天宮
▼アリスインワンダーランド捏造
「…………うん、ごめんね。僕は全ての生き物を殺さないと、そう決めてしまっているから」
手元の怪しげな物体を、ぽいぽいと、手際よく沸騰しているガラス瓶へと投げ入れ。
白の王様こと天宮静が、ニッコリと笑む。
かなではそんな天宮の反応に、困ったように、小首を傾げ。
それから小さく、溜め息をついた。
……少女が憂うのは、近い未来に対峙するであろう、凶悪なドラゴンの存在。
何でも、この世界の全ての出来事を綴った巻き物には(本当におかしなことに、この巻き物には未来の出来事まで書かれている)、そのドラゴンとかなでが対峙をし、かなでがそのドラゴンの首を取ることで、赤の王の支配する暗黒の時代が終わるのだという。
……しかし、だ。
(……わたしにあんなドラゴンが倒せるとは、とうてい思えないよ……)
ワンダーランド初心者のかなでの目から見たって、巻き物に描かれていたドラゴンは、酷く凶悪そうな体をしていた。
ちんまりとしたかなでなんか、それこそ、その鋭く太い爪にかかり、一瞬にして、ぐさりとやられてしまいそうなほど。
(……どうしよう……)
かなでの頭の中では、ぐるぐると、いろいろな考えがまわりまわる。
天宮はこの通り闘う気など毛頭ないようであるし、かと言ってここでかなでが尻尾を巻いて逃げてしまえば、その時点で、あの巻き物に描かれていた未来は変わってしまうらしかった。
そしてもし、本当にそうなってしまえば、その後のこの世界はどうなってしまうのか。それこそ、それは誰にもわからない。
(……でも)
仮に逃げ道が用意されてたとしたって、かなではもう、今さら逃げることなんて出来ないような気がした。
ほんとうは違うのだけれど、それでも少女のことをアリス、アリスと呼び、温かく迎え入れてくれたこの世界の住人を……かなでは、好きになりはじめてしまっていたから。
「……アリス?」
難しい顔で考え込んでしまったかなでに、天宮がそっと声を掛ける。
その声に、は、と我に返ったかなでが、恥ずかしそうに頬を染めて、見つめる天宮を見やった。
「あ。えっと、すみません……。ぼうっと、してしまいました……」
「……」
恥ずかしそうに肩を竦めたかなでに、天宮が優しげに笑う。
「……アリス」
小さく、囁いた声。
「はい……?」
「余り難しく考えないで。全てはアリスの思うままにすればいい。……ね?」
そう言い、天宮は己の赤い唇に、く、と、細い指を当てた。
「!」
そんな突然の天宮の妙に艶っぽい仕草に、わけもわからずパッと顔を赤らめたかなでは、またわたわたと慌て、それから、困ったように顔を背けた。
「……ふふっ」
言うならば期待以上。初すぎる少女の反応に、天宮は、今度は楽しげにくつくつと笑った。
「……そうだアリス、よかったら、そこの緑の液体を取ってくれない?」
相変わらず、ガラス瓶の中の液体をぐるぐると掻き混ぜながら、天宮が瓶のひとつを指差す。
「これですか……?」
「うん、それだよ。ありがとう、アリス」
いっそ毒々しい色をしたそれを、かなでが怖々と手渡す。
先程から、かなでの為に『縮み薬』を調合してくれている天宮であるが、その材料は、お世辞にも美味しそうとは言いがたい。
それどころか、それが本当に食べ物の原料になるのかさえ疑わしいところだ。
「…………あの……」
「?なに?アリス」
やはりぽいぽいとわけのわからない材料を入れていく天宮。
「…………やっぱり、なんでもないです……」
かなではどう尋ねていいのかもわからず、そのまま片眉を下げて口を噤んだ。
「そう?……後他に、材料は何だったかな。蛙の肝と、怪鳥の垢、それからそうだ――」
天宮の発する単語に、どんどんと顔を青くしていくかなで。
そんな少女をちらりと上目で見。
天宮が、妖しく笑む。
「……人の唾液、かな?」
直後、つ、と天宮の口から垂れた唾液が、かなでの食べるクッキー……及び『縮み薬』に、入れられる。
絡みつくぐらいに天宮と視線を合わせていたかなでは、目をまんまるくして、その艶やかな光景をばっちりと見やってしまった。
「……!」
かぁ!と、先程とは比べものにならない勢いで体中を染めたかなでは、そのまま泣きそうになりながら俯く。
(……ふふっ、初なアリス)
正直、天宮にとって、アリスはただの駒だった。
懐柔し、ドラゴンを倒してもらう。その為の駒。
……だけれど。
(……参ったな)
天宮は片眉を下げて、額を抑える。
目前のかなでは恐ろしく愛らしく、そしていちいち、天宮の体の奥を刺激する。
(……アリス)
欲しかったワンダーランドすら、いらなくなるほどに。
(……君だけが、欲しい)