夢の世界に溺れる | ナノ
不穏と不穏と、
「……いつの間に彼にあんな事をしていたの?ペタ」
「申し訳ございません。勝手な真似を……」
「いや?結果的に彼のタトゥの進行はかなり進んだし、別に怒ってなんかいないよ」

 でもね、ペタ。
 そこで言葉を切り、ファントムはくるりと振り返る。

「シーのことは、ボクが全てこの手を下したいんだ」

 ニッコリ、いつもとなんら変わらぬ表情で、ファントムは静かに微笑んでいた。
 その表情を盗み見て、ペタはそっと息を吐く。

「……はい。かしこまりました」
「うん」

 短く返答したファントムが、再び背を向け歩き出す。
 遠ざかる背中を眺めながら、ペタは冷たい汗がこめかみを滑り落ちるのを感じていた。

(……これ以上の干渉は、危うい、か)

 脳裏をよぎるのは、血に塗れたあの少年の顔。
 4thバトル、あれほどのダメージを受けても尚、あの少年は立ち上がろうとした。反撃の余地があったのだ。
 面白い、そう思った。

 だが、問題なのは。

 目を上げ、ペタは闇へと消えゆく背中を追う。
 最後まで浮かんでいた白髪も、やがて廊下の奥へと溶け込んでいった。

「……惹かれる者もまた多い、か」

 呟き、ペタは身を翻した。


△▼




「……くしゅっ」

 ひとつくしゃみをして、ずず、と俺は鼻をすする。
 特に寒くはないんだけどな。まあ恰好が恰好だからか。
 ぺたり、鏡に手の平を付けて、俺は無言で覗き込む。

 首元まで侵食する、黒いタトゥ。

 ため息をつきたくなった。まあ、そりゃそうか。
 首元、銀に冷たく輝くチョーカーは取れてないし、5thバトルの途中でダークネスを破壊してやったとはいえ、あくまで途中だ。それまではアームの効果が最大限に発揮されてたしな。そういやわりと痛かったっけ。

 1番下まで下げたジッパーを、首上まできっちり閉める。わ、なんかアルヴィスみたいだ。
 いつもがわりとラフだから、どうも違和感が半端じゃない。

「……時間が」

 ぽつり、漏れていた。気が付いて、自嘲の笑みが浮かぶ。
 まもなくだ。そう、もうすぐ。
 目を足元に落とす。それと同時、手の甲に刻まれたタトゥに目がいった。
 一瞬、息が詰まる。とっさに顔を上げた。
 上げて、再び鏡越しの自分と目を合わせて――今度こそ、息を呑む。

 両目の下、頬の上まで、
 黒く手を伸ばす線上のタトゥ。

「……な、」
 瞬きした瞬間、それは消えた。幻覚。
 幻覚?
 認識した瞬間、吐き気と笑いがこみ上げてきた。
 幻覚、だってさ。幻覚使いの俺が、自分の姿に幻覚を見るだなんて。
 本当に、笑えない。

「……くっそ」

 時間が、ない。俺にはもう、時間が。
 目を上げる。また目が合った。
 一瞬だけ見える残像。頬を侵食する黒い魔の手。


 失せろ。


 吐き捨てると同時、鏡が粉々にひび割れた。


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