バルコニーに出ると、夜風が冷たかった。
あいにくの曇り空で月は見えなかった。


「ナマエ。君がどうしてこんなとこにいるんだい」
「……デント。あなたこそ、どうしてここに」


彼女は特別驚いた様子も見せず、そう答えた。

――イッシュ地方のジムリーダー、四天王、チャンピオン。
その他実力ある著名なトレーナーが参加する大規模なパーティー。
そこに当然ながらサンヨウジムのジムリーダーであるデント、
そしてイサギも呼ばれていたのだった――



「ナマエを探して、なんてね」
「下手な冗談はよしてよ。」


彼女はくるりと彼に背を向け、手すりの方へと歩み寄り、
漆黒の空へと目を戻した。


「ところで君はどうしてここにいるんだい?」
「風に、当たりたかったから。
……私、ああゆう華やかな場所が苦手なんだ。」


実際、来なければ良かったと、少し後悔している所だった。
ああ、こんな身動きのとりにくいドレスなんか着ずに、
大人しくポケモン達のブラッシングでもしておけば良かったと。


「そうなのか……残念だな」
「何が」
「僕、ナマエと踊りたかったのに」


踊りたかった。なんなんだこの男は、
一体今まで何人に同じような言葉を吐いてきたのだろう。


「あなたってつくづく冗談が下手よね。
第一、私、踊れないよ。」
「それは踊ったことが無いの間違いじゃないのかな?」


彼が小馬鹿にしたようにくつくつと咽を鳴らした。


「どういう意味?」
「食わず嫌いは良くないってことさ」


彼が大きな一歩で、呼吸するより速く、
けれど滑らかな動作で私に近づき、手を差し伸べた。


「お嬢様、お手を」


呆気にとられながらも、
言われるがまま、彼の手のひらに自分の手を重ねた。
彼の温かな手は私の氷のように冷えきった手を、
触れ合った場所からやわらかに溶かしていき、
その熱は全身に一瞬のうちに染み渡った。

どこからかワルツが聞こえる。
私達はその美しいバイオリンの音色に導かれるように踊り始めた。





「どうしたのナマエ、固くなりすぎだよ。もっと力を抜いて」


耳元で囁く甘い声に脳が蕩けそうになる。

「……デント」


もうこうなっては身を委ねるしかなかった。


右足、左足、右足……。
彼に促されるままにステップを踏む。
今はただ彼の足を踏んでしまわないか、それだけが気がかりだ。


「ナマエ、顔を上げて。目線を下げてはいけないよ」


その言葉にはっと顔をあげるとばっちりと目が合ってしまって
……彼はただニッコリと微笑んだ。


「うまいうまい。ナマエ……君、なかなかいいよ」


下らぬ世辞か、つまらぬ嘘か。そのどちらでも良い。
ただ今は永遠のような時間の流れの中をワルツに合わせて、
さまよっていたかった。

眩しくて逃げ出したあの場所から漏れる、
微かなバイオリンの音をたどり、私達は踊る。

やがて、曲は終わり、現実に引き戻される。
その途端に私は彼の手を払いのけるかのように、ぱっと離してしまった。


「ナマエ……?」
「ごめんなさい」
「えっ」


その場から逃げるように走り去る。
履き馴れないヒールをカツカツと鳴らしながら。

先ほどのことが夢のようで、信じられなかった。

顔が熱い。心臓がうるさい。
酸素もうまく体を回っていないみたいだ。

石のタイルの隙間にヒールの爪先が引っ掛かっかり

あっ、

見事なまでに転んだ。
私はその事実を否定するように急いで立ち上がろうとした。
しかしその途端に足首に激痛が走る。


「痛っ……い」
「ナマエっ、大丈夫かい?」


頭の上から降ってきた声の主を確かめるために顔を上げると、
そこにはデントが。


「大丈夫、立てる」

再び立ち上がろうと試みてみるものの、
また足にさっきと同じ痛みが走っただけだった。


「ナマエ、ほら」と。
彼がまた、手を差し出した。
先程と違うのは、彼の表情から私を心配しているということが感じられることだ。


「ナマエ?」
「どうして……」
「えっ?」
「どうしてあなたは私と踊ってくれるの?」


彼の手を取る代わりに、私はそう問いかけた。
彼は一瞬の戸惑いも見せずにこう答えた。


「……だってそれは、僕が君をすきだからだよ。」


「行こう」と差し出された手をこんどはしっかりと掴んで立ち上がる。
まだ残る痛みにふらつく足元を気遣うように、彼は私を抱き締めた。


夜空の星がキラキラと輝いていた。






(2011.03.01)








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