで」
「なんでって……お前、あそこがどんなところか、」
 反駁しかけたイヌカシが、ぴたりと動きを止める。
「……待て。お前、これをいつ採取した?」
 茶褐色の小柄な手が、小ネズミが映すホログラフィーを歪ませる。
「内部資料だろうが」
「そこはイオリに聞いて欲しいとこだけど」
「イオリ?」
 イヌカシの眉が、つり上がる。茶色の瞳と視線がぶつかる。
 怯むことなく見返してやれば、イヌカシがややたじろぐのがわかった。
「……イオリ、おまえ、ここにいたことが、あるのか」
「あるね」
 何のためらいもなく、あっさり答える。イヌカシが大きく目を見開いた。
「嘘だろ」
「じゃあ、嘘でいい」
「おい!」
「冗談だ。でもそれ以上語る気はないよ」
 立ち上がる。ここらが潮時だろう。
 もともと、自分はこの取引に関わる気は毛頭なかった。ただ、見たかっただけだ。
 ネズミが何を選択し、何を切り捨てるかを。

「……イオリ」
「ん」

 呼び止めた声は、意外にもネズミのものだった。
 扉の前で立ち止まり、緩慢に振り返る。
 灰色の瞳は、鋭く、どこかさぐるように煌めいていた。


「初めて、あんたが自分について何か言うのを、……おれは、聞いた」



 ああ、そう。
 返した言葉がどんな響きを持っていたのか、自分でも驚くほど覚えがない。
 ただ背を向ける寸前のネズミの目だけが、やたら脳裏に焼き付いていた。

 驚き。戸惑い。
 さらに知りたいという、欲求。


 薄暗い廊下を歩きながら、イオリは小さく笑っていた。

 ねぇ、ネズミ。
 他人と関われば関わるほど――自分の身を縛る枷は重たくなる。
 そうじゃないの。

 そうじゃない、のか。


|11/15|bkm

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