最後の青色
例えば物事には順序がある。
それなりの感情を抱くにはそれなりの過程があって、必ずしも人間、理論的じゃない道を通って物事を捉えるってことは無いはずだ。多分。
あくまで俺個人の考え方だから、それが全員に当てはまるかなんて知らないけれど。
いつも以上に何言ってるかわからないって?
別に簡単なことだ、俺がファントムやラプンツェルを毛嫌いするのもカルデアを憎むのも、それなりの順序を経てるってこと、
ただそれだけ。
△▼
「……それじゃ、行くよ」
真剣なドロシーの声が、聴覚の端っこに引っかかる。
俺は大きく息を吸って、アンダータ独特の上昇感に身を委ねた。
何が言いたいかって?
「……アル」
「シー?」
地に足がついた感触と同時、両手をきゅっと握りしめる。
ただ、この現状から逃れたい――つまり、
どれほど大げさな言葉で繕ってみても、俺が思っているのはただの現実逃避でしかなくて、そう、所詮そこまででしかない話なんだっていう、
ただ、それだけ。
△▼
「……あーっ! ドロシー姉様!」
「ドロシー様?」
「ドロシーだ!」
わあっという歓声とともに、一気にあたりが賑やかになる。
俺はその様子を頭の片隅で感じ取りながら、地面に向けた顔を上げられずにいた。
――多分、誰も気が付かないはずだ。
否、誰も"俺のことを知らない"はず。
わかっていながら、もしかしてという嫌な想像が捨て切れない。
「……ところでドロシー様、あの者たちは?」
「……っ」
遠くから耳に届いた不思議そうな声に、俺は思わず息を呑む。
一瞬、肩が確かに震えて、苛立ちと焦りに思わず唇を噛んでいた。
怯えるな。身構えるな。――露骨な警戒は、不審を招く。
「ああ! まあ、子分みたいなモンかな!」
「誰がだ」
真横、アルヴィスがイラッとした反応を見せたことにも、俺はほとんど気が付かなかった。
あの氷原フィールドより下がってんじゃないかと思えるほど馬鹿みたいに冷えていく体温、そして喉のあたりまで込み上げる動悸の激しさに、落ち着け落ち着けとただただ手をぎゅうっと握りしめ、そして――。
「シー」
顔を上げた。
俺の目を覗き込むようにして、至近距離でアルヴィスが眉をひそめている。
「……何、アルヴィス」
「……手が」
「て?」
言われた言葉を間抜けな調子で繰り返しながら、俺はすぐ横に視線を落とす。落として、
危うくおかしな声をあげそうになった。
「……うわお。何これ?」
「これも何も、お前の方から握ってきたんじゃないか」
「……へ?」
「……その顔を見る限り、とぼけているわけではなさそうだな」
アルヴィスが何とも言えない顔つきになる。怒ろうとしたのがアテが外れたって感じだ。
だけど、俺もそこそこ何とも言えない顔をしていたと思う。え、だって、俺が自分から?
「……え、ええと。よくわかんないけど、ごめん」
取りあえずぱっと手を放す。アルヴィスの方から握ってきたんなら大歓迎なんだけど、相手の白い手を握り潰すかのごとく掴んでいた俺の手の感じからして、おそらくそれはないだろう。
どうやら本当に、無意識のうちにアルヴィスの手を握っていたらしい。俺は。
「……シー」
「え、何」
遠く、ドロシーの表情が真剣味を帯びる。その唇が動くと同時、周りに集まっていた人々の顔色も、皆一様に鋭さを帯びたものへと変わっていく。
「お前、……おかしくないか」
「おかしくないよ」
そう――何も、おかしくない。
おかしくなんてないんだよ、アル。
ドロシーがこちらへ戻ってくる。その指先に光るアンダータからして、やっぱり宮殿行きは免れないらしい。そりゃそうだよな、ダメに決まってる。
吐き出した息が揺れる。隠しようもなく手先が震えた。
良かった、と思った。
アルヴィスの手を握ったままだったら、この震えが伝わってしまったに違いない。
「シー」
「なに」
「何を隠している」
「何も隠してないよ」
「嘘をつくな」
ぐい、っと顎を掴まれる。強引に横を向かされた。途端、視界を占める水晶みたいに澄んだ青い瞳。
瞬間的に、死にたくなった。ああ、この感情はよく知っている。
――虚しさ。哀しみ。惨めさ。
全部だ。
「……なら、なぜオレの方を見ない」
アルヴィスの目は6年前に出逢った時と同じ、なんの曇りの無いあの色で。
良かった、安堵と嗚咽を伴った笑いが腹の底から込み上げてくるのを感じながら、俺は強くそう思った。
最後に、この青を目に焼き付けることが出来て。