あのあと、私はライモンシティに残ると言い、 博士は「わかりました」とそれだけを告げて、リグレーと共に姿を消した。 ポケモンセンターに宿をとって、 バタン、部屋のドアを閉めると、 堰を切ったように涙があふれ出て、膝から崩れ落ちた。 灯りはつけない。 まばゆいネオンが差し込む薄暗い部屋で、声を押し殺して泣いた。 何人ものトレーナーと戦って、その能力だけで判断して、ラベルを貼って。 私だって、そうしてきた。アクロマ博士だけじゃない。 ずっとそうしてきた。 何の感情も沸かなかった。彼らはだだのサンプルでしかなった。 でも、キョウヘイ君の戦いぶりを見ていて、 危険な目にあって、それでも戦い続ける彼を見て、 彼を一人の人間として見るようになってしまった。 プラズマ団は悪の組織だ。 でも、彼らと一緒に航海をするなかで、 彼らにも人間らしい一面があることを知ってしまった。 少なくともあの日、演説のときに彼らが見せた涙は、本物だ。 こんなの、わがまま。 勝手なことを言っているのは、きっと、私の方。 でも、プラズマ団も、キョウヘイ君も、 私には、もう、以前のように切り捨てることはできない。 情が、移ってしまったのだ。 いいや、違う、そうじゃない。 キョウヘイ君とか、プラズマ団とか、 本当はそんな綺麗事じゃなくて、 そんなまっとうな考えなんかじゃなくて、 ただ、私も同じように思われていたのではないか、 博士に利用されていただけなんじゃないか、 ということを恐れているだけ。 こわい。 膝を抱えている腕に、力がこもる。 指が、爪が、震える肌に食い込む。 でも、それなら、博士は最後にあんなことを言ったの。 ――あなたを、巻き込むべきでは無かったのかもしれない―― もはやそれすら、彼にとってはなんらかの策の内なのかもしれない。 わからない。 どこまでが嘘で、どこまでが本当なのか。 いや、彼の言っていることはすべて本当。 いっそ、いままでのことがすべて嘘ならよかったのに。 わからない。 わからない。わからない。 嫌いになれない。 信じ切れない、でも、どうしても嫌いに、なれない。 嫌いになりたいのに、嫌いになって、 このままどこか遠くへ逃げ出して、 もう、一生顔を合わさなくても、それでも構わないのに。 どうしても、嫌いになれない。 「なんで…… なんで、嫌いになれないの……!」 耳を、塞ぐ。 思い浮かぶのは彼の、笑顔。 優しい言葉達。 博士に褒められるのが大好きだった。 博士が必要としてくれてる、そう思ったから、 私はその期待に答えようと必死になった。 でも、それも、すべてはまやかしだったっていうの? いやだ、認めたくない、それだけは認めたくないよ。 だってそれを認めてしまったら、私の一部が無くなってしまいそうだ。 博士と過ごした日々が、空白になってしまう。 くるしい。 息が、上手くできない。 胸のあたりが締め付けられて、 頭はごちゃごちゃで、 どこか怪我をした訳でもないのに、涙が止まらない。 嫌いに、なれない。 アクロマ、はかせ。 ことり、モンスターボールが白衣のポケットからこぼれ落ち、転がってゆく。 開閉ボタンが床に当たって止まり、中から赤い閃光が漏れ出す。 「ランクルス」 モンスターボールから出てきたランクルスは心配そうな顔をしながら、 腕を伸ばして私の頭をそっと撫でてくれた。 「ありがとう。 ランクルスはやさしいね」 ランクルスに撫でられていると、全身の覆っていた緊張が少しずつほぐれていった。 そうして、いつしか死んだように眠っていた。 目が覚めると、窓の外はわずかに白んでいた。 壁際でうずくまっていたはずなのに、 私の体は温かなベッドの上に移動していて、毛布までかかっていた。 ランクルスが風邪を引かないように配慮してくれたのだろう。 顔を洗う。 泣きはらした顔も少しはましになったか。 咽の渇きを感じ、水道の水を手ですくって、流し込む。 なまぬるい水が、けだるい体を染み渡ってゆく。 私は眠っているランクルスをボールに入れて白衣のポケットにしまい、部屋を出た。 チェックアウトを済ませポケモンセンターの外に出る。 ライモンシティといえど、こんなにも朝早くから外に出ている人はいない。 朝もやのかかる音の無い街を、歩く。 これからどうしようか。どこへいこうか。 何も考えずに、ここに残ってしまった。 ふと、目の前の空間が揺らいだと思うと、一匹のポケモンが姿を現した。 「リグレー」 私はリグレーに近づいてゆく。 「迎えに、きてくれたの?」 リグレーはゆっくりと頷く。 私は手を伸ばして、その小さな手に、触れた。 次に目を開けた時には、眩しいばかりの朝日の中に、 裾の広がった白衣を羽織った、彼の後ろ姿が見えた。 白衣の彼は私に気付き、振り向くと、 「おかえりなさい」と、やわらかに微笑み、 私をその腕の中へとゆるやかに収めた。 「ナマエさんなら、戻ってきてくれると思っていました」 博士の、毒みたいに甘い声が上から降ってくる。 「私はまだ、」 「構いません」 そのとろけてしまいそうな心地よさに身をゆだね、目を閉じる。 ああ、やっぱり好きだ。 (2012/09/07) ← ×
|