ニア
▼アリスインワンダーランド捏造
「……やぁ、アリス。どうやら道に迷ったな?」
……暗い暗い、森の中。
ただただひたすらに森を行く少女に、掛かった声。
びくりと肩を震わせながらも、だがしかし、どこまでもほんわりと空中を見上げた、その少女は。
(――――アリス、)
意に介さず、そう呼ばれ続ける、可憐な少女。
……真の名を、小日向かなで。
「……ふふっ。どうした?アリス?そんなに見つめられては、穴が開いてしまう」
対して、首を竦めて、楽しげに彼女を見つめた、その二つの目の持ち主は。
すこしばかり前、赤の女王によって放たれた、恐ろしい軍団によって散り散り引き裂かれてしまったメンバーの一人……チェシャ猫の、ニアである。
彼女が真っ黒なワンピースを身に纏い、頬杖をついてニヤリと空中からかなでを見下ろすその姿は――いやはや。何度見ても、なかなかに非・現実的な光景である。
「……ニア、さん……無事、だったんだね……?」
かなでは、言いながらも。しかし漂うニアの、その余りにも夢夢しい姿に、コクリと小さく喉を鳴らす。
そして、身につけた水色のワンピースの裾を、きゅ、と、心元なさげに握りしめると。
「…………ニア、さん、」
意を決したように、ニアを見据える。
だがしかし、そんな彼女が口を開く前に。
「……さん?」
かなでの言葉に、小首を傾げ、考え込むように顎に手をあてたニア。
だから、やはり同じようにふわりと小首を傾げたかなでであるが。だがしかし、そんな彼女が口を開く間もなく。
「……ふむ、アリス。私に"さん"付けは不要だ」
どこまでもマイペースな黒猫は、どこまでも悠然にそう言い放ち。
一度、スゥ、と、かなでの視界から姿を消した。
(…………!)
唐突に煙のように消えてしまったニアに、一抹の不安を覚えたかなでが、目を見開いて辺りを見回す。
しかし何処にも姿の見えないニアに、とうとう彼女が、どうしよう、と、足を一歩踏み出す。――その前に。
突然、かなでの目の前に、ひゅ、と、現われたニア。
かなでが驚く間もなく、更には追い討ちのように、ニアの細い指が、するりと少女の片頬を撫ぜた。
「ひぁっ!」
「ふふっ」
かなでが飛び上がるのを確認し、ニアは再び姿を消す。
どきまぎと胸元を抑えたかなでに、ニアはと言えば、ただただ最初の位置に戻り、ゆったりと空中を漂うのみであった。
「っ、ニアさ、」
「アリス。だから、"さん"付けは不要だと言ったろう?」
かなでの言葉に、咎めるようなニアの声。
「あっ、でも、その……、それなら……ニア、とかで、いいの?」
じいっと、咎めの視線を送るニアに、かなではおたおたとうろたえ、それから困ったように、上目遣いでそう答える。
そんなかなでの反応に。
「……ふふっ、そうだ。上出来だぞ?アリス」
上機嫌に小首を傾げたニアが、ニヤリと笑んだまま、空中でくるりと一回転をした。
かなではそんな光景を目に、ただただ、口をぽかりと開けるしかなく。
「……ニア」
(――でもね、わたしは、アリスじゃないよ)
そう言いかけた言葉は、しかし言葉にすらならず。
「ふふっ。アリス……そうだ、私が帽子屋の所へと案内してやろう」
どこまでも気紛れなニアは、どこまでも自分勝手にそう言い放ち、また、スゥっと姿を消したのだった。
残されたのは、ひとりのアリス。
「……わたしはアリスじゃないのに、なぁ……」
しょんぼりと呟いたひとりごとは、暗い森に消え。
「アリス!こっちだぞ!」
……暗い道の先。
いつの間にか、遥か先へと移動していたニアが、そう放つ。
「……あ。ま、待って!」
他に頼るものもない今、ただただ見知る顔に置いてかれまいと、とてとてと駆け出したかなで。
そんな彼女を後ろ背に。
(――――私の、アリス)
ゆったりと笑んだ口許は、暗闇に、隠れ。