今にも雨が降ってきそうな暗い空。 向かい風を切って飛ぶ一羽のムクホーク。 その上に乗っているのは一人の少女。 ポツリ、ポツリ雫降りかかる。 ――雨だ。 「ムクホーク、スピードを上げて頂戴」 あともう少しなのに……! 叩きつけるような雨の中、その姿はまるで弾丸のようだ。 滑空時間に比例し、重たくなる翼。 ムクホークはあと5分と持たないかもしれない。 「もう少しだから、頑張って」 彼女がそう言うとムクホークは「大丈夫だ、任せておけ」とでも言うような大きな声で鳴いた。 それを聞くと彼女はフッと口の端を上げた。 最初に見えるのはそびえ立つバトルタワー。 そしてフロンティアの各施設が見えてくる。 彼女が目指すはバトルファクトリー。 ネジキと会う約束をしていたのだ。 バトルファクトリーの裏口の前に少女は降り立った。 「ありがとうムクホーク」 ムクホークをモンスターボールに戻す。 ひさしの下、雨の当たらない場所に移動し、水気を吸って重たくなった服のすそをぎゅっとしぼった。 と、がちゃり。壁と同じ青色が塗ってある鉄製のドアが開いた。 「ナマエー、だいじょーぶですかー?」 出てきたのはこの巨大な施設の主、ネジキだ。 迷子のエネコのようだ、と彼は笑い、ナマエの濡れた頭に白いタオルが被せた。 そのまま、彼はタオルでナマエの濡れた髪をゴシゴシと拭く。 ナマエはタオルを奪い取って自分で拭いても良かったのだが、彼女はされるがままになっていた。 タオル越しに指先の当たる感触は、彼がポケモンを扱うときのような滑らかなものだったので。 うっとりしていた、だなんて言えない。 ネジキとの約束を忘れ、ポケモンゲットに夢中になっていたナマエ。 カバンの中のボールも尽きてきた頃、 ふと左腕のポケッチを見ると約束の時間まで15分を切っていた。 慌ててムクホークに飛び乗り大空へと舞い上った。 しかし運悪く、ファクトリーまであと少しの所で突然の大雨。 「あの、ムクホークの回復、お願いできるかしら」 「いーですよー」 モンスターボールの上半分、赤く分厚い透明な殻から、 丸まって目を閉じているムクホークが透けて見えた。 いつも無茶をさせてごめんなさい。 そう心の中で謝ってから、ムクホークの入ったボールをネジキに手渡した。 「雨の中、私を乗せてかなりのスピードで飛んできたから、 相当体力を消耗しているはずだわ」 「きみも回復した方がよさそーだなー。 ナマエ、シャワールームがあるんで貸してあげますよー」 さーこっちです、とファクトリーの中を案内される。 ファクトリーの白く長い廊下が続く。 毎回廊下を歩くとき、病院みたいだ、と思う。 しばらく歩くとシャワールームと書かれたドアの前に着いた。 「バスタオルは中にあるからてきとーに使っていーよー」 「ありがとう」 「あー、そーだ。服も貸しましょーか?」 「ううん、大丈夫。 替えの服はビニール袋に入れてたから濡れてなかったの」 「そーですかー。 んじゃ、ぼくはムクホークを回復室に連れて行きます」 軽く別れを告げて、シャワールームの中へ入った。 脱いだ服を棚に置いてあった編みかごの中へ放り込んで、 早速シャワーを浴びた。 キュキュっと蛇口を捻ると暖かいお湯が降り注ぐ。 芯まで冷切った体がシャワーの温かさに溶けてゆく。 シャワールームには真っ白なバスタオルが用意してあった。 バッグから替えの服を取り出す。ビニール袋に入れてあったので乾いたままだ。 鞄の中のレポート用紙は雨水を吸って形が歪んでしまっていたけれど。 備え付けのドライヤーで髪を乾かした。 シャワールームから出てあの無機質な廊下に出る。 「あれ、回復室ってどこだっけ」 たしかこのまままっすぐだった気がする。 そんな不確かな記憶を頼りに歩き出す。 いつもはファクトリーの廊下を歩くときはネジキと一緒だ。 話に聞くとこの施設は地下にまで延びているらしい。 地上に見えているドームの何倍もの大きさの建造物が埋まってるだなんて信じられないけれど。 歩くこと30分。 迷子になるのは慣れていた。(なんて自慢にならない) 洞窟の中で同じ場所をぐるぐるだなんて日常茶飯事なのだが、 長いこと迷っていると不安になってくるものである。 しかもなぜだか先ほどから体が重たくなってきている気がする。 いくつ目かの部屋を通り過ぎたとき、後ろから名前を呼ぶ声がした。 私はその声を聞くやいなや、振り向いた。 「ネジキ」 きっと私今、迷子のエネコみたいな顔してる。 お母さんと感動の再会、みたいな、ね。 ネジキお母さん役なの? 「ナマエー、探しましたよー。 遅いからどこへ行ってしまったのかと」 「迷ってたの」 「ナマエー、ここに来るの何回目ですかー。 回復室はきみもよく使う場所でしょー? いい加減覚えて下さい」 一瞬ネジキの声が遠くなる。 そういえばさっきから頭がぼんやりする。 「ナマエ。ナマエ、だいじょーぶですかー?」 はっくしゅん。 くしゃみをひとつ。 「風邪ひいたかも」 「全く、ナントカは風邪ひかないって言いますけどねー」 それ、私がバカだと言いたいの。 そりゃあ、ファクトリーヘッドのネジキさんよりは頭良くないでしょうよ。 ファクトリーの見取り図はいつまでたっても覚えられないし。 ネジキにはバトルで負けてばっかりだし。 「雨も止みそーも無いですから、今日は泊まっていくと良いですよ。 スタッフ用の仮眠室で良ければ」 「ありがとう」 案内された部屋の白いシーツの簡素なベッドに寝転ぶ。 おでこに当てられたネジキの手が冷たくて気持ち良い。 「今、薬を持ってきますからー」 ネジキが部屋を出て行き、当然ながら一人取り残される私。 (白いベッドの上で眠るだなんて本当に病院みたいだ) しばらく経ってネジキが帰ってきた。 先ほどと違うことは手に薬入ったの小ビンと水の入ったコップを持っていることだ。 少しはむくりと起き上り薬とガラスのコップを受け取る。 手のひらに置かれた白い錠剤を口に入れ水で流し込んだ。 空のコップはベッドに備え付けられたサイドテーブルの上に置いた。 「それにしても……風邪をひくなんて。 こんな大雨の中飛んで来るからですよー 降水確率は70%以上だったのにー」 「呼んどいてそれはないでしょう」 「もっと他に方法が無かったかと言ってるんです」 「ファイトエリアで大量発生があったから、つい」 「やっぱりバカ」 「……うるさい」 ばっと、ふとんを頭から被る。 真っ暗闇だ。 「ナマエ」 「何」 「今度は最初から迎えに行ってあげますから」 「いいよ、別に」 「さっき道に迷ってたのはどこのだれですかー?」 迷子のエネコみたいな顔だったと彼はまた笑った。 「んじゃ、ぼくはこれで」 「まって」 気がつけば布団を肩から上の部分だけ除けて顔を出していた。 「一緒にいて欲しい。 ……嫌だったら、いい」 声のボリュームはだんだんと弱まり、最後の方は消えかかっていた。 体が弱ると心も弱るものか。 「わかりました。 では、きみが眠るまでは」 ネジキの存在を感じながら、私の意識は深く深くへと沈んでいった。 (2011.05.05) ← ×
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