今日も今日とて部室の鍵を開けて、朝練の準備をしている時、事件は起きた。

ガタン!

と何かが激しく近くでぶつかった音がする。
おかしいな、特に倒れそうなものはなかったはずなんだけど。

急いで音のした外へ出ると、地べたに女の子が倒れていて、只事ではない状況に慌てて駆け寄る。

「大丈夫ですか!?」

学校で習った人命救助の通りに、まず耳元で声をかける。

「うー……うっさい……」

どうやら気絶しているわけではなさそうだ。良かった。
シャンプーの香りがふわりと香る彼女は、耳を塞いで寝返りをうつ。
こんな時間にシャワーを浴びるなんて、もしかしてずっと学校にいたのだろうか。

「そんなところで寝てたら風邪ひきますよ?」
「眠いんだから……ほっといて」

初対面なのに少し冷たい態度だな。眠くなると不機嫌になってしまうタイプの人か。

でも、このまま放っておくわけにもいかないし、部室にたまたまあったソファに寝かせて、俺の持ってる1番大きいタオルをかける。

それにしても、髪の毛に隠れて見えなかったけど、よく見るとなかなかの美人さんだなぁ。

透き通るような白い肌に筋の通った鼻に長いまつげ。きっと目を開けたらちょっとキツい目付きではあるけど大きくて綺麗なんだろう。

「ん……」
「(俺としたことが…見とれててどうするんだ!さっさと朝練の準備しよう)」

いそいそとラケットをバックから出して、着替えを始める。

「おっはよーございます!大石先輩!」

いつもなら寝坊しやすい桃城が早起きとは関心だなと褒めてやりたいところだが、なぜ今日に限って早起きして来るんだ桃城!

大声を出すと彼女が起きてしまうので、人差し指を口に当てて静かにさせる。

「…え……先輩なんすか、この人。彼女っすか?」
「ばっ!……そんなわけないだろ、部室の前で倒れてたから運んだんだよ」

桃城と俺の会話がうるさいのか、ソファに横たわる彼女は眉を顰める。

そして、ゆっくりと人形のように目を開くと、ぼんやりと俺たちを交互に見る。
やっぱり目つきは良くないけど綺麗な子だ。

「……だれ」
「そりゃこっちのセリフだよ。あんた、名前は?俺は桃城武。ももちゃんでいいぜ!」
「……名字」
「んだよ、つれねーヤツだな」

元から肌が白いこともあって分かりにくかったが、顔色がやや優れない彼女は、やはり大分低血圧のようだ。

「桃城、彼女低血圧と寝不足みたいだから、少し不機嫌なのは許してやってくれ」
「え、そーなんすか?」
「……そー。だからもうひと眠りする」

俺のタオルを握りしめて、再び寝始めた名字さんはお気に入りのタオルを小屋に持っていって寝る猫のようだ。
俺たちは、彼女の睡眠を妨害しないように着替えて外でランニングをすることにした。

「……なんかマイペースな人っすよね」
「うん、ちょっと変わってるよね。名字さんって」

……ん?待てよ、この名前、どこかで聞いたことがあるような。

「あ!」
「うわっ!びっくりした!なんスかそんな声あげて」
「名字さんって、毎回全校集会で受賞式があっても受け取らないってことで有名な人だった…!」

確か、絵画コンクールで大賞とか最優秀賞を数多く受賞していたんだけど、1年の時から1度も賞を祭壇でもらいに来たことがない名字さんだ。

絵が上手いってことは、なるほど道理で変わっているわけか。

「普通、そういうもんって貰って嬉しいもんすけどね」
「ああ。芸術家の考えてる事はよく分からないけど、全ての賞をもらってない限りきっと何か訳あってのことなんだろうね」

少し難のある性格から察するに、その行動も納得できる気がする。
なにか確固たる信念があるのだろう。


しばらくして、ウォーミングアップを桃城と済ませ、俺だけもう一度彼女の様子を見に部室に戻る。

まだ寝ているようだが、そろそろ本格的に部員達が集まって着替えるので起こさなければ。

「名字さん、そろそろ起きて」
「……やだ」

タオルを顔に覆いかぶせると、耳を塞いで寝ようとする名字さん。
初対面の相手にその態度をとれる勇気が逆にすごい。

寝相が悪いのか、体操服からお腹が随分と出ている。お腹を冷やしてしまわないように俺は自身のジャージをかけた。

「部員達がここで着替えづらくなってしまうんだよ」
「私は気にしない」
「俺達が気にするんだよ……」

どこまでも我が道をゆく彼女には、呆れを通り過ぎて尊敬を覚えそうだ。
しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。なんとかしてほかの場所に移ってもらわないと。


ぐるぅううう……

「おなかすいた」

どうしようかと頭を悩ませていると、彼女のお腹が大きくなった。

よし、これだ!
俺はここぞとばかりに自分の弁当の魔法瓶を取り出すと、ハマグリの吸い物を彼女に渡す。

「そのコップにはまだ口つけてないから、飲んでもいいよ」
「……ありがと」

軽く湯気がたっている良い風味の吸い物を1口飲むと、熱かったのか舌を出している。
猫舌なのか。ちょっと可愛いところもあるな。

「熱かったんだろ?ほら、水だ」
「ん」

舌を水で冷やしたあと、程よく冷ましてからもう一度スープを飲んだ彼女は、よほど美味しかったのかそれを一気飲みをした。

「慌てて飲むから口からスープがこぼれてるぞ」

まったく、世話の焼けるやつだ。
彼女が使っていたタオルで口元を拭いてやると、少しだけ柔らかい唇に手が触れた。

なんだろう、ちょっとドキッとするな。

「この汁、美味いな。作ったのか」
「ああ、俺が作った吸い物だ。口にあってよかったよ」

「ふぅん、きみ、名前は」

「俺は大石秀一郎。3年2組テニス部だ。よろしくな」

「気に入った。覚えとく」

ごちそうさん、とだけ言い残して部室を後にした直後、彼女をみた部員達が俺に質問攻めしてきたのは言うまでもなかった。




「ふむ、名字名前か。普段授業中でしか見かけない彼女のデータは僅かしか取れていない。興味深いな」
「一応あることにはあるんだな。流石、乾だ」

一体何冊あるのか分からない大量のノートを取り出し、彼女のページに辿り着く。
本当だ。隣のページの生徒よりも情報量が少ない。

「3年1組、名字名前。美術の成績は群を抜いており、その実力は幾多の賞を授かる、言わば天才。それ故に性格に癖が強く、あまり協調性はない」

「それはさっき会ったから何となく分かるんだけど、他には何かないのか?」

「そうだな…最近の情報だと、極わずかだが彼女に気に入られた生徒は、モデルに呼ばれることが非常に多いそうだ」

「え、」

それってもしかして、俺もそのうち呼ばれることになるってことだろうか。
だとしたら、そ、その、美術の教科書に載っていた男性モデルのように脱ぐ……!?

想像しただけでも顔から火がでそうな程恥ずかしい。
いやでも、これで心構えは出来たわけだし、裸になることだけは断ればいいことは分かった。いつ呼ばれても大丈夫……だろう。多分。




****


「大石」

「はっ、はい!」

放課後、今日は部活も委員会もないのでゆっくり帰ろうかと帰支度をしていたら、いつの間に教室に入ってきていたのか隣に彼女がいた。
今朝のあのことを聞いて、無意識に身構えてしまい2重の意味で驚いてしまう。

「おいで」

普通は相手のことを考えて、時間があるかどうかくらい聞くと思うけど、彼女はまったくそれをしない。
寧ろ、初めから俺がついてくる前提で予備に来ているようだ。

彼女に黙って付いていくと、やはり美術室の方に向かっている。
やっぱり俺、脱がないとダメかなぁ。

「あ、あの、名字さん。俺をモデルにするんだろ……?」

「うん」

「でも、脱ぐとかそういうのは、まだ早いっていうか、もうちょい関係を深めてからで……」

「何言ってんだ大石」

「え」

こちらをちらりとも振り向かない彼女がバッサリと切り捨てる。
え、モデルってそういう事じゃないのか…?

「確かに、大石の体はいい。そのうち脱いでもらうが、今日は違う」

「え……あ、うん」

さりげなく爆弾発言をした彼女は、まったく気にする素振りもなく美術準備室の鍵を開ける。
やっぱり脱ぐことに変わりは無かったんだな……。



準備室の奥へ入っていくと、どこかホコリっぽくて、独特の匂いがする場所に、彼女の世界があった。

教室の黒板の半分はある大きな絵画や、小さな小瓶から一斗缶に入った液体。
俺達が授業中で使うモノよりも、匂いがきつくサイズの大きなチューブ絵の具。
色やサイズが違う筆が、そこらに転がっているが、そこまで汚くはない。

「大石、やっぱり脱げ」
「ええ!?」
「匂いが服にうつる」
「あ、そういうことか」

確かに、ガソリンや灯油に似たちょっとツンとくる匂いだ。下に着ている体操服は洗濯するからいいとして、学ランだけは脱いでおこう。

たたみ終わった制服は、彼女が隣のこちら側しか開かない部屋においてくれた。

「大石、読め」
「ん?これは、恋愛小説だな。名字さんが買ったのか?」
「それはモチーフ」
「モチーフ……?被写体のことか?」

名字さんはコクリと頷いて、特徴的な切り方をされた先の尖っている鉛筆で俺を描き始めた。

さらさらと鉛筆が滑る音は、聞いているこっちも気持ちよくなるほど筆の進みが速い。

「大石、変な髪だ」
「そうかな、変わってるってたまに言われるけど、自分ではそこまで思ったことないよ?」

「そうか。大石は二枚目だな」

彼女はあまり口数が多くないけれど、今までの会話から察するに思っていることが全部口に出るタイプだ。
だからこそ、二枚目なんて恥ずかしげもなくストレートに言われてしまうとなんだか照れてしまって、小説の内容なんて頭に入ってこなかった。

「……」
「……」

き、気まづいな。
集中してると悪いから声をかけないでいるけど、俺は沈黙が気になってしまう。

「大石、話してもいい」

やはり観察力はずば抜けて高いから、俺の考えていることが分かったのだろうか。
何にせよ、俺は沈黙を破るために口を開く。

「今朝どうしてあんな所で倒れていたんだ?」
「眠かった」

「今までどこかで倒れて寝てたことって……」
「ある」

「毎日そんなになるまで描いてるのか?」
「いい調子の時は、どれだけでも集中できるから家に帰るのを忘れる。その反動がアレ」

「無理は禁物だ。お昼はちゃんと食べたか?」
「パン1個」

「そんなんだから低血圧になるんだぞ。きちんと食べた方がいい」
「ほっといて」

鉛筆をそっと置くと、水彩の筆と絵の具を引っ張り出してくる彼女の足は、やはり細かった。

「放っておけるわけないだろ、また名字さんが学校じゃないどこかで倒れたとして、襲われでもしたら……」

「大石は……優しいな」

筆を止めて、俺をまっすぐ見つめる名字さん。

何故だろう。目が離せない。

心臓が、うるさい。

「大石」
「なにかな?」

「これから毎日、私のためにあの汁を作ってくれ。あれ飲むと調子いい」

そのセリフって男の人が女の人にプロポーズする時のじゃないのかとツッコミたくなったが、よほどあのお吸い物が気に入ったみたいだ。

「金は払う」

「え、そんなのいいよ!大したものじゃないし」

「誰かが作ったものは、どんなものでも馬鹿にしていいものじゃない。だから、それ相応の評価をどんな形であれ私はするようにしてる」

ふと、彼女の暗闇が垣間見えてしまった気がした。

多分、本来絵画は優劣の付けようがない部門だけど、賞を貰っている彼女はその現実を知っている。きっと、他の作品が貶されている場面にも何度も遭遇したことだろう。

だからこそ、あの行動に出ていたわけか。

「分かった、作るよ。でもお金の代わりにお願いがある」
「なに」
「連絡先、教えて欲しい」

我ながら慣れないことを言ったせいか、少し顔が赤くなっている。これじゃぁナンパみたいじゃないか。
いやいやいや、彼女がどこかで倒れた時に、俺が助けてあげられるようにとか、今日はお吸い物じゃなくて味噌汁だよとかを知らせる、そういう義務的な連絡ツールだ。落ち着け俺。

緊張する俺とは裏腹に、訳が変わらないと、初めて彼女の表情筋が動いた気がする。
キリのいいところで終わっていたのか、水彩ペンを置き、携帯を取り出した名字さん。

「……そんなのでいいのか?」
「これなら、モデルになる時にわざわざうちまで来なくてもいいし、俺が空いてる時間が分かるだろ?」
「確かに。でも、それだと私しかメリットない」
「いいんだよ。俺はこれで」

緑色のアプリを開いて、俺に丸投げした名字さんの友達人数は5人だった。
なるほど、めったにすることがない友達追加が分からないのか。

「これでよしと。名字さん、これが俺の連絡先だぞ」
「そのくらい分かる……アクアリウムか。いい趣味だな。手入れもこまめにしてるみたいだ」
「この小さいアイコンでよく分かったな。俺の部屋にあるんだ」

名字さんはそれを聞いて、一瞬何かを考えてから口を開いた。

「じゃぁ、大石だけのアクアリウム描く」
「え、いいのか?」
「あれだけだと、私の気が済まない」

俺だけの、か。

その言葉に、思わず心が弾む。

アクアリウムがテーマになったのも、ラッセンのような涼し気な絵が好きなだけあって楽しみだな。


「できた」
「もう描けたのか、はやいな。見せてくれよ」


スケッチブックをこちらに見えるようくるりと回すと、本に静かに目を落とす俺の姿が描かれていた。ただ画力があるだけではなくて、雰囲気も伝わってくる。きっと第三者から見た俺の姿はこんなビジョンで見えているのだろう。

「すごく素敵な絵だな…これだけの時間で描いたとは思えない」
「やる」
「いいのか?貰っちゃって」
「ん」

カッターを出しながら、ページを定規で丁寧に切断する。器用なことに、下のページを切らずにそのページだけが剥がれた。
ちょうど家に使ってない額縁にでも飾ろう。

「もう帰っていい」

画力もダントツだが、やはり愛想のなさもダントツだな。彼女は学ランを俺に返すと、片付けを始める。

もったいないなぁ、言い方が変われば根はいい性格だからもっと友だちが増えるのに。

「ああ、大切にするよ、これ。じゃぁまた」

だが、敢えてそれを言わないのは、この2人だけの世界に誰かが入ってくるのが嫌な俺のわがままだろう。

異様な雰囲気だが、嫌いじゃない。

「大石」

「ん?」

「……また来い」

こちらを見ず、呟くように俺にそう告げた彼女の頬が少し赤くみえたのは、夕暮れのせいだろうか。

「うん」

俺はまた、彼女と2人きりの約束を交わして夕日に背を向けた。


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