モモンを剥いている時に手を切って以来、彼は私に包丁を握らせなかった。

火を使うのも危ないと言い、料理をつくるのはいつも彼。
不味くはないが料理上手とも言えない彼の料理を今日も食べる。

不味くはない。美味しいと言ってもいい。
栄養のバランスはとれている。
けれど、いつもどこか決め手に欠ける味なのだ。
今日もやはり、塩気が足りない。
そんな病院食のような食事を終え、私は席を立った。


「ノボリ、お皿洗うよ」


彼の料理のなくなった皿を取り上げようと伸ばした手は、
手首捕まれることによって、ゆるかに制された。
困惑する私に彼はこう言った。


「とても危なくてあなた様にそのようなことはさせられません。
皿を割りでもして、手を切られたらどうするおつもりですか。
わたくしにはあなた様の柔らかな手が傷付くのには耐えられないのです」


どうぞ座っていて下さいまし。
と私に告げて、彼自身はキッチンへ皿を片付けに行った。



このところずっとこの調子だ。
“危険ですからお止め下さいまし”

お嬢様と執事。いや、そんな素敵な関係とは違う、
むしろ過保護な親と子供。そう言った方がしっくりくる。


外出する時はいつも彼と一緒。
そしてその時彼は決して私の手を放そうとしない。
ずっと握ったまま。最初のうちは私も嬉しかった。
ぎゅっと手を強く握られると、それだけ愛されているような気がした。
でも……。


クダリがああも生活力に欠けるのは、もしかしたらノボリのせいかもしれない。
と、最近そう思う。


手持ちぶさたになった私は、
仕方がないのでモンスターボールからチョロネコを出した。
小さなこの子なら部屋で遊ばせても大丈夫だ。




チョロネコを抱き抱えてソファーに座る。
首下をさすってやると嬉しそうに喉を鳴らした。
うんうん、やっぱりお前は可愛いなぁ。

と、チョロネコが私の手を引っ掻いた。
悪気があった訳では無いらしい。
傷口から少し血が滲んだけれど、チョロネコがそれを見て
チロチロと愛らしい舌で舐めとった。


「チョロネコ、戻って下さいまし」


低い声がしたと思った瞬間、チョロネコは赤い光に変わり、消えてしまった。

どうやら今の場面を彼に見られたらしい。
机の上に置いていたモンスターボールは、
いつのまにか彼の手に収まっていた。


「なん……で」
「危険だからでございます」
「私からポケモンを取り上げる気?」
「はい、そうでございますね。
あなた様に危険が及ばぬよう、
責任を持ってわたくしが管理いたしましょう」


彼の手の中でモンスターボールがカタカタと震えているのが見てとれた。
チョロネコが外に出ようと必死にもがいているようだ。


「冗談じゃないっ!私だってこれでもトレーナーなの。
今まで死ぬような目にだって何度も遭ってきた。
ねぇ、ノボリ、どうしたの?
あなたに最初に会ったとき、私、トレーナーだったじゃない。
なのに」

「ええ、昔はあなた様もトレーナーでした。
しかし今は……わたくしのナマエでございます」
誰のものでもなく、このわたくしの。


彼は一切の表情を変えずにそう言ってのけた。
サーッと血の気が引いた。彼から逃げなくちゃ。
気付いた時には、部屋のドアノブをガチャガチャと回していた。
どうして、開かないの、鍵は内から閉めるタイプの筈なのに、
そしてそれは開いているのに、どうして、どうして、どうして……!


「ナマエ」


後ろからそっと抱きしめられる。その瞬間ぞわり、と全身が恐怖に粟立った。
いっそ殴られてしまった方がまだましだった。


「どこへ行くのでございますか。外は危険でございます」





(2011.03.01)





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